僕が最初にコンピュータに出会ったのは,16歳のとき.
その前まで,電子工作をやっていて,ボタンを押したらLEDが点滅したり,といったのを作っていた.デジタル回路だから自分で設計して半田でつなげば,思ったとおりに大体動いた.でも,新しいアイデアが浮かんでも,部品を集めなきゃないし,半田付けしなければならないし.お金持ちでパーツ屋が近くにあればよかったのだけど,小遣いもないし,田舎だったし.新しいものを作るには,前に作ったやつを壊さないと作れなかった.
そんな子どもが始めてコンピュータを触ったら「これは粘土と一緒だ」と思うに決まっている.当時のコンピュータはTV画面にもつながっていなくて,数字キーがあって数字が表示されるだけ.プログラムは機械語といって,数字が並んでいる.最初は,数字の意味なんてわからないから,適当に数字を変えてみると,スピーカーから出てくる音が変わったりして.半田付けのデジタル回路で音を変えるのだったら,コンデンサーをはずして違うコンデンサーをつないだりと,結構大変なのに.コンピュータだったら数字を変えるだけで音が変わる.機械語をまったく理解せずに,適当な数字を変えただけだから,変な部分をいじっちゃってコンピュータは変な動きをしていたのかもしれないけれど,それでもなんか違う音は出ていた.それで,コンピュータの柔らかさを知った.
その後,10年ぐらいたって,僕はコンピュータの研究者になっていた.最初に触った時からずっと,その楽しい楽しいコンピュータを自分の好きなように動かしていた.コンピュータの学会に集まる研究者たちも似たような経験をしてここに来ていた.みんなで楽しいコンピュータを大好きで,自由に動かしていた.
ところが,コンピュータが一般人に普及してしまった.インストールという言葉が小説になっちゃうぐらい普及してしまった.普及しちゃうと,それと一緒に有名人も出てきて,コンピュータはこういうものだ,という啓蒙を始める.僕らは,そのブームの先頭を走っていたわけではなくて,追いていかれた感じ.追いつこうと思ったら簡単かもしれなかったけど,そんな気になれなかった.
コンピュータブームに対する僕らの違和感はどこにあったのか.ブームの中心にいるコンピュータは,僕らが知っている楽しい楽しいコンピュータじゃなくて,便利で,便利すぎて,相当危険なコンピュータだった.啓蒙家たちは,便利さや危険さを世の中に宣伝していった.そこには,僕らが知っている楽しさなんてまったくなかった.でも,コンピュータがそんな風に受け止められたとしても,大人が仕事で使う分には,こっちも一緒に仕事をやりやすくなったからよかったんだけど.
それが,子どもが使うというところまで普及してきた.子どもには,「危険だから触らせるな」とか「もはや教えないわけにはいかないのだから,ナイフの使い方を教えるのと一緒で,危険性を認識させながら教えるべきだ」とか.どれも現実のコンピュータと子どもの教育という点でみたら間違ってはいない議論だと思うし,使わせるかどうかなんて親が決めればいい問題だ.
僕も人の親になって,子どもたちのことをもう少し真剣に考えるようになると,僕らが好きなコンピュータとは全然違うものとして,そんな議論がどんどん進んでしまうのは我慢ができなくなった.子どもたちにはそんな風にコンピュータを思って欲しくないと素直に思った.
僕が世の中の子どもたちに伝えたかったことは,コンピュータはこんなに楽しいんだよ,ってこと.ナイフなんてのと比較されるようなものじゃないんだよ.コンピュータがあまりにも優等生すぎるんで,ナイフのように便利にもなるし,危険にもなるんだけど,一番大事なのは,楽しいってことだ.だからその優等生の部分はちょっと遠慮してもらって,楽しさを最大限引き出したものを,理想のコンピュータとして子どもに伝えられればいいなぁと.余談だけど,そういうものも作れるし,逆に今よりもっと便利だけどもっと危険,というのも簡単につくれてしまう.それくらいコンピュータはすごい.
そんなわけで,コンピュータがどんなに楽しいものか,というのを子どもたちに伝えるために,ビスケット(Viscuit)を作り始めた.キーワードは「コンピュータは粘土だ」.
