としちゃん&VTR250

のんびり、ドキドキ、ブランク10年のリターンライダーの日記

2021年04月30日(金) No.1 愛媛県一本松町 棚田の夕景

2021-04-30 01:00:00 | 特別
先輩が21年大切に乗って来たロードスターを手放すことに決めた。
ガソリンが残っているので、手放す前に乗っておこうと言うことになって
私も同乗させて貰うことになった。
 
道の駅「やすらぎの里」で待ち合わせる。
2シーターだから こうして見ると シエンタの方が大きいけれど、
運転席より前が長いので、運転には難しい場合が有るかもしれない。


思いがけず、愛南町の旧西海道路を運転させて貰った。
びっくりしたけれど、嬉しかった。
のぼり切った所にある駐車場に置いて 記念撮影を。




この後、もう少し運転しても良いと言って貰ったので、
駐車場を出る時も 運転する。
大きくハンドルを切らなくても曲がって行ってくれる運転しやすい車だ。
ただ、絶対に事故しちゃいけないと思うと、
ロードスターには似合わない びびり運転になってしまう。(^_^;)


何となくハンドルを離さず、国道56号線に出てしまったので、
今日の目的地の山の上にある
あけぼの公園にあがる直前まで 運転させて貰った。
山道も運転して良いと言われたのだけれど、
(笑いながらだったから冗談だったのかも)
私が自信が無くて、
山道に入る直前で車を停めた。
 
国道56号線でも安全運転だった私に代わり、
先輩は あけぼの公園にあがるカーブの多い狭い急坂を
速いペースで運転してのぼって行った。


春は桜の名所「あけぼの公園」に到着する。


初めて来る どがいぞうさんも 無事到着。


今日の撮影目的の 夕陽に映える棚田を入れて撮影。


三脚を ここに立てた。








向こうにある どがいぞうさんの車も
人気のあるハスラー。






















今年も来ることが出来て良かった。
棚田がいつまでもありますように。

2021年04月11日(日) No.2 廃墟

2021-04-11 02:00:00 | 特別

夕陽の撮影前に 赤松遊園地の撮影をしておきたい、

と 先輩が言うので
私もよく見ておくことにした。
綺麗にするための工事が始まっているから。
 
ここ赤松遊園地が海水浴場だった頃は
とても賑わっていたそうだ。
私の小学校区からは遠いけれど、
先輩の小学校区なので、
先輩は 子供の頃に よく遊びに来ていたそうだ。
 
私も子供の頃に 1度は家族で海水浴に来たことがあるのを覚えているのだけれど、
まだ小さかったのと、
いつもは海水浴は 
船に乗って 鹿島か高島に行って居たので、
海水浴場としての記憶は あまり無い。
 
高校時代の3年間、
ボートレースの会場になっていたので、
クラス対抗ボートレースに参加して
ボートを漕いだことは 覚えているけれど。
 
ここは年々 廃墟化している。


建物の中を じっくり見るのは初めて。
床の間があり、掛け軸が掛けられたままになっている。






太鼓が そのまま残されている。
ここが賑わって居た頃を 想像してみた。
芸者さんがいる景色、
映画で見る様な場面が浮かんだ。


いつもヨットが停泊している。
今季1度だけ ヨットが走っているのを見た。


青い屋根の建物は 
数年前には まだ人が居た。


藤の花は綺麗だけれど、
藤棚は 危なくなっている。


倒壊している。


建物は 放っておくと
こんな感じで朽ちて行くのね。




シャワー室だった所。




竜宮城と呼ばれている。
修復が始まって居た。


藤棚は撤去するのだろう。
藤の花が無くなるのは 寂しいけれど。


これは シンボルだったのかな。
夏は日陰を作ってくれるから 良いのかな。


どういう使われ方をしていたのかは分からない。


ここは公園になるのだろうか。
廃墟と化した建物など すべて撤去すれば 
広く使えそうだ。
どういう風に変わるのか 楽しみ。(^_^)
 
