ワカキコースケのブログ(仮)

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試写で見た映画(2)『偽りなき者』

2013-03-16 12:40:04 | 日記


すいませんが、また告知から。

【映画のポケット】
若木康輔がしゃべります「映画ライターになる50の方法」

2013年03月17日(日) 19時~21時(延長はなるべくナシの予定)
@阿佐ヶ谷・よるのひるね [HP]
参加費500円+要1オーダー
参加自由/申し込み不要/途中入場・退出自由
詳しくはこちらを。http://emls.jugem.jp/?eid=475

明日です。よろしくおねがいします……。


最近になって、急に、このブログの閲覧数が3ケタになったことが2度ある。なにかの間違いだろうと思い込んでいたら、あとで、某新聞社運営の論考サイトがリンクを貼り付けてくれていたと分かった。雑文なのに、もったいないおはなし。
もう1度は、友人・加瀬修一がツイッターで紹介してくれていたからなのだった。持つべきものは……。
その加瀬が、宣伝で関わっている『ベルリン・アレクサンダー広場』の公開が、今日からです。
http://www.eurospace.co.jp/detail.html?no=453
R・W・ファスビンダーの連続テレビドラマを一挙上映、という、やみくも感たっぷりの企画。どうやら事前の反響はかなりのもののようで、よかった。



このところしばらく、仕事を中心に乱気流に入ったような状態が続いている。
仕事Aで、もうこれ以上は知恵をひねり出すのは限界、というところまで追いつめられたり、3月に入るものと年明けからアテにしていた仕事Bの入金時期がズレるのがわかって膝が震えたり。
仕事C、D、E……と数本かさなって茫然となっているところで、初めての出版社から原稿依頼を頂き、お断りせざるを得なかったり。殺される! と布団から四つんばいで逃げ出したところで夢から覚めたときは、さすがに珍しく、自分自身が心配になった。
ピークがきたのが、3月11日だった。
午後2時46分になったら、どこにいても黙祷しようと思っていたのに、渋谷駅近くの「禁煙」と書いてある路上でイライラと煙草を吸いながら、「いやだから来週にならないとムリなんですって!」とか「振込はやくしてくださいよ~、恩に来ますからあ」とか、ジリジリ電話をしている間に、時間が過ぎていた。

「311を忘れない」というスローガンが、どうしてピンとこなかったのか、ようやく分かった。
僕にはまだ、311を忘れる、忘れられるほどの余裕がないから。単純な結論なのだ。
風化どころか、自分がまだ復興半ばである。2年前に仕事がガタ減りして青ざめた、延長線上で生きている。大体、その前も常にデスパレートだった。
「311を忘れない」という文言に、多くの人がよかれと思っている善意と誠実の言葉に、なぜプチブルのいやな匂いがこびりつくのか。といって、忘れるほどの余裕なんて、バブルのときが働き盛りだった60代以下の人間には無いんだよ、とつっぱねたくなる僕の実感にも、相当の世知のマイナス、視野狭窄があるだろう。ここらへんは、気の重い宿題です。


というところで、「試写で見た映画」の2回目。もう、今日が公開だとさっき知り、慌てて書く。


『偽りなき者』
2012 デンマーク 監督トマス・ヴィンターベア

3月16日よりBunkamuraル・シネマで公開
http://itsuwarinaki-movie.com/


小さな町で暮らす、ある男性。まだ幼い親友の娘のちょっとした嘘から、幼女わいせつの嫌疑がかかる。無実を証明しようがないまま、どんどん町の嫌われ者として孤立してしまう……。
こんなしんどい話を、あの禁欲集団〈ドグマ95〉の若頭だったトマス・ヴィンターベアが、さらにグリグリ、ギリギリと積み立てていくのである。それでまた、主演が『007/カジノ・ロワイヤル』のヌメヌメした悪役だったマッツ・ミケルセンとくる。この人がまたもヌメヌメと、疑おうとおもえぱいくらでも疑うことができる、瑕瑾の少なくない中年男を演じているので、見終わった後のゲッソリ感は相当なものだ。〈ドグマ95〉の兄貴分ラース・フォン・トリアーの『ダンサー・イン・ザ・ダーク』も、ゲッソリ受難劇としては相当なものだったが、『偽りなき者』も負けていない。ここまでゲッソリさせてくれるということは、かなりの出来栄えの映画だということだ。