その前まで,電子工作をやっていて,ボタンを押したらLEDが点滅したり,といったのを作っていた.デジタル回路だから自分で設計して半田でつなげば,思ったとおりに大体動いた.でも,新しいアイデアが浮かんでも,部品を集めなきゃないし,半田付けしなければならないし.お金持ちでパーツ屋が近くにあればよかったのだけど,小遣いもないし,田舎だったし.新しいものを作るには,前に作ったやつを壊さないと作れなかった.
そんな子どもが始めてコンピュータを触ったら「これは粘土と一緒だ」と思うに決まっている.当時のコンピュータはTV画面にもつながっていなくて,数字キーがあって数字が表示されるだけ.プログラムは機械語といって,数字が並んでいる.最初は,数字の意味なんてわからないから,適当に数字を変えてみると,スピーカーから出てくる音が変わったりして.半田付けのデジタル回路で音を変えるのだったら,コンデンサーをはずして違うコンデンサーをつないだりと,結構大変なのに.コンピュータだったら数字を変えるだけで音が変わる.機械語をまったく理解せずに,適当な数字を変えただけだから,変な部分をいじっちゃってコンピュータは変な動きをしていたのかもしれないけれど,それでもなんか違う音は出ていた.それで,コンピュータの柔らかさを知った.
その後,10年ぐらいたって,僕はコンピュータの研究者になっていた.最初に触った時からずっと,その楽しい楽しいコンピュータを自分の好きなように動かしていた.コンピュータの学会に集まる研究者たちも似たような経験をしてここに来ていた.みんなで楽しいコンピュータを大好きで,自由に動かしていた.
ところが,コンピュータが一般人に普及してしまった.インストールという言葉が小説になっちゃうぐらい普及してしまった.普及しちゃうと,それと一緒に有名人も出てきて,コンピュータはこういうものだ,という啓蒙を始める.僕らは,そのブームの先頭を走っていたわけではなくて,追いていかれた感じ.追いつこうと思ったら簡単かもしれなかったけど,そんな気になれなかった.
コンピュータブームに対する僕らの違和感はどこにあったのか.ブームの中心にいるコンピュータは,僕らが知っている楽しい楽しいコンピュータじゃなくて,便利で,便利すぎて,相当危険なコンピュータだった.啓蒙家たちは,便利さや危険さを世の中に宣伝していった.そこには,僕らが知っている楽しさなんてまったくなかった.でも,コンピュータがそんな風に受け止められたとしても,大人が仕事で使う分には,こっちも一緒に仕事をやりやすくなったからよかったんだけど.
それが,子どもが使うというところまで普及してきた.子どもには,「危険だから触らせるな」とか「もはや教えないわけにはいかないのだから,ナイフの使い方を教えるのと一緒で,危険性を認識させながら教えるべきだ」とか.どれも現実のコンピュータと子どもの教育という点でみたら間違ってはいない議論だと思うし,使わせるかどうかなんて親が決めればいい問題だ.
僕も人の親になって,子どもたちのことをもう少し真剣に考えるようになると,僕らが好きなコンピュータとは全然違うものとして,そんな議論がどんどん進んでしまうのは我慢ができなくなった.子どもたちにはそんな風にコンピュータを思って欲しくないと素直に思った.
僕が世の中の子どもたちに伝えたかったことは,コンピュータはこんなに楽しいんだよ,ってこと.ナイフなんてのと比較されるようなものじゃないんだよ.コンピュータがあまりにも優等生すぎるんで,ナイフのように便利にもなるし,危険にもなるんだけど,一番大事なのは,楽しいってことだ.だからその優等生の部分はちょっと遠慮してもらって,楽しさを最大限引き出したものを,理想のコンピュータとして子どもに伝えられればいいなぁと.余談だけど,そういうものも作れるし,逆に今よりもっと便利だけどもっと危険,というのも簡単につくれてしまう.それくらいコンピュータはすごい.
そんなわけで,コンピュータがどんなに楽しいものか,というのを子どもたちに伝えるために,ビスケット(Viscuit)を作り始めた.キーワードは「コンピュータは粘土だ」.
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