以前撮影してアップしたことが有るので、
覗き岩や 神社は撮影しなかったのだけれど、
改めて撮影しておけば良かったなあ。
 

2021年 元旦 初日の出

2021-01-02 10:34:54 | 特別
明けまして おめでとうございます。
 
本年も宜しくお願い致します。


コロナが早く終息して 平和になります様に。
 
皆が こんな笑顔になります様に。


昨年アップしないままになった記事があるので、
暫くは 古い記事が多くなるかもしれません。
 
元旦の土佐久礼(とさくれ)。
 
三脚を立てた位置が違っていました。
朝ダルマは 島と島の間に出るそうです。


でも 雲が厚くて
どちらにしても 朝ダルマは見られなかったのでした。


それでも嬉しい初日の出。


宇和島は雪でしたが、
スタッドレスタイヤで行った甲斐が有りました。
 
今年の目標のひとつ。
いえ、希望かな?
朝ダルマに会うこと。(^_^)
 

2020年12月31日(木) 今年を振り返って

2020-12-30 18:40:00 | 特別
2020年
このブログに来て下さった皆様へ、
有難うございました。
 
今年も色々なことが有りました。
1番は コロナ禍ですが。
 
1月
 
元旦
愛媛県大洲市の雲海展望公園に
初日の出の撮影に行った。
 
残念ながら 丸い太陽を見ることは出来なかったけれど、
少し明るくなって良かった。


同じ日、16歳10か月のレックス君が お星さまになった。
写真は 2018年の四万十の花火大会の時のもの。
くろるるも一緒にドッグランで遊んだことがあったね。


大きな台風が来ても 被害にあうことが無かった宇和島市の実家が 強風で被害が出た。


驚いた! 私は横浜に居る時の出来事。
後で「わたくし風」と言う いつもとは違うものだと分かった。


2月
 
先輩の紹介で、屋根の応急修理をして貰った。
雨が降る前にして貰えて 有り難かった。


東京藝大の卒展に行った。
同級生の娘さん、デザイン科4年生の信川みなみちゃんの
消しゴムはんこの作品の前には 大勢の人が集まっていた。
みなみちゃんは 春に藝大の大学院に進んだ。
先代クローバーやルルと遊んでくれたみなみちゃん。
芸術家になったね。


3月
 
屋根の修理が終わった。


4日
ついに還暦デビューした。
 
母が36歳で大きな病気をしたので、
私も大きな病気をしそうな気がしていて
ここまでは来られないと思っていた。
感慨深かった。
 
早い人は22歳、
その後も 交通事故や病気で亡くなった
沢山の同級生のたちのことを思い出して
「私は長生きしたなあ。」と思った。


7日
神奈川県秦野市のクラリスがお星さまになった。
8日のお葬式にも行って お別れをした。
オーストラリアンラブラドゥードゥルで 
初めて会った頃は まだ珍しい犬種だった。


16日
ルルの生家に 妹のみどりちゃんに会いに行った。
歩けなくなったと聞いて居たけれど、
よくなって歩ける様になっていて嬉しかった。


4月
 
11日
高知県宿毛市の咸陽島へ渡る。
大潮で 潮が引いて いつもは渡れない島に渡れる日。
今年で2回目。


ダルマ夕陽を撮る時に 遠くに見えるローソク岩が
こんなに近くに見える。


16日
愛媛県宇和島市の赤松海岸。
夕陽の撮影には 数え切れない程出掛けたけれど、
くろるるを連れて行くことはあまり無かった。
 
この日は早めに行って
行ったことがない灯台の近くまで歩いてみた。
13歳のルルも まだまだ元気。


5月
 
高知県の柏島に撮影に行った。


元気よく歩いた。
まさか翌日に足を骨折して入院することになろうとは
夢にも思わなかった。


13日
夕方、宇和島市の九島、夕陽の撮影前に
自転車で止まった時に 踏ん張りすぎて
左足首を骨折した。
骨折した段階では 何時間も 不思議な程 痛みが無かった。


完全に折れたので、翌日の手術で チタンを入れた。


入院中、くろるるは宇和島の家で過ごすことになった。


ベルさん(昼間の掃除など)と トミー(朝夕の散歩)が
私の入院中、1日も休まず世話をしてくれた。


ベルさんが帰る時には おやつの食べ方実験をして、
写真を送ってくれた。
クローブは よくルルに 2本目を取られていた。(^_^;)
 
