ワカキコースケのブログ(仮)

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年始のごあいさつ(とオールマンとナイアガラ)

2014-01-01 07:25:35 | 日記



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テレビ東京の年越し生番組で、ある若手芸人(名前がわからない)が、2013年の自分を漢字二文字であらわすと、の問いに「靖国」と胸を張って答えた。「アベ首相も行きましたし、僕も5、6回行きました」。司会の千原ジュニアは、「あー」とか「ほう」と受けた以外、なにも言わなかった。
ああついに来た、ナショナリストのほうがマジョリティとして顕在化する時代がいよいよ来たぞ! 腹を括らねばならない、と年明け早々に思った。

ただ、今の若いナショナリストはイコールみんながみんな右傾化、でもないことには注意を払わなくてはいけない。
別にまた戦争をやりたくってしかたないわけではない。しかし靖国は日本人の誇りじゃないか。この情緒的なつながりに一切の矛盾はない、あるタイプの層に、僕のようなキリギリス人間が対話を試みるときの、徹底した噛みあわなさはなにかをよくよく考えると。皮膚感覚はどうしても、80年代の、同世代がワラワラと新興宗教に入った頃のことを思い出す。

80年代までの、新興宗教の勢いはそれはもう凄まじかった。あるタイプの層を、どんどん音を立てるように呑み込んだ。よくよくどんな教義かを確かめずに「キモい」「ワタシは絶対入らない」と頑固にはねのける子ほど、別のアプローチ(本を買うことで参加したことになるとかね)にはモロかった。当時最高に輝いていた某パンク・バンドですら、それが原因で解散した。
しかし、新興宗教はある種の生きがいビジネスであるがゆえに、金がかかる。不景気になると、急ブレーキがかかった。ちょうどその頃から入れ替わりに、新しい教科書をナントカする会とかが、元気になった。国学を学んでいるのにフランス文学の研究者に大学学長のポストを奪われるルサンチマン云々、という背景を忖度する人は周囲にはいなかった。

僕が言うあるタイプの層は、常に大きな受け皿を必要とする感性を持っている。そして日本の成人の、おそらく半数を占める。これはもう是非もない。現実だ。しかし新興宗教は、大きくて力強い考えのなかにいる安心感と引き換えにかなりの負担を課してきた。あこぎだった。右肩上がりの時には通用したけど、今はそんなやりかた、ダメだ。その点、現在のナショナリズムは、多額の金銭や折伏のノルマがないだけ良心的だ、とは言えるのだ。

つまり、僕は、現与党の激しく世の中を変えたい欲求の謎、どうして保守であることをやめたか(本来の保守とは、人間という不完全な存在が急激な変化を起こしてもうまくいかない、だから違う考えの者同士の話し合いが大事、と考える漸進主義のことだ。僕は考え方としてはゼンゼンこっちである)の、ひとつの仮説に、〈国会の新興宗教化〉という像をイメージしている。
アベちゃんを支持する人の頑固さには、イケダ先生や韓国のオトウサマの批判にはぜったいに、はなっから耳を貸さなかった、かつての同級生や親せきの姿がダブるのだ。直感で、どうしてもね。
「愛国心」を“現代の新しい(しかも、やはり重要と思うが、お金をかける負担を強いない)宗教”と感覚的に捉えている人にしてみれば、勉強して昔の歴史とかをよく知っている人に頭ごなしに危険視されたら、まあ、それはそれで不愉快だろうなあ、と人情論的な理解もしている。実際、学者やインテリの市井の人に対する物言いって、往々にしてとても冷たく響くのだ。そのアタマくる感じは僕もよく分かる。もろにリベラルを自認する、特に社会運動にコミットしている年配の方は、そこらへんをぜひご注意ください。

せめてこっちは、はなっから批判的な態度で接することなく、我々は穏健なヒューマニズムのほうが性に合うものでしてね、となんとかうまく対話したいと思っている。繰り返すが、今の若いナショナリストはイコールみんながみんな右傾化、と断ずると、リベラル寄りの人だって偏固な予断で耳を貸そうとしていない、お互い様ってことになるのだ。

ふう。元旦の朝から、書きつけない時事論壇みたいなことを書いてしまった。元旦の朝だから、書きたかったのかな。



年始のごあいさつに話を戻しますと、イラストは、年賀状用に描いたもの。
午年なので、ホースとオールマン・ブラザーズ・バンドをかけてみた。我ながら、実に短絡的なアイデアだ。で、いい年をして、こういうこどもっぽい絵をせっせと描くのって……たのしい。
年末、最終日の最後の回にようやく見た台湾映画『あの頃、君を追いかけた』(11-13公開)の主人公は、高校時代、熱烈に恋していた元クラスメートの女性に、「俺はこれからも幼稚でいるんだ」と告げる。そんな開き直った、成熟拒否なことを言ってはいかんと思いつつ、僕も幼稚な事ばかりしているので、なんともくすぐったい。
(「若木さん、早めに見てみてよ。気に入るから」と上映館の方から言われていたのに、「えー、こんなトレンディっぽいキラキラしたものをなんで自分に……」と、いぶかしく思っていたら。参った。『あの頃、君を追いかけた』はすっげーいい映画だった。楽日に見たりしてゴメンナサイと平謝りだった)


