「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
→こちら Instagram

aibo復活

2017-11-02 | ▼ユルユル日常
12年ぶりにaiboが復活!
いつだったか、aiboが復活したら買う!と心に決めた私……
決めたと言っても、昔は買えなかったから今度は買いたいなぁ~~という程度の事だけど。
さて、復活してしまったよ、アイボ
どうしよう
昔は買えなかったけれど、家族を失ったわたし、欲しいよ~アイボ。
いつだったか、ペットがほしいと言う話を友達としたときに、でも、一人暮らしの私の場合、自分に何かあったらペット君はどうなってしまうか心配だから、アイボがいいなぁと話したら、
それは違う!と否定された。
いやぁ~~違わない
シングルにはアイボよ!
11/1のオンラインでの先行予約販売は30分で完売
けして安くはない買い物だけど
欲しい~~

人生、何があるか分からないから、後悔しないように、次の先行予約販売の時にはサクッと決心したい……と思う。




ながーい間の思い込み

2017-09-14 | ●介護回想(2015~)
父の命日は1月8日。
1月に住職の訪問があるので、わたしは、ずっーーーーーと、命日のためと思ってた。

母の命日が12月7日で、去年が3回忌。
今年は、12月に母、年明けに父と続くことになるのか?と思い、先日の秋分の日の訪問時に、
両親の命日を一緒にするのはどうなんでしょう?と聞いてみた。

住職は何か小さなノートなような本のようなものを、パタパタと開いてから、父の23回忌は○年で、母の七回忌は○年で、まだ先だけど、早いほうに併せて一度にしてかまわないよ……と。

ということは今年の12月の母の命日に訪問はない?

あれ?○回忌の時だけの話?


そうなんです。

1月の訪問は、新年のお参りだったのでした。

命日、関係なかった…………。
思い込みってこわいわ
いつ訪問するかを知らせるハガキをよく見れば書いてあるはず。


とりあえずホッとした。


仏壇守りもなかなか大変です。

うちの親は、介護も経験せず、お寺関係も母が父のことを何年かやったくらい。
全部、背負ったわたし。

なんだかもう疲れたワ


Tattingレシピ:celtic tattingでbangleを作る。

2017-09-09 | ★タティングパターン
Instagramの方で、patternを知りたいという方がいらっしゃったので(とてもInstagramでの説明は難しくて)
こちらに載せることにしました。
リクエスト頂いたのが外国のかたなので、つたない英語……というか英単語入ります。


リクエスト頂いたのはこれ↓



使用糸はダルマの葵#30です。
used thread=daruma crochet thread #30 Aoi

Mochif1


ring✖20作ります。
ring=5-10-5
split ring=5-5-5-5

Mochif2



ring=20
ch=2-3-3-2(beadsを入れる)

next
mochif1 and mochif2 Combine!
モチーフ1に5つのモチーフ2をはめ込みます。

last


竹beadsを入れながら回りをringとchで作ります。
It's make while putting beads in the long picot.
ring=6-6
ch=12
ch=5
ch=7





下手くそな手書きパターンでごめんなさい。
I'm sorry by a poor handwriting pattern



母が亡くなった時より泣いた日

2017-09-04 | ●介護回想(2015~)
母が亡くなった時は(病院で)ほとんど泣いていないので、正確にいうと、号泣した納棺の時と同じくらい、もしかしてそれよりも泣いた日の話。

その日は、母の療養病棟入院が決まった日。

前日まで、来週には退院と言われていたにも関わらず、週末、食事中に激しくむせて大変な状態になったらしく(私自身は見ていない)、思っていたより飲み込みの力が落ちているということで、療養病棟行きとなった。
(この時のわたし、心の中で、あんな早さであんな量を食べさせてたらそうなるよ!……と思っていた。)

帰宅してコートも脱がず、ストーブをつけることも忘れて、大泣きした。

私の介護、終わった……


療養病棟に入ったら正面玄関から出る人はいません(死んで出ていく)。

と、数年前に、ケイレンが出て診察してもらった医師が言った。
脳萎縮が進んでいずれ食べられなくなるので、その時には療養病棟に入いるように。という話の最後のしめくくりが↑の言葉。

なかなかキツイ人だなぁと思って聞いていた。
そういう覚悟も必要だけど、もう少し言い方はないのか?と。

でも、その女医さんのいうとおりにナリマシタ。



一番避けたかった療養病棟での最期

でも、結局そうなってしまうんだ。
もう私ものやれることはなにもない。
介護終了。
ごめんね…………
どうしても、自分のせいでこうなってしまった……という思いがわいたし、
ものすごく寂しかったし……
とにかく、号泣した。
何か声に出しながら…ひとりごと?……泣いた記憶が……

そして、自分を納得させた。

それから1年の療養病棟通いは、切ないだけ。

統計的に、胃ろうなら、鼻からなら、点滴ならどのくらい生きるのかは本で読んだことがあったので、そんなに長くはないことは覚悟していた。

多くの人が、寝たきりで食べられもせずに生きていたって仕方ない安楽死を……と軽々しく言うけれど

本当に身近な人がそうなった時にも、同じように言えるのか?と聞いてみたい。
仮に安楽死が認められて、でも本人の意志確認が出来ないときに、家族のあなたは、ためらいなく、どうぞすぐ安楽死させてくださいといえるのか?