入院生活は、5月13日から7月2日まで。
最初に言われたよりは 1か月ほど短くて済んだ。
 
私は 病室から 夕陽や宇和島城の写真を撮ったり
日々の生活をブログに記録したりして 過ごした。
リハビリもあるし、忙しかった。
 
朝の宇和島城。


日没後の宇和島城。


嬉しい一時帰宅。
1回目は 日帰りで。
くろるるが喜んでくれて嬉しかった。
ベルさん、トミーも 揃って迎えてくれた。




入院中は、ベルさんが よく世話をしてくれた。
爪切り、耳掃除、そしてシャンプーも。


2回目の一時帰宅。
この日は 泊まりで。
退院後の生活の練習だった。


ベルさんは くろるるの世話を。




トミーは 朝夕の散歩と 食事の世話を。


退院が近付き、
リハビリの先生が
犬の散歩のシュミレーションをしてくれた。


ライダーでもあり、愛犬家でもあり、
小学校から高校まで私と同じで 共通点が多く
リハビリ中も楽しかった。
世代は違うけれど。(^_^;)


先生のおかげで、
楽しい入院生活を送ることが出来た。


毎朝 キラキラ光る鳥の群れを見ながら
なかなか撮影することが出来なかった。
偶然なのだけれど、退院前に 撮れて良かった!


7月
 
2日
退院した。
母の誕生日だった。


入院中に おかずは残さず、ご飯を残すダイエットをして 6キロ痩せた。
JCOH(ジェイコー)宇和島病院の食事は
品数も多いし、味付けも私好みで 美味しかった。


折角健康的に痩せたのに、
2か月後位から増量し始めて、リバウンドしてしまった。
夜中に食べるのがいけないことは 分かっているのだけれど。
 
健康的に痩せたいけれど、
あの病院のメニューを 朝昼晩 私には作れない。


入院中に黒猫が住み着いていた。
小さくて華奢なので、子供だと思っていたら、
子供を3匹連れて居て、びっくりした!


8月
 
3日
クローブ5歳、ルル14歳の誕生日。
 
ルルの兄弟犬は全部で5匹だけれど、
フレッドだけが7月に亡くなっていて、
この日を迎えられなかった。


11日
クローバーの5回目の命日。


クローブの年齢と同じ数字。
クローバーとクローブは、
9日間 同じ世界に生きている。


22日
初めて白蟻を見た。
裏側の古い建物の床下。
白蟻の駆除業者の方が 説明してくれた。


白蟻工事は9月8日だった。
新しい方の家には 白蟻は居なくて安心した。
12年前に同じ業者でしていたことが分かった。


9月
 
16日
マッサージチェアが動かなくなって調べて貰った。
後日 基盤を交換して貰い、
また使える様になった。
あまり使わなくても壊れるのね。
勿体無いから使わないとね。


10月
 
16日
神奈川県平塚市の ルルの生家に行った。
ルルと 左はルルのお兄ちゃんのラルゴ。


クローブも嬉しそう。




ルルの5匹のきょうだい犬の内、
このラルゴとルルだけが残った。
14歳の誕生日を迎えた後で
みどり、チップがお星さまになった。


夕方になっていたけれど、
帰りに 近くのラブちゃん家に寄ってみた。
ラブちゃんママが在宅で良かった。
翌日に長野に出掛けるところだった。


ルルと生まれ月も同じ14歳のラブちゃん。
元気だった。
みんな遊びたそうだった。(^_^)


31日
バイク屋さんに メンテナンスをして貰って、
横浜から宇和島まで送って貰った。


11月
 
1日
バイク到着の翌日に 南へ走る。
免許取り立ての頃の 嬉しかった気持ちを思い出した。


5日
トミーと高知県の岩間沈下橋へ ツーリングに出掛けた。
途中、道の駅「よって西土佐」で バイクを交換して、
私は初めてカブに乗った。
家に帰るまで 交換したまま走った。


