「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。


ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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「見守りを怠った」という判決

2014-04-25 | ●介護録(~2015.2月)
ー徘徊事故で電車遅延 妻に約360万円の支払い命令ー

JR東海が提訴した民事訴訟。
事故当時91才の認知症男性が電車事故を起こして死亡。
元もとは720万の損害賠償を求めていたけども、JR側も敷地内に入れないよう施錠するなどの措置をすべきということで遺族である妻への請求は360万になった。

見出しをパッと見たとき単純に、「遺族に賠償責任か~」と思い、母がいろいろやらかしていた時に、とんでもない事件を起こしちゃたらどうしようと考えていた時のことを思った。
「だって認知症なんだから許してよ」という正直な気持ち。
「私、何も悪いことしてないし」という苛立ち。
例えばその事件なりが、謝罪で済むようなことで、相手の方も理解ある場合ならヤレヤレ…で終わる。
でも、
もっともっと大きな被害を与えることだったら?
謝罪ではすまない、認知症であろうとなかろうと許せないようなことだったら?
想像すると怖かった。

電車遅延は
乗客に迷惑を掛けたろうけど、最悪な事態とまではいかない。
なので
このニュース記事のコメントの中には
電車が遅れたって乗客に運賃返却するでもないし何のための損害賠償?という意見も多々あった。
また
普通この手の損害賠償は上限170万くらいのはず…とか
最終的には線路の清掃費等で20万くらいの請求のはずで、それが720万の請求で訴訟まで起こしているのは20万の支払いも拒んだ等のいざこざがあったのでは?…というものもあった。

「電車止めたら損害賠償」という感覚はある。
だから、認知症であろうとなかろうと払うものは払わないといけないんだろうな…とも思う。

が、記事を読むと
同居の妻は「見守りを怠った」という落ち度があるから支払い義務があるという判決理由。

何をもって「怠った」と判断するのだろう?
こういう判断をされてしまうなら在宅介護は出来ない…と思う。

私がトイレに行っている間に母に出て行かれたことがある。
昼寝しているから大丈夫とちょっと気を抜いた時に出て行かれたこともある。
明け方3時、突然出て行ったこともある。この時私は気づいてすぐに後を追えたけど、パジャマ姿だった。

24時間の間には、こんなこと当然のように起こる。
それが事故や事件に繋がったら見守りが不十分と言われてしまうのね

キツイ…

警察に捜索依頼すると必ず、あなた何していた?と怒られたから、世の中、それは当たり前?

でもこっちの気分としては、なんか理不尽…という気持ちは否めない。

十分な支援体制もないまま在宅介護を推奨し、さらに完璧な見守りを当然のように家族に課すのはどうなんだ?
出来ないなら在宅介護するなということか?
だったら多分、認知症の家族の在宅介護は誰も出来ない。


この訴訟の判決理由がもっと単純に、
認知症であるなしにかかわらず、電車遅延の損害賠償は本人に請求。このケースでは本人死亡なので遺産より支払いを命ずる…
のようなもののほうが個人的にはしっくりくる。



見守りを怠った…
引っかかるな~この判決。


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静かな病室

2014-04-18 | ●介護録(~2015.2月)

四人部屋。
一般病棟にいた時はやはりワサワサとしていたな~と思う。
療養病棟の今は
静か

昨日面会にいくと
母と隣のベッドの方が、まるで向かい合うように横になって、共に口を半開きで寝ていた。

その構図がなんだか笑えた。
みんな口呼吸か……と思いながらも、
向かい合ってる姿がちょっと楽しい
でも
ネガティブになると
なんだろこの空間…
みんなただ寝てる…
なんて感じで心が重くなってしまう。

そういえば
母の向かいのベッドのお婆さんはお話好きで、私が行くと体を起こして話しかけて来たのに
最近は全く……
こんにちはと声かけしても返事がない。
食事時には今まで通り車椅子でデイルームに行かれてるから体調が悪いのでもなさそうだけど?

母も
笑わなくなったし
単語程度も出なくなった。

入院のせいと決めつけは出来ないけど、つい思ってしまうんだよね。
もし入院してなかったら…って。

病院通い…疲れた。

重いワ
病院の独特な雰囲気


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介護回想録:背中に翼がはえた日

2014-04-12 | ●介護録(~2015.2月)

病院通いの今、介護休み中みたいなものなので、介護が終わったわけでもないけど「介護回想録」でも書こうかな~と…

背中に翼ははえないけれど、その解放感を例えるなら、「背中に翼」がぴったりだった日
それは
初めて母をデイケアに送り届けた帰り道。

「わあ、私、昼間に一人で歩いてる!自由だ!」

この解放感
天にも登る心地
まさしく背中に翼がはえたような気分
心が軽かった

とはいっても、確か初日はお試しみたいなもので、本来は送迎バスに乗るのだけど、この日は私が母をデイケアまで連れて行き、帰りの時間も早めだったから解放感に浸れたの短い時間だったと思う。

