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試写で見た映画(27) 『飯舘村 べこやの母ちゃん ―それぞれの選択』

2023-03-02 19:49:41 | 日記


ポレポレ東中野での公開が間もなくのドキュメンタリー映画を、オンラインで見せてもらった。

今年(2023年)に入ってからこのブログ内不定期連載で取り上げた新作映画は、どれもお客さんが入ればいいねーと素直に思っている。最近はめっきりと、書きたい=ホメたいという考え方になっているので、必然ではある。

ただ、この映画については他とはまた違う気持ちで、興行がうまくいってほしいなと思う。
東日本大震災に関わるドキュメンタリー映画で、3月11日に公開されるからだ。上映時間は長いんだけど、腰を据えてじっくり見てもらう価値があるからだ。
こういう映画がもしもあまり注目されなかったら、スタッフや関係者じゃなくても少しさびしい。僕がブログを書くことで、へえ、こんな映画が公開されるんだ……と気に留めてくれる人を、せめて数人は増やしたいじゃないですか。

 

『飯舘村 べこやの母ちゃん ―それぞれの選択』

2023年3月11日よりポレポレ東中野で1週間限定ロードショー その後全国順次公開
監督・撮影 古居みずえ
製作 映画「飯館村の母ちゃん」制作支援の会
配給協力・宣伝 リガード
https://iitate-bekoya.com/





上映時間は3時間近くある。その間に、原発事故のために長年暮らした土地を離れざるを得なくなった女性とその家族のケースが3組描かれる。どの女性も、地区は違うが同じ飯舘村の住人で、牛を飼う酪農家。

内容に触れる前に、ちょっとおさらいをしておこう。
飯舘村は、福島県の太平洋側=東部(浜通りと呼ばれる)にある。2011年3月11日の大地震によって起きた東京電力・福島第一原子力発電所の事故で、多大な被害を受けた村だ。

福島第一原発からは内陸に向かって30キロ近く離れているので、地震自体の被害はほとんどなかったのだが、原発から放射性物質が漏れた時、風が南東から北西の方向に吹いていた。風に乗って運ばれた放射性物質は、雨や雪によって飯館村を含む山間地に落ちた。高い濃度の放射性物質に土壌を汚染された飯館村は、全域が「計画的避難区域」に指定された。

『飯舘村 べこやの母ちゃん ―それぞれの選択』に海が出てこないのはそういうわけだ。
福島第一原発がある双葉町が「計画的避難区域」より深刻な「警戒区域」に指定され、町のコミュニティが丸ごと避難した経緯を撮影した『フタバから遠く離れて』(12 舩橋淳)や、津波の被害を直接的に受けた宮城県気仙沼市唐桑半島を舞台にした、現在公開中の『ただいま、つなかん』(23 風間研一)などとは別の様相での震災の被害が描かれている。

飯館村で特に深刻な影響を受けたのは酪農家。土壌から放射性物質が検出されたため、牛の原乳は出荷できなくなり、全域が「計画的避難区域」になってからは、牛は移動禁止になった。
村民は避難しなければいけないのに、牛は動かせない。酪農家は過酷な選択を余儀なくされた。悩んだすえに牛を手放さなければならなくなった。

……こうした前段は、まず自分のために書いている。数年前までなら基本認識に近いぐらいのつもりでいたのに、いつのまにか確認が必要になってしまった。

新型コロナウイルスが感染拡大してからは、日本じゅうが大変な思いをしたし、している。
311に思いを馳せる心の余裕は、人によって差はあれ、誰もが削られた。もう十年以上経つのだから当然ではある。

だから、映画の新作があることはとても大事だ。
放射能汚染土を詰めた黒いフレコンバッグは、今も飯舘村のあちこちに山となって積まれたままだ。それを『飯舘村 べこやの母ちゃん ―それぞれの選択』はしっかりと撮っている。
当面の措置として置かれているはずの黒いフレコンの山が、だんだんと飯舘村を象徴する風景になりつつある。経済的な復興は進んでいるのだからもう済んだ話、にはならないと映像が雄弁に伝えている。

それに震災から10年以上経った今は、長年営んできた暮らしを壊される人の姿が、別の要因によって誰の胸にも響くようになっている。
コロナ禍が理由の廃業。ウクライナの市民が直面している困難。
311というキーワードは遠くなり、東日本大震災を題材にしたドキュメンタリー映画がそれだけで耳目を集めることはもうなくなったとしても、『飯舘村 べこやの母ちゃん ―それぞれの選択』のなかで人々が見せるくやしさ、無念はまっすぐ見る人に届く。