現在のデンマーク映画が好調なのは、多くの映画好きが知るところ。
トリアーはもう別格として、ヴィンターベアは『光のほうへ』、そして『偽りなき者』と、作家の真摯さと家族ドラマの大衆訴求力を兼ね備えた映画を続けて送り出し、堂々たる正統派監督になってきた。去年絶賛された(僕はスイマセン、未見)『ドライヴ』の監督ニコラス・ウィンディング・レフンも、デンマーク出身。もちろん、ワールドセールスされた作品やハリウッド進出を果たした人材だけの判断で、かの国の映画業界が好調だというのはおぼつかない。ミイケやクロサワ(キヨシ)ばっかり見ている欧米の映画ジャーナリストに、「日本映画はキッチュでファンタスティック!」と力説されても返事に困るのと同じだ。
しかし、やはり去年、東京国際映画祭のコンペティション部門に出品されたデンマーク映画『シージャック』を見て、あんまり面白いのでビックリした。それで、スーパー!ドラマTVで再放送されていた、デンマークの人気刑事ドラマ『THE KILLING/キリング』も見てみたが、これもいい。衒いやハッタリのない王道のコンティニューや、シナリオをしっかり作りこんだ上で臨んだ、どっしりした安定感が共通している。
まだ日本では無名の新進監督の作品やテレビドラマまでレベルが高いとなれば、少なくとも、現在のデンマーク映画が全体に高い質を保っているのは間違いないと踏めた。

東京国際映画祭では、『シージャック』の監督は来日せず、プロデューサーと主演俳優から公式サイトの仕事で話を聞いた。
http://2012.tiff-jp.net/news/ja/?p=13787
時間が許せば、デンマーク映画で今、30~40代の年齢の人材が多く出ているのにどんな背景があるのか、プロデューサー氏に聞いてみたかったのだが、あいにく当日の事情で40分の予定が20分ちょいになる駆け足のインタビューだった。
ただ、来日はしなかった監督、トビアス・リンホルムの名前はしっかりと覚えた。
ここで話は『偽りなき者』に戻る。トビアス・リンホルムは、『シージャック』で2本目となる新進映画監督であると同時に、『光のほうへ』『偽りなき者』の共同脚本をヴィンターベアと担当しているのだ。

『シージャック』は、海賊に拉致された貨物船船員と、電話で交渉にあたる海運会社のCEO、双方の恐怖と緊迫をどっしりと描いたもので、2つの密室劇が交差していく展開に妙がある、相当におもしろい映画。『天国と地獄』や『暴走機関車』、つまりクロサワ(アキラ)の映画をかなりヒントにしているのではないかと思われた。
『偽りなき者』も、小さな町で誤解から主人公が孤立するシャッターアイランド的な状況は、『シージャック』と共通している。もしもリンホルムが本当にクロサワ好きならば、これの参照元は『醜聞(スキャンダル)』かもしれない。
いずれにせよ、逃げ出したくても逃げられない状況に平凡な男をドンッと置き、どんどん追いつめていく(最終的な決断で尊厳や運命、はたまた人生の皮肉が露わになるまで絞り込む)シナリオを書く、すごい集中力とスタミナの男がトビアス・リンホルムだ。これは間違いない。『偽りなき者』のプレスリリースによると、ヴィンターベアは8歳年下のリンホルムをかなり信頼しており、次回作も共同脚本となるそうだ。
デンマーク映画の次のキーマンは、トビアス・リンホルムかもしれない。配給のキノフィルムズさんには、『偽りなき者』の興行が好調であれば、ぜひ『シージャック』の日本公開も、とリクエストだけはさせてもらいたいです。

ただ、事象のリアリティのみであたった場合、『偽りなき者』の、見る人がペドフィリア(小児性愛嗜好者)を、危険な異常者、犯罪者と短兵急に捉えやすい描かれ方は、ちょっとアブなっかしいとは思っている。現実にはカウンセリングを受けるなど、自分の嗜好とたたかっている人は多いので。
この映画の場合、作り手の見ている位相はそこにあるのではなく、些細な誤解から共同体の中で個人が抹殺されかかる状況と、伝統的な価値観を尊じる共同体のむずかしさ(ヨーロッパで最も住みやすい国といわれるデンマークの、その魅力そのものが必然的に抱える暗部)を、象徴的に描きたかったのだと解釈されたい。
母国最大の映画作家カール・ドライヤーが、まさに中世の魔女狩りをアルティメットに映画にした『怒りの日』は、制作上の直接のお手本、リファレントであったかどうかは別として、ヴィンターベア&リンホルムのコンビの念頭にはしっかりとあっただろう。そのうえで、共同体の男たちの〈地元民の絆〉として鹿撃ちの「猟友会」の存在を置いている。こちらの描写はほほえましいほどチミノの『ディア・ハンター』大好きゴコロをたっぷりと(美しい森林ロケで)出しながら、狩りの対象が反転して自分になる、おそろしい話の構造をより引き立たせている。ホント、よく出来ている映画だ。
 


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