学生がいなくなった分、通勤電車も少しだけ空いてきました。
でも、三ノ宮~大阪は座れなかったのですがね。(苦笑)
さて、タイトル参照は、日曜日のボツはがき供養の後の話。
話には聴いていたものの、
実際にこの目では見ていなかった須磨のラジオ関西跡地。
更地ツアーに行きましょう!と岩崎さんも誘って、
20人あまりが行ったでしょうか?
ラジオ関西跡地は本当に何の面影も
なくなってしまっていました。
写真は誰よりも寂しそうに
その現実をカメラに収めておられた岩崎さんです。
綱敷天満宮からラジオ関西まで歩き、
玄関前でパーソナリティ2人を見送って、
その後はリスナー有志で隣の須磨ボウルでボウリング。
こんなお決まりコースは16年前までのこと。
あなたはにとって、須磨にあった頃のラジオ関西は、
どんな存在ですか?
私が行ったのは、公開録音、
リスナーのご意見を伺う会がそれぞれ複数回、
さらに阪神淡路大震災後の仮設局舎に
シェルタースタジオ117・・・。
これらの思い出を胸に、
みんなで一緒に年齢を重ねていきましょう。
でも、三ノ宮~大阪は座れなかったのですがね。(苦笑)
さて、タイトル参照は、日曜日のボツはがき供養の後の話。
話には聴いていたものの、
実際にこの目では見ていなかった須磨のラジオ関西跡地。
更地ツアーに行きましょう!と岩崎さんも誘って、
20人あまりが行ったでしょうか?
ラジオ関西跡地は本当に何の面影も
なくなってしまっていました。
写真は誰よりも寂しそうに
その現実をカメラに収めておられた岩崎さんです。
綱敷天満宮からラジオ関西まで歩き、
玄関前でパーソナリティ2人を見送って、
その後はリスナー有志で隣の須磨ボウルでボウリング。
こんなお決まりコースは16年前までのこと。
あなたはにとって、須磨にあった頃のラジオ関西は、
どんな存在ですか?
私が行ったのは、公開録音、
リスナーのご意見を伺う会がそれぞれ複数回、
さらに阪神淡路大震災後の仮設局舎に
シェルタースタジオ117・・・。
これらの思い出を胸に、
みんなで一緒に年齢を重ねていきましょう。