ワカキコースケのブログ(仮)

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明日から小川紳介~『牧野物語・養蚕編』少しみどころ

2013-07-19 15:55:07 | 日記


某プロダクションから「なんてデザイナーに頼んでいるのか」と問い合わせが編集室にあったりなど、ちらしデザインの業界ウケの良さは、ちょっとびっくりするぐらいです。
それに先週、映画ファンが集まらない、完全にふつうの街角で手配りすることにモニター的にチャレンジしてみましたが、手に取ってくれるのは女性のほうが多かった。
そういう、動員に(実は)苦戦した6月に比べて確かな手ごたえがある一方で、「僕の周りでは反応が薄くて……」というメンバーもいて。実になんとも、フタを開けてみないことには、です。

明日よりオーディトリウム渋谷で、「はじめての小川紳介!」。よろしくお願いします。
http://webneo.org/archives/9860





初日はドカンと、ウルトラ代表作の『1000年刻みの日時計-牧野村物語』から。トークゲストは山本政志監督です。
日本映画史上の名作、という位置づけのものなので、ぜひこの際に。

「まさかこれを見ていない人はいないだろう」的な、妙にビギナーさん相手に釘を刺してくる書き込みがサイトのほうにありました。つい書いてしまうものなんでしょうが、いやいや、あのですね、そういう物言いが、シネフィルさんの残念なクセなのですよ……。
世の中、『となりのトトロ』も『仁義なき戦い』も、『ローマの休日』だって、見てない人のほうが多いんだし、それゆえ不幸な人生だってこともないわけですから。もちろん逆に言えば、こうです。

「これから見る人はシアワセだ!」

今回は、繰り返しますが、「はじめて」の方大歓迎なんです。
なにしろアナタ、僕がまだ見ていない。そうです、若木康輔は映画ライターをやってるくせに、neoneoのメンバーのくせに、『1000年刻みの日時計-牧野村物語』を見てないのです。明日、場内の隅でこっそり、みなさんと一緒に「はじめて」見させてもらうつもりなのです。
「未だに未見である不明をこの場でそっと告白しておこう」とか、まわりくどい言い方もしませんよ。どうですかこの居直った態度。えっへん。

見てないから、だから上映に関わった。関わったついでに見られるから、ということです。
とはいえ、見ていない者にプログラムに関わる資格はない、とお怒りの気持ちもわかるので、ぜひ場内で僕をつかまえて叱責ください。いずれにしても、オーディトリウム渋谷でお待ちしております!


で、夜の部、20時30分からは、一転して代表作でもなく、今回の10本の中では、いちばん対外的セールス・キャッチに欠ける映画。
ところがね、これがね、いいんです。
こっちは前もって見ているので、ちょっとだけ前説を。


『牧野物語・養蚕編』
 1977 小川紳介


山形の牧野村に移住した小川プロのスタッフが、村のおかみさんから養蚕(ようさん)を学ぶことに。
テレビの料理番組のアシスタントのように、女性スタッフがおかみさんの横につき、桑の葉の選び方から教わっていく。
ひと夏のその行程を撮影して、紹介したもの。

夏休みのこどもの自由研究を、大人達が大真面目にやり直した。
まったくもってそれだけの映画である。
ドキュメンタリーの巨人の偉大な作品を鑑賞するぞ! とまなじりを決して臨むと、拍子抜けする率は今回のプログラムでは第1位じゃないかな。

その分、あんまり監督の名前とか関係なく、単品としてゆっくり楽しんでもらえるのに最適でもある。

7月には髪の毛ほどの小ささだったお蚕(こ)さまが、ムシャムシャ葉を食べて、たっぷり寝て、脱皮して。人はどんどん葉を摘み、ゴザを移し替える。その間の細やかな工夫、労働。町の洗練が当初は残っていた女性スタッフも、なんだかだんだん村の娘さんっぽくなり、同時にテキパキしてくる。そうこうしているうちに、お蚕さまは何万倍も大きくなって、さて、8月の終わりにはそろそろ繭を出す準備……。

お蚕さまのシャリシャリ葉を噛む音、蝉の鳴き声が緑濃き村に響く。深呼吸したくなる、ゆっくりとした、しかし確実な時間の流れ。
まずはとびっきりの夏休み映画として、きっと楽しんでもらえるし、楽しんで頂きたい映画だ。