とても苦しいことだと思う。

私はやっぱり、認知症が進んで療養病棟に入ってしまっても、それでも母に一日でも長く生きて……って思っていた。






未だに足が痛いけど

2017-09-02 | ▼ユルユル日常
この夏は
痛い、痛い、痛いといってるうちに終わったようです

しかしまだ完治してません。

よくはなってます。あともう少しという感じ。

左腰がダルいからはじまり、ふくらはぎつったみたいな痛さとハリ、膝裏もちょっとハリぎみ(全部左だけ)
レントゲンで骨に異常なし。やれやれ。
しかし、ふくらはぎが楽になり、膝裏とその上あたりの筋肉の緊張みたいなもの(さわると痛い、かたい)がおさまれば~~と数日
痛みが消えてルン!と思ったのも束の間、今度は太もも内側が。
上から下まで一通りやらないとにおらないんだな、これ……って感じ。

長らく片足が使い物にならず、かばって動くせいか、足首が鋳たくなったり、右足に筋肉痛だったりで散々です。

さらに、
前にも書いてますが、お腹の不調も抱えていたわけで、その結構酷い版が8月半ばにやってきて、
苦しい~~日々。数日後、めでたくスッキリしましたが、腸がギブアップ?!
三日くらい腹筋使えませんってくらいに痛くて……食欲もなく……
そして、風邪もひくしで最悪。


少し前、久しぶりにエレクトーンを弾こうと思えた
それくらい左足は回復したということ。
(あまり激しく動かせなかったけど……)

ここからまた少しずつ少しずつ……なんでしょうね。
治りが遅くなっているのを実感。

この間、
班長の役目として、回覧板、広報配りがあって、それを強行してちょっと悪化した時も。
お一人様班長をするにあたり、こういうことがあると嫌だなぁと思ってました。
よりによって現実に。
入院でもしたならね~~
な~んか中途半端なもんでなんとか乗りきらなきゃってところです。


サービスを変えたり施設を移ることの煩わしさ

2017-08-31 | ●介護回想(2015~)
こちら側が、
ここは合わないかも?……と思っての変更ならともかく、

あちらの事情となると
新しい施設をさがしたり、見学に行ったり、面談したり、手続きしたり、入居型だったら軽い引越し作業だったりが、
通常の何倍ものストレスになる。

最近、親が介護施設を変わらなくてはならなくなった知り合いがいて、
年齢的に(90代)ここで最期……と思っていたから、また移動~~とかなりガックリきていた。
(移動の理由は書きませんが施設側からの要望)


母が最初に通っていたデイサービスでは、回数増やすには空きがないというので別なところへ変わろうとケアマネに言われ、少人数制のところへかわったのだけど、
あとになって
空きはあったけれど動き回る母に対応出来ないというのが理由であることを知った。
そこをぼやかしたのはケアマネの優しさかな?
(まあ、結局、わかってしまったけど)


その後も
そのデイサービスの閉鎖、小規模多機能への移動、
入院を経て老健入所と、何回も手続き等々してきたけれど、
ほぼ、こちらの意思ではなくて仕方なく……だった
しょうがない状況になっちゃうんだよね。


最終的には特養になるのか、家で看取れるか?なんて思っていたけど、療養病棟が最期の場所となった。
一番避けたかったのに。


おひとりさまな私は、どのタイミングで、どんな施設を選択すべきなのか?
自分で判断出来るうちに対処出来ればいいんだけど、先がわからないからホントに難しい。
年齢で無理矢理区切るか
体調がどうにかなったら考えるのか

多分、自分で「この時」って決めて動いたほうが体力的にも精神的にもいいんだろうな~~。
体を壊してから仕方なく……だと(頭がしっかりしてる場合)ストレス感じてしまうかも?
認知症にならないうちに(なるのかどうかは神のみぞしる)どこかに入らなきゃ~~と思ってみたり……。

