「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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介護が仕事です、と胸をはれる?

2005-08-16 | ●介護録(~2015.2月)

孤独を感じる。自分のために生きてないという気がする。世の中から取り残された感じがする。社会人として生きてない気がする。

ラジオ相談で、32才の男性が、両親の介護のため仕事をやめ、株をやりつつ生きながら、いつまでもこのままなのか?と自分の生き方に疑問をもって相談していた。
彼は私と同じ一人っ子で介護する者は自分しかいない環境。
男性だし、何ごともなく仕事をしていたら今頃は…と、思わないはずがない。

その彼に回答者は賛辞を送った。凄かった。そんなに誉められる事なのかしら?と思うほど。
親の介護という道を選び、そんな中で株を勉強した彼に、回答者は「無形を有形にする力がある」「あなたは毎日をしっかりと生きている」「今の自分を信じて」と語り、「あなたとこうして話したことを私は一生忘れない」とまで言った。
人は誰でも自分が生きている価値を見いだしたいものだ…とパーソナリティーが言った。
豊かな暮らしや社会的な成功、充実感を得られる仕事、自分は今これをやっているんだと胸を張って言えるようなモノ…無意識のうちにそういうことが価値あることだと人は思う。
介護生活はそれとはかけ離れ、どこかに、親の犠牲、自分には何もない…という気持ちがうまれる。
でも、社会的な成功だけが価値ではないのだと、パーソナリティーが相談者の彼にエールを送る。

介護してる事、特にエライことじゃないけど、価値のないことでもないんだよね。
でも、人間って、ついつい仕事バリバリ、趣味もパワフルに生きてる人、カッコイイ、ステキって思う。
ないものねだりしてみる。
時間がない、制限があるとなおさら、あれもこれもやってみたくなる。気持ちはあせる。

胸を張って介護が仕事です!って言ってもいい。
でも、そのことで同情されたくない。エライなんて言われたくない。大変だろうなんてことは誰にでも想像がつくだろうから(実感はないにしても)。
私はただ、そういう生き方もありだねって、理解して欲しいかな?
私は毎日をそれなりに、やりたいこともやりながら、生きているから。