しかしこんな、素晴らしすぎるほど〈おとなの夏休みの自由研究〉に徹した映画がなんで出来たんだろう。養蚕がなにかのメタファーだったり、それを通じて何か大テーマを語ろうとする気配すら無し。ここまであけっぴろげにシンプルだと、ほとんどアヴンギャルドじゃないか…と、かえって不安に思う人もいるだろう。
そこで、(すかさずPRに入る)neoneo2号をパンフレット代わりにどうぞ! 上映期間中は、会場販売しております。
http://webneo.org/archives/8024

畑あゆみさんが『牧野物語・養蚕編』が、実は小川紳介と小川プロの重要作であることについて、解題している。

非常にひらたくガイドすると、『三里塚』シリーズで小川は、空港建設反対闘争を通して農民たちを描くことに、ある限界を感じた。満腔のシンパシーをもってしても、この人たちの立脚点を掴みきれないんじゃないかと。(小川の祖父は、柳田國男と郷土習俗について文通を交わす市井の文化人だった)
そこでいったんノウハウをすべて忘れ、農そのものを一から学んで体に入れてみよう、そこから映画作りをやり直そう、として山形に移住した。
まずは村の人たちが育て、生活の基盤にしているもの(お蚕さま)、そのものの成長を何の予断もなく記録しよう。そうしてできたのが、『牧野物語・養蚕編』だ。
「闘争があるからその場所、人々を記録するといった動機付けが明確な映画作りではなく、一見何もない普通の農村で一から映画を作る、真にラディカルな映画製作へと彼ら自身を追い込んでいく転機」(neoneo2号・66P)

そしてこの手応えが、やはりウルトラ代表作の1本『ニッポン国古屋敷村』(上映は22日)に結実していく。
だから、水面下では、実はかなりの分厚さがある映画なのだ。
そのうえで、〈おとなの夏休みの自由研究〉にしか見えない、まったり、ゆったりとした大らかな雰囲気を見てもらえれば。『養蚕編』は、特に女性が見るといいだろう! と思っている。


しかし、ひとがせっせと働く映画を見ると、なんともいえない懐かしさや後悔みたいなものがこみ上げる。
北海道の道南地方で生まれ育ったので、稲作風景に対してはあらかじめ、別の土地という冷静さがあるのだが、養蚕のような仕事を見ているとジーンとくるものがある。
生き物相手だと、都会のオフィスワークのような「仕事をしている身振りの装い」が一切ゆるされない(つい先日も、それが習い性になってしまっている街っ子を叱らざるを得なくてゲッソリした)。だから、すごく清潔だ。

母の兄姉はみな、祖父の山で昔から本業の傍ら、シイタケの栽培やチップ(ヒメマスのアイヌ名)の養殖などを副業にしていた。母も、店を開ける前、朝のうちに山に入っては沢の流れの静かな場所を選んでワサビを栽培した。
子どもの頃、たまには手伝ったが、イヤイヤだった。なにしろ1980年代なので「ダサい」という気持ちも少しは正直あったし(山に入るよりタワーレコードの東室蘭店に行きたかった)、大体、頭でっかちな人間は〈体感的知恵〉が必要な場に身を置くと、どうしても、おたつくのだ。

これが常に、劣等意識のもとになっている。自然や植物、鳥や魚介のことをよく知っている人には適わない。草花の名前をよく知っている女性に会うと、それだけでポーッと好きになってしまう。
『養蚕編』を見ると、小川紳介も、そういうところがあったのではないか、と思うのだ。
しかし、ただ無心に汗を流して充足感を得る、以上のものを求めた。「小さなお蚕さまに、桑の葉の上の部分を食べさせるのはこれこれこういう理由だからなんですね!」と、先人の知恵をひとつひとつ確認しながら、働いて実証した。

インテリゲンチャは、労働と科学する心を両立させることによって、インテリのまま農の場に立ち戻ることができる。そこがキモではないか。
少なくとも僕は、ああ、そういう考え方を早くから持てていれば、母や伯父達のシイタケやワサビの栽培をもっと積極的に手伝えた、もっといろいろ学べた……と胸がチクチク痛んだのである。

『養蚕編』は特に女性に好んでもらえそう、と先に書いたが、そう考えると、だったら、宮澤賢治が好きな人にもいいんじゃないかな! とも思うのだ。 

 


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