東日本大震災を題材にしたドキュメンタリー映画は、津波と原発事故の直後は、被災地と避難した住民の姿をなるたけ手を加えずに撮り、伝える、ジャーナリスティックな目的・意図が強いものが多かったが、年月を少しずつ重ねるうち、復興に取り組む住民達に密着したり、家族を亡くした体験を自分なりに整理しようとしている人の話を聞いたり、とアプローチがそれぞれ違う作品が作られるようになった。

そうなるとむしろ、普遍的なテーマが共通項として浮かび上がるようになった。それは〈土地と人間〉だ―と、現在のところはまだ漠然とだが僕は考えている。
飯舘村には飯舘村の、別の町や村にはその町や村の、それぞれの歴史とそれぞれの被災がある。東日本大震災を題材にしたドキュメンタリー映画が、一つのジャンルとしてまとめられるようでなかなかそうならないのは、〈土地と人間〉と言う普遍的なテーマそのものが「東北の被災地」等という、中央目線のざっくりとした捉え方を拒否しているからだ。

さて、内容に触れるまでが長くなってしまいました。
『飯舘村 べこやの母ちゃん ―それぞれの選択』に登場する3人の女性は、身を切られる思いで牛を屠場に送って避難し、あるいは別の場所に移ってでも牛を飼い続ける。そして、避難先から飯舘村に戻ったり、あるいは別の町で暮らし始める。

それぞれのケースは、震災直後から最近取材された姿までが時系列で紹介される。
つまり『飯舘村 べこやの母ちゃん ―それぞれの選択』を見る人は、都合3回、2011年の春から近年までの10年余の歳月を繰り返して追体験することになる。

これはなかなか、思い切った構成だ。
酪農を廃業するかどうかの決断、避難、避難先の生活……その時その時の局面での3人の姿は充分に撮れている。撮れているのだから、局面ごとの3人を同時進行的に組んでいくほうが全体に効率的になり、上映時間は短くできる(劇場での上映回数を増やせる)。そう組んでみる検討の話し合いは、作り手の間で一度ならずはされたはずだ。

でも、監督の古居みずえはおそらく、中島信子さん、原田公子さん、長谷川花子さんの10年は―その間の苦労、涙、怒り、笑いは―彼女達だけのものだ、とこだわった。
自分の視点による編集で、恣意的に寄せるのがイヤ。そうしようとするとどうしても気持ちが悪い、落ち着かない……となったのかもしれない。

どっちが作劇として正しいか、ではない。それこそ題材やケースによって違うし、別の人とクロスさせながら描いていくほうが、よりその人の魅力を伝えられる場合も多い。
ただ、『飯舘村 べこやの母ちゃん ―それぞれの選択』の場合は、3人の10年をひとりずつ律儀に見せていく現在の形が、しっかりと自分を持っている取材相手への、作り手からの最大限の敬意となっている。
信子さんのくやしさは信子さんだけのものだ。公子さんの苦労は公子さんだけのもので、花子さんの辛抱は花子さんだけのものなのだ。

ここまではもっぱら、タイトルにも含まれている通りの、『それぞれ』を尊重しているこの映画のありようについて書いてきた。
そのくせナンなのだが、僕が『飯舘村 べこやの母ちゃん ―それぞれの選択』を見て、特に好きだなーとしみじみ思ったところは、信子さん、公子さん、花子さんのパート全てに共通している。

3人の、生き物に触れる姿がとてもいいのだ。牛の世話をする時はもちろん、植物にさわる姿もいい。
農家のおかあさんってほら、草木や花をいじる手慣れた手つき一つで、その人の心のあたたかさや、若い頃からずっと働き者だった生きかたがパッと分かるところがあるでしょう。見ているだけで安心できると言いますか。『飯舘村 べこやの母ちゃん ―それぞれの選択』にはそういう、さりげなく癒される場面が多いのだ。

信子さん、公子さん、花子さんの働く姿を見ているとなぜか安らぐ理由は感覚的なようで、例えば演劇のスタニスラフスキー・システムなどを踏まえれば、ちゃんと説明できるのかもしれない。
何千回、何万回と生き物に触れてきた行動の無心さ、無駄のなさが、その人の人格・性格を隠さず表現することとイコールになっている。そこに気付くことができる喜びなのかもしれない。