楽しかったけれど、
この日の内に カブに慣れることが出来なかった。
ブレーキの効きが違っていて 怖かった。


トミーは 3年前に教習所を出てから
初めてこのサイズのバイクに乗った。
「楽しかった!」と言ってくれた。


12月
 
9日
1年間通して 沢山の夕陽を撮った。
ダルマ夕陽も沢山撮った。
 
この日は初めてバイクとダルマ夕陽のコラボ写真が撮れた日。
この翌日も この場所で コラボ写真が撮れた。
高知県宿毛市の新港にて。
 
10月31日に宇和島にバイクが届いてから
11月に6回、12月に5回、バイクに乗った。
くろるるが居るので、全て日帰りだけれど。
 
12月28日の段畑ツーリングが 走り納めになった。


12月には
「スキーをしてみようかな。」と思う位に
骨折した足の調子が良くなった。
 
2020年は コロナ禍で 世界中大変な年になった。
個人的にも 初めての骨折、入院、と
大きな出来事があった。
大勢の人に助けられて生きていることを実感した
感謝の年でもあった。
 
皆様、有難うございました。
来年も 宜しくお願い致します。
どうぞ良いお年を。

ここで朝6時にあがる様に予約投稿した後に
30日に雪が降り、
31日の朝7時半には
こんなことになっていました。
スマホで撮影。








止んでいた雪が
また降り始めました。




クロが死んだ日 2003年

2018-11-10 22:40:00 | 特別
クロが死んだ日

12月04日 木曜日 晴れ

 夜に母からメールが入る。タイトルは「お知らせ」で、内容は、
「悲しいお知らせです。今日クロが死にました。お父さんと裏の畑へ葬りお墓を作りました。慣れていたし、可愛かったのでさみしいです。母」

びっくりしてすぐに実家に電話をする。最初は「理由は?何で死んだの?」と聞けたのだが、どんどん涙が出て来て話せなくなった。途中で父と代わったが、その時にはもう話せなくなってしまっていて、父とは殆ど話さなかった。
父も最近体の調子が悪くて今日は寝ていたそうなのだが。

 母の話では、12月01日の朝にクロが餌を食べる場所に来ないので探すと、最初に餌をやっていた場所に寝ていて、クロを母が抱いて連れて来たが、口から粘液を出してぐったりしていたそうだ。

2日になると少し元気になり3日には寝床から走って出て来たので「クロ、良かったね、元気になったね。」と言っていたのだが、4日の今日、母が出掛けて家に帰るとクロはいつもの寝床には居なくて濡れ縁の下で死んでいたそうだ。まだ温かさが残っている様な気がしたと言う。

 多分どこかで変なものを口にしてしまったのだと思うが、「1日に様子がおかしかったのならどうしてすぐに病院に連れて行ってくれなかったの?」という言葉が喉まで出かかったが、一旦良くなりかけていたので、まさか死ぬとは思わなかったんだろうし、言っても、もうクロは戻って来ないので言うのは我慢した。
でもお酒に酔うと言うかもしれない。実家ではお酒は飲まないことにしよう。
ずっとクロを家の外で飼っていた両親だが、1日からは夜は家の中に入れていたらしい。私もクロと寝てみたかったな。

クロは今年の4月頃うちに時々来る様になった黒猫で(その頃はまだ体は小さかった)、私が帰省した8月に私が毎食ご飯をあげて抱けるまでに懐いて、それから4か月。考えてみると短い期間だが、特別人懐こい性格をした猫だったので、本当に可愛かった。
秋にクロに会いに帰省しておいて良かった。写真も沢山撮ってて良かった。

両親はクロが死んでとても悲しいので、もう動物は飼いたくないと言う。
今日は両親の結婚記念日だったそうだが、クロの命日にもなってしまった。 もう帰ってもクロは居ないんだ。

この日記を書いた後に、両親に「二人で結婚記念日を無事に迎えられて良かったですね。」というメールを送ったら、母から「有難う」というタイトルの返事が来た。

「お父さんもクロと同じ1日からです。(具合が悪いのが)幾らか良くなっていると思います。クロが身代わりになってくれたのではと思ったりします。としさんも楽しみが一つ少なくなりましたが元気に帰って来て下さい。母」
お正月に帰省したらクロのお墓参りをしよう。

ここまで書いた後にもぐちゃんが帰宅して、クロのことを話すと、
「猫は自然界のものを食べても死ぬことはないから、どこかで毒でも食べたんじゃないか。」と言う。まさかね・・・
クロは苦しかったのかな。何だかずっと長々書いてしまいそうなので、もう止めておこう。