色々切ない。


Jアラートのなった朝

2017-08-31 | ▼ユルユル日常
6時2分。
何事~~!って思って携帯見て……

ミサイルかぁ~~と思いながらそのまま携帯でニュースチェックしたけど、まあ、当然まだなにもナシ

窓のない部屋に……とか言われていたけど、そのままベッドにいた。

二度目のメールが6時12分。
この地域の上空を通過……
不審なものにはさわらないように……

北海道全域にメールされてるなら、この地域といっても広いし、十勝はかすってもいないのかも?
なんて考えてた。

襟裳岬だから、そう遠くもなかった……

メール受信から4分後にはミサイル着弾。
たった4分しかないけれど
案外4分は長いとも思う。
窓のない部屋に移動するには十分だ。大豪邸でもない限り。
街中なら取り合えずどこかの建物に入ることも出来そうだ。
なーんにもないのっパラに一人だったら……4分でどこまで行けるかな?
まあ、避難出来てもそこに着弾したら終わり。


全く
北も南も、いい加減にしてくれないかなぁ
停戦中なのになんでオリンピック誘致出来たんだろ?
(すでに88にソウル五輪やってるけど)


北朝鮮は脅威ではないといっていた政党は何かいうことはないの?

なぜか日本が悪い、安倍が悪いという論調で北朝鮮擁護する人は何者だよ?(というか何人だよというべき?)


戦後に生まれて、平和、平和と叫ぶ時代に生き、東西冷戦も終わったけど、21世紀は戦争のない世紀になればいいという幻想はサッサと崩れ去った。
そして気がつけば中国がひとり20世紀状態
そんな2017年、まさか北朝鮮ミサイル発射の緊急メールを受け取ることになるとは…………。

北のカリアゲ君は、ホントに何がしたいんだよ?
私は失うものは何もないし、
やること終わったんで、どーでもいいんだけど、世の中の多くの人はそんなことはないので、いい加減にしてほしいもんです。
うらにロシアがいるとか言われてるけれど……
(プーチンさんて顔、変わってない?)


介護を知らないゆえの無謀

2017-08-22 | ●介護回想(2015~)
少し前に、父方の祖父の三十三回忌?(でいいのか?)法要があった。

でも、集まるのは子供、つまり孫の私は参加しなくてよいということだったから、話を聞いたあと、すっかり忘れていた。

先日、叔父に会ったとき、その法要の話が出た。

法要は叔父Aの自宅で行った。
叔父B(私が会った叔父)は、叔父Aの自宅に向かう途中に特養に寄り、祖母を連れてきてくれと言われた。

祖母は101才。車椅子。年相応の呆けはあるけどいわゆるアルツハイマーなどではない。

特養の車椅子を借りてそのまま連れていったのかと思いきや、乗用車に乗せかえて、車椅子ももたず、法要へ。

車に移すだけでも大変で……と叔父Bはいっていたけど、
みんな自分で介護をしてないから、特養で祖母の状態は見ているのに実感がないんだろう。
なーんにも考えずに、簡単に「連れてきて」「わかった」…………

で、叔父Aの自宅に着いたって、車から降ろし家に入るのも大変なこと。

介護経験のないみなさん、どうしていいかわからず見てるだけ。

叔父Bの奥さんが(叔母ですが)、週三回くらい地元の介護施設の清掃の仕事をしている。
一番、介護が身近。
結局、この叔母が孤軍奮闘。
帰ってから叔父Bはかなり叔母から文句をいわれたらしい。
そりゃそうだろう。

無謀だな……って私は思う。

私には、車椅子から乗用車に乗るときに、意味がわからず抵抗する祖母に手こずる叔父や、
自宅に着いたはいいけど、どうやって車から降ろして車椅子もないままに玄関から部屋まで行くのか、なにもできずに突っ立ってる叔父たちの姿や
そんな人達にイライラしながらなんとか頑張る叔母の姿が
リアルに想像出来ちゃって

申し訳ないけど、呼ばれてなくてよかった……と思っている。

介護-A所属ケアマネ、Bデイサービス、C主治医

2017-08-09 | ●介護回想(2015~)
先日行った整形外科病院は母もお世話になったことがあり、
そのことを考えたいたら、母が風邪をこじらせてC内科(主治医)を受診したときのことを思い出した。

母はまだ小規模多機能が始まる前に介護サービスを受け出したので、
風邪をこじらせたその時は、
ケアマネはA事業所所属(はじめはここのデイに通っていた)
デイサービスはB事業所の認知症対応少人数
主治医はC病院
という感じ。

高熱だったので診察後医師は、訪問看護を手配し2日間(3日だったか?)朝にバイタルチェックすることを決めた。
看護師さんが来てくれるなら安心だし、私はハイハイと言われるがまま。

ところが、訪問看護側から連絡を受けたケアマネが勝手に決められたと怒って私に電話してきた。
言い方としては私に対してではなく医師に怒っていたようだった。
ケアマネとは関係は良好だったから、直接私に、医師が~~と言ったんだろうと思う。
イマイチな関係だったら、ケアマネが黙ってイライラしたか、聞かされた私がシコリになって関係悪化したかもしれないけど、後々もそういうことはなかった。