あと、“ホースマン・ブラザーズ”なんて絵を描きたくなったのは、2013年に特によく聴いたLPが、オールマン・ブラザーズ・バンドの『フィルモア・イースト・ライヴ』(71・アトランティック)だったから、というのもある。

南部のバンドがアメリカン・ロックのメインストリームだった、いわゆるサザンロックの時代の代表作。
僕が洋楽をかじり出したのはもうパンク/ニューウェイヴ以降。長髪に髭で、演奏がやたら長いサザンロックは過去の流行もいいところだった。
『フィルモア』は、それでも名盤だとよく紹介されるから、勉強のつもりで数年前に買ったのだ。いっぺんザッと聴いて、ウーム、もっさりしておる……とがっかりし、それから、ほとんど手を付けていなかった。

中心人物、デュアン・オールマンのスライドは好きだったのだ。ただし、バンド結成以前の、アラバマ州のスタジオ、マスル・ショールズでのセッション・ギタリストの頃の演奏。ウィルソン・ピケットやクラレンス・カーターなどのソウルマンのバックで闘犬のようなギターを弾き、「こんなギターを弾くやつが白人なんて信じられない」と言われていた(でもって、エリック・クラプトンに「なんか一緒にやろうよ」と口説かれていた)頃。
高校のとき、ピケットの「ヘイ・ジュード」を聴いてゾクゾクした記憶が鮮烈だったので(当時はなにしろRCサクセションがヒーローだったから、キヨシローが好きなアトランティック・ソウルを辿る行為は、田舎の高校生でもふつうの営みだった)、デュアンが早逝した後の、セッション参加曲を集めた遺作集『アンソロジー』(72)はCDで買って重宝していた。で、オールマンのほうは、ここに収録されているので十分かな……と感じていた。

しかし、2013年の春に、仕舞いっぱなしなのも勿体ないので、やっとこ、ちゃんと聴き始めてみた。
やはり、甘いとは思う。演奏の詰めが、じゃなくて。そこはさすがに巧いのだ。巧いので、ゆったり楽しめて、期待と違ってくる。むしろ繊細で、スウィートな部分が目立つ。ラテンのリズムも取り入れていて、どうかするともうフュージョンやAORのはしりみたいな感じがある。(そして実際、サザンロックの一部は洗練されて次第にそう変化した)
ツイン・ギターであるからには、指から血がしたたり落ちるような、なんか物凄いものを、と思っていたのだ。しかし「ストーミー・マンディ(嵐の月曜日)」なんかをやっても、ブルース、ブルースしてない。クリームのライヴ盤や初期のバタフィールド・ブルース・バンドみたいな緊張感を求めていて、拍子抜けした。

ところが、そう思いつつ、春から夏、夏から秋、秋から冬と、3シーズンのあいだ、プレーヤーにこの2枚組アルバムのどちらかが乗りっぱなしであることが多かったのだった。飽きがこないのだ。
腕利きセッションマンが集まってグループを作っても、ブルースならブルースと求道的にならず、まずは客をもてなし、楽しませることを第一義にしよう、という考え方だったとしたら、よく分かる。スウィートに感じさせる精度と、ブルースと後のフュージョン、AORをどちらも含め合わせたダイナミズム、肚の太さがあったのだと呑み込めてくる。ジャーニーやTOTOの、80年代に入っての世界的な大成功も、こうしたオールマンのありかたがモデルになっているのではないか。

ロックにあるシリアスさを求める傾向は、僕の世代まで確かにあった。たかが大衆芸能じゃないか、という読み直し(和久井光司が、ザ・ビートルズとモンティ・パイソンの人脈的つながりを調べたりした)がだんだんコンセンサスになったのは、90年代に入ってからだ。まだまだ僕はそこらへん、価値観が揺れている。勉強だなーと思う。



まだ信じられなくて、あまり確認もしたくないのだが、大滝詠一がこの世を去ったらしい。本当だとしたら、身体の芯から震えがくるほど、寂しい。

ロンバケのひとと松田聖子や薬師丸ひろ子の曲をつくるひとが同一人物なんて信じられない、でも確かに聴き比べるとそうだ。これだけでも物凄かったので、実はむかし細野晴臣や松本隆とバンドを組んでいたらしい、山下達郎の最初のレコードをプロデュースしたらしい、なんて噂話はあまりにぶっ飛び過ぎていて、とてもじゃないがまともに相手にする気になれなかった。そんな無法図なガセを一切信用しないまま、同級生の姉ちゃんから借りた『ナイアガラ・ムーン』(75)や『ゴー!ゴー!ナイアガラ』(76)を聞いて、一体これはどういうつもりの音楽ナンダ、とポカンとなった。どっちも、カセット・テープに録音せずに返した。中学三年生の夏休みだ。

それから30年経っても、アホはアホである。オールマンのフィルモアって半年聴いてみるとやっぱいいかも……なんて、こうしてグズグズ書いている始末。しかし、この粘りだけは微かにでも、大滝の影響だ。ポピュラー・ミュージックもマジメに勉強すれば、大人になろうと底が見えない世界なんだってこと、教えてくれた導師だった。



 


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