それでも毎日母から目が離せない状態から解き放たれて味わう束縛のない時間は本当に気持ち良かった。

しかし……

ホッとするのもつかの間、デイケアからは頻繁に、送迎時間前に迎えにくることを求められた。

当時の私はデイケアとデイサービスの違いをよくわかっていなかったんだけど
デイケアは精神科のリハビリ目的。医療の一環。
デイサービスは介護福祉施設等が行う介護サービス。「一定時間お預かり」ということ。
だから
落ち着きがなくなってもあれこれ手を尽くしながら帰りの時間までみてくれるのがデイサービス。
落ち着きがなくなりリハビリプログラムに支障をきたすなら治療の意味もないので帰宅して…というのがこのデイケアの方針らしかった。
現在もそうなのかは不明。

正直ちょっと腑に落ちないとこはある

認知症なんだから、こちらのコントロールが効かないのは当たり前だし、不穏になるのはよくあること。
大声が出る人、暴力の出る人、いろいろいるわけで、そんな認知症者はみんなプログラムに支障をきたすとして排除するんだろうか?

母の場合
送迎時に拒否があった
すると
五分以内にバスに乗れないなら来ないでくれーということに。
迎えの朝、突然そう言われて、恥ずかしながらその場で泣いてしまった。

そんなこともあり、半年後にそのデイケアをやめた。
やめたというより、やめるしかない状況になったという感じ。
やめる電話をいれた時、電話の向こうのスタッフは(看護師かナンタラ療法士だかわからないけど)嬉しそうだった。
私にはそんな声に聞こえたよ。

ケアマネもいろいろ手を尽くしてくれたけどダメだった。
さっさとやめなかった理由は二つ。
一つは行くところがなかったから。
もう一つ通っていたデイサービスも空きはなかった。
もう一つは
受診時に医師から勧められているので、このデイケアは続けなければいけない、続けるのが母のため、少しでも認知症の進行を抑えるため……という思いが強かったから。

悩んで悩んで…
最後に私は保健所に相談した。

デイケアでは朝到着と共に安定剤を飲ませることを了承させられていた。
それが通い続けるための条件。
それにも疑問を感じていた。
そんなこともあったので保健師もそのデイケアがけしてベターではないし、
その頃、週一回、二時間、生活支援の名目でヘルパーさんに入ってもらい行っていた手芸の時間を増やすのはどうかという私の考えを、
デイケアよりもよいリハビリになると後押ししてくれた。
(一年後の改定で、独居でもなく身体介護もない母は生活支援でヘルパーは使えなくなった)

この時、保健師は、市の保健課ではなく保健所に直接電話してきたことを不思議に思ったらしい。

市役所に相談をしなかったのは介護認定を受ける段階で高齢者福祉課の保健師と関わりを持ち、その保健師もデイケアをイチオシしていたという経緯があるから。
相談した場合、どんな答えが返ってくるかは想像出来た。
この保健師は定年後に嘱託として勤めている方だったので私など子供扱い(10年くらい前の話)
「◯◯だと思うんですが」なんて意見を言っても
「ダメダメ、違うから」って全く聞いてもらえなかった。
ケアマネも保健師に逆らえなかった
(ケアマネと私は年齢が近い)

最初の一年はこの保健師さんとの関係にちょっと苦労した。


「落ち着きがなくなったんですよね。薬はもう出たんで(アリセプト)いつ帰ってもらってもいいんですけど」

こんな電話が来るのだ。
もっと言い方はないのか…と思う。

帰りの時間一時間前に迎えに来いなんてのも当たり前。
心ではあと一時間くらいなんとかしてよーと思う。
そして迎えにいくと母は楽しそうに風船バレーをしていたっけ。
「さっきまで落ち着きなかったんですよね~へへへ」といわれてもね……

そんなこんなで、初日、私の心に翼をくれたデイケアは、あっという間に私を悩ます存在になった。
(曜日の関係でデイケアが最初、のちデイサービスという順番だった)

いろいろあったな~

介護道はなかなか厳しいよ









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切ない洗濯機

2014-04-07 | ●介護録(~2015.2月)

ニュース記事を見ていたら、今、ドラム式にかわり縦型のコンパクトな洗濯機が人気ーというのがあった。

うちの洗濯機はドラム式。
狭い洗面所でものすごい存在感!
考えてみたらすでに10年選手の洗濯機。
いいな~スリムな縦型…と気持ちが動く。
…というのも、昨年、スライド式ドアの取っ手部分の一部が割れて、見栄えが悪いのと
左右にあるスライドのための仕掛け?部分が片方壊れ、スムーズにスライドするはずのものがガクガクガクっとしながら開閉するので、いつか開かなくなるのでは?とドキドキしつつ使っているから。
壊れたのは外の扉で内蓋は問題ないので洗濯自体は変わりなく出来るんだけど…