働く姿の美しさの発見。もう少し遡れば、19世紀フランス絵画の写実主義運動までつなげて考えられるんじゃないか、とも想像は働く。
美術検定の公式テキストである『改訂版 西洋・日本美術史の基本』(16 美術出版社)をめくりながら書くと、ギュスターヴ・クールベやジャン=フランソワ・ミレーは、庶民や農民の姿をありのままに描くことでそれまでのロマン主義から離れ、19世紀後半の印象派の台頭へとつなげた。

農民の労働、生活そのものに主題を見出した彼らの意義は、時代と人間・階級の意識の変化を踏まえて解釈するのが基本だと思うが、実は引き金になったのは、もっと直截なセンス、好みだった気がする。
神話の世界をモチーフにするのが今のフランス絵画の流行だけど、外に出れば、キビキビと働く姿が魅力的な農民が目の前にいる。想像の天使を描くよりも、彼らのほうが描いていて面白いし、〈カンバス映え〉するぞ……!
そう想像してみるほうが、僕は無理がない。写実主義=リアリズム=社会派とあんまりがっちり固めて考えると、こぼれてしまう要素が出てくるのは、農村画もドキュメンタリー映画も同じだ。

要は僕は『飯舘村 べこやの母ちゃん ―それぞれの選択』を見て、アニエス・ヴァルダのドキュメンタリー映画を引き合いに出したくなったのだった。
ちゃんと比較できるほど見ていないので思い付きのメモでしかないのだが、ヴァルダの『落穂拾い』(00-02公開)がミレーの『落穂拾い』に着想を得ていることはつとに有名だし、『アニエスV.によるジェーンb.』(87-90公開)のなかのジェーン・バーキンへのインタビューが、だんだんと女性同士の親密な会話になっていくようすには、信子さん、公子さん、花子さんがカメラを持った古居みずえを相手に話す時の、古い友達と一緒にいるような飾らない空気が重なる。

さらに言えば『飯舘村 べこやの母ちゃん ―それぞれの選択』には、小川紳介、土本典昭に連なる精神も息づいている。
映画の中に登場する人々はまず、空港建設工事阻止闘争の当事者、水俣病の患者、東日本大震災の被災者としてクローズアップされる。そうした社会的属性をきっかけに会い、話し、撮っていくうちに、社会的属性の前にひとりひとりが、畑や海で働き、生きる人であることが顕わになっていく。その瑞々しい発見を求めることが、日本のドキュメンタリー映画の伝統になっている。

『飯舘村 べこやの母ちゃん ―それぞれの選択』は、原発推進政策には反対の立場で作られていることがハッキリしている。
そこはもう見る方が必ず気付く部分だと思うので、僕はここでは主に、この映画のやわらかい魅力の部分について書かせてもらった。

最期にもうひとくさり。
花子さん―長谷川花子さんの章が始まると、あれ、この人どこかで見たことが……となる。間もなく、ああ、長谷川健一さんの奥さんでしたか!と気付く。

長谷川健一さんは原発事故のあと、原発事故被害者団体連絡会の共同代表をつとめるなどしながら、村や東京電力の姿勢を強く問うてきた。飯舘村の酪農家のリーダー的な存在だ。
全5章からなる『遺言 原発さえなければ』(14豊田直巳・野田雅也)と、続編サマショール ~遺言 第六章~』(20豊田直巳・野田雅也)の実質的な主人公でもある。

つまり『飯舘村 べこやの母ちゃん ―それぞれの選択』と『遺言』シリーズは、同時期に飯舘村に通い、どちらも長谷川夫妻に取材している。
『遺言』シリーズの健一さんは、仲間思いでホネがあり、勉強家で行動力があり、と実にかっこいい男性だ。フォトジャーナリストの豊田直巳が同じ男同士として魅きつけられているのがよく分かる。花子さんはそんな健一さんをニコニコと支えている。

でも、『飯舘村 べこやの母ちゃん ―それぞれの選択』での花子さんは、『遺言』シリーズでは見せない顔を見せる。古居みずえと二人きりでいる時には、避難によって家族がバラバラになってしまう辛さ、嘆きを率直にさらけ出す。
好一対の映画として、『遺言』シリーズのことも思い出してもらえばです。

 


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