誰が悪いということでもないと思うけど、私はちょっと板挟み状態。
介護者の立場としては
医療と福祉、仲良くしてください……という感じ。
(訪問看護は、介護保険からと医療保険からの利用、どちらでもOKなんだよね、確か)


ケアマネとデイサービスの事業所が違うのも面倒の一つで、私→デイサービスへ連絡一つで済むところを、私→ケアマネ→デイサービス→ケアマネ→私と手間がかかる。
日常的に母を見ているわけではないケアマネとデイサービスの責任者の意見が合わないときも介護者は戸惑う……

そういうことが解消されたのは小規模多機能に移ってから。
そこの管理者がケアマネ兼任。
何につけ、そこに電話一本で全て完了する。

そしてしその小規模多機能は、D医療法人が経営していて、他にも病院、老健、グループホーム等々広く展開。
ここに移るときにケアマネが、
将来のことを考えたらいろんな施設を持っていることがプラス……と言っていたけれど、当時の私はピンとこなかった。
小規模多機能に移るとケアマネが変わることのほうが不安だったし。

そして数年
母の進行と共に、ケアマネの言った意味がわかった。

小規模多機能なら、風邪でデイにいけない日にも家にヘルプに来てもらえる。
通院のヘルプもしてくれる
看護師も常駐している。
急な泊まりも対応してもらえる。

誤えん性肺炎での入院→老健半年→在宅で小規模多機能という時も、同じ法人なので情報の共有があり、医療ケースワーカと小規模多機能のケアマネと老健のワーカとがサクサクと話を進めてくれるので、介護者の私はほとんどストレスなく手続き等々を終えられた。

これはかなり楽である。
ツーカーという感じ?

アルツハイマー型認知症は確実に進行する。
それを思うと小規模多機能の利用なり、それなりに様々にサービスを展開しているところをはじめから選択するのはアリだと思う。
あとが楽、絶対に。
ただ、小規模多機能は限度額の定額制なので、初期の認知症だと週2回のデイサービスでいいのに高くつく…………ということになってしまう…………(今もそうだよね?)
逆にいえば、毎日通っても定額制なんだけど。

色々微妙だ……。

まあ、どんなサービスでも、100%大満足というわけにはいかないし。
こちらが、ここがいい!と思っても、受け入れて貰えない場合もあるし。

よりベターを探す……ということでしょうか?



ちょっと無理した日曜日

2017-07-31 | ▼ユルユル日常


日曜日、町内イベント(婦人部)で、南蛮味噌作り。
足がまだ治ってないけれど、ちょっとマシになり、場所も歩いて2分くらいの会館だし、なんとかなりそうだったので。

母くらいの年代の方もいるなか、多分、この日の出席者では一番年下と思われる新参者のわたくし、勝手も分からず、なおかつ足のこともあり、ほとんど役立たず。
「足の悪い人は座ってなさい」ということで、
うちわパタパタとご飯さまし、たまに味噌のなべませまぜくらいしかしてない。


この日のメインは、手作り南蛮味噌をオニギリで食べることだけど、手作り福神漬けとかキュウリのなんとか漬けとか大根のなんたら、スッキーニの炒め物なんかもあり、さらに杏のコンポートにチーズケーキ、黒糖蒸しパンといった豪華ラインナップのデザート。
みんな手作りで、有志が用意してくれるらしい。

南蛮味噌カップ2つ分と廃油で作った石鹸はお持ち帰り(毎年の恒例)
さらに手作りのつまようじ入れも作って持ってきて下さった方がいたり、旅行のお土産のお菓子まで配られて
この町内の婦人部はどーなってるんだ?!……と思った日曜日。


動いたついでにと、配らなくてはならない広報を、もう7月が終わってしまうしってことで10件分配り(班長のお仕事)
さらに支払い期限が明日の保険料のために近くのコンビニへ。

結果……
これまで無事だったところまでパンパンに張ってしまった……
(でも、ふくらはぎの痛みはなくなった……とはいえまだ張っているので歩きにくい)
やっぱり無理はダメね……。
なにかと治りが遅いと感じる今日この頃……いつまでかかるのかなぁ
ここ数日は引きこもって安静にしているつもりです。


さて、本日はコープの宅配トドックの日
配置のおにーさんが、いきなり謝るのでなにかと思えば、
うちに配達するはずのパンを別のお宅に配達してしまったと。
しかも、そのお宅のおばーちゃん、そのパンを食べちゃったって!
早ッ!
誤配達に怒るとかより、なんの疑いもなく早々に食べたというおばーちゃんが可笑しくて仕方ない。