それにしてもあっさり壊れたな~
普通に使っているのに。

このドラム式の前、我が家は長いこと二層式だった。
かなり長く使っていた。
わたしとしては、全自動に変えてほしいなと思っていたけど、母にその気は全く無し。

ドラム式に変えたのは、母が認知症になってからだった。

認知症初期の頃、母と一緒に近所の家電量販店に行った。
ドラム式花盛りで、ちょっと大きいとは思ったけど買うことにした。
母は、洗濯機を買うということは理解していたけど、ひょっとすると自分の家のものだとは思っていなかったかも?
でもお店の人は、娘が主導権を握ってるんだなーくらいの感覚だったと思う。
一見、健常者な母だった。

洗濯機を買い換えようと決めたのは介護が理由だった。
もし母が健常者であったら二層式を壊れるまで使っていたと思う。

けれど母は認知症になった。
私は、乾燥機があれば……と思うようになった。


母は洗濯をしなくなった。
それ以前に着替えを促すこと自体が大変だったけれど、
とにかく洗濯をしない。
しかし本人は「やってる」という。
例えば、「私、洗濯するから一緒に洗おうか?」
などと言っても母には断られた。

認知症を知らない方は、黙ってこっそりやってしまえば特に問題ナイと思われるかもしれないけど、
認知症者は、なんというか……鋭い。
見抜く。
初期~中期くらいはごまかしが効かない人が多い。
見抜かれると、その後、それがきっかけになって不穏状態になったり、激しく怒ったり、不快になったり、とにかく一筋縄ではいかない。

それでも洗濯は、洗濯機が回っている時に自分の服かどうかの判別など出来ないから、こっそり洗濯してしまうことは出来た。
問題は「干す」時だった。

母は、干してある洗濯ものの中に自分の服を見つけると機嫌が悪くなった。

何とか隠すように干してみたりもしたけれど、毎回そんなふうに神経を使うことに疲れ、乾燥機があれば!と思い洗濯機買い替えを決めた。
長く使ってる二層式だし、いい加減新しくしてもバチは当たらないよねーなんてことも思いながら。

乾燥機は便利。
最近は30分程度乾燥機にかけて、あとは居間で干して、加湿対策。

介護度が上がるにしたがい、モレモレによるパジャマやシーツの洗濯が増えたから、ドラム式洗濯機フル稼働な日々が続いた。
お疲れさま、洗濯機。
母がデイにいったあと、泣いて凹んで、それでも時間は流れ…「ああ洗濯しなきゃ」と思いノロノロと動きだして、とりあえずスイッチ入れれば洗い上げてくれる洗濯機はエライ!
だってそんな精神状態の時に濡れたパジャマやシーツを手洗いなんて出来そうにないもの。


洗濯機を使う時、買った理由を思い出す。
母と一緒に家電量販店に行ったことも思い出す。

そういう意味では「切ない洗濯機」

扉が壊れているし、大きいし、縦型に変えるのもいいかなと、ちょっと思う。

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いろいろ切ない

2014-04-01 | ●介護録(~2015.2月)

昨日の面会
声をかけたら「は~い」という返事が返ってきた。
でも、笑顔ってわけではなかった。
ただ、その後もいつもより視線が合いやすく、反応も良かった。

…といっても…
それはとても小さなコトで、きっと、他人様には「?」なものだと思う。
どの辺がいつもと違うのか、きっと分からない。
そんな小さなことを受け止めて、少しだけ、嬉しくなったり、ホッとしたり…
とりあえず
「今日の面会は良かったな」と帰り道に思い、行って良かったと感じる。

先が見えない認知症も重度の母への病院通いはいつもいつも心は重い。
病院に向かうのにエネルギーがいる。

そして大抵はため息ついて帰途につく。

今日は良かったと思える日なんてほぼナイ。

貴重だ……
そんな日は……

母が入院していて、日々の介護からは解放されているからだろう
母が話をしている姿、声、言葉。
全部が懐かしいと思う。
認知症なって、現実とは違うことを言われ、責められたり、腹をたてたり、イライラしたり、死にそうなほどきついことはたくさんあったけど、
ズレまくりでも、会話が出来たきとが懐かしくなるんだから
認知症っていったいなんなんだとー
なんて罪作りな病気なんだとー

はあ……ため息…

入院前は少しだけど言葉が出ていて、笑顔もあった。
それは今失われた。

もう一度、名前を呼んでほしいな……

もう一度、笑顔をみたいな……

無理だろうなあ






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