「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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笑顔

2014-05-21 | ●介護録(~2015.2月)

なんだろう?
サクションしてもらった後、にこ~っと笑った。
楽になったからなのか、何か見えたのか?それとも笑ったわけではなかったのか?

でも
笑い顔、久しぶりに見た。

で、泣けてきた。

もうすぐ終わるんだろな…と思い…

老健から戻った時、
ラストスパハートだと思い気合いを入れたけど、
あっという間に再入院で、入れた気合いがフニャフニャ~っと溶けた。

そのままフニャフニャ。


母、歯の治療

2014-05-18 | ●介護録(~2015.2月)

口腔ケア中に歯のかぶせモノが取れたという報告。

一瞬、
もう食べないからいいよ…って思った。

実際にはそのままにしておくわけにはいかないわけですが。

本人、何のために何をされているかわからないままに治療か…と思うと
何もいまになって、このタイミングで歯のかぶせモノが取れなくても!!
と思った。


母は、認知症になった時、入れ歯ではなかったので歯の治療はいつも困り事だった。
歯医者に行くのは無理だった。
ある程度、認知症が進行してからデイで訪問歯科に診てもらうのがやっと。
その後、下の前歯がダメになったけど、まさか入れ歯は出来ず。

認知症初期、出来るなら多少の無理をしても歯医者に行っておくのが良い…と今は思う。
訪問歯科も早めに利用したほうが良い…と思う。
ケアマネや介護職の方が必ずしもその情報をくれるとは限らないので、家族が積極的に訪問歯科についても調べないとならない現実もあるんですけど。


歯科治療といえば今になって思い出すのは自分の歯のかぶせモノが取れた時。

痛みがなかったせいもあったんだろうけど、介護中の私は、
「歯医者に行ったら自分のじかんがなくなる」
と、まるで強迫でもされてるように思ってしまってた。
冷静に考えれば、歯医者は毎日ではないし、一日中でもないのに。

その呪縛から解き放たれたのは、それからしばらくして、母の不穏行動が減ってから(進行したってこと)。

で、予約を入れたら、母が熱を出したりで延期…ってことが二回ほどあった。

そして無事に通いだした歯医者。

ショートステイの時に合わせて予約。

でもせっかくのフリータイムに歯医者なんて…と思っていたら、母が入院、老健入所と、幸か不幸か歯医者通いしやすくなったのだった……ああ、やっぱり皮肉な感じ。






♪ギュッギュッと握ったらギュッギュッと返るよ

2014-05-13 | ●介護録(~2015.2月)

力はあるみたいな母。
表情は…泣き顔しか出ないし、言葉にならない声しか出ない。

でも手を握ると強く握り返してはくれる。

ギュギュッと握ると同じようにギュギュッと握り返してくれる。

力がある。
この力があるうちはまだ大丈夫なの?

カテーテルからの発熱後、また弱くなった。
一カ月前にも同じ発熱があったと聞かされて
なんだか弱ったな~と感じていた理由がわかった。

在宅の時だって何度か発熱したけどこんなにガクンと弱ったりしなかったよ…とつい言いたくなる。

退院は無いと言われたことを、在宅介護時のケアマネにメールしたら
入院前は食べられたのに…と驚いていた。

正直、サクッと胃瘻にしていたらもっと元気だったろうな。
いたずらに延命するだけと言われればそのとうり。
でも生きていて欲しいと思う気持ちは……あるんだ…

いずれ胃瘻の選択を…と言われての療養病棟入院。
待っていたけど医師からの話はなく月日が流れて
結局、療養病棟の医師にその考えはなくて
もうね、もう、そんなことなら最初から胃瘻の話なんてしないでほしかった。

イロイロ考えた分、疲れた。
疲れた挙句、何もなく、なんか考え損。

だけどそう
母に、力が、体力があれば、ウダウダ言ってる間もなく、嚥下訓練したんだろうし、嚥下が弱ければ次の措置って話になっていたんだろうし…

こういう運命…

本人は辛いのか?
わからない

「認知症患って、長い間いっぱい頑張ったからもう楽になりたいよね?」
……とベッドの母に何度か聞いた。

ある介護友人が、90を過ぎているお母さん(認知症)から自分は幾つまで生きるんだと聞かれ、100まで生きるんじゃないの~と答えてたら、満面の笑みだったとか。

人の生存本能?
母は生きたいだろうか?
それとも…



さっきラジオから
バリー・マニロウさんの歌声が流れた。
久しぶりに聴いた。
心地よい歌声
なんか癒された
CDをかけようかな






千の風

2014-05-11 | ●介護録(~2015.2月)

あの船の事故以後、「千の風になって」の韓国バージョンがヒットしているとか。
著作権の問題で今まで正式にリリース出来なかった…と記事にあった。

日本でこの歌が流行っていた頃、TVのハングル講座で韓国人歌手が韓国語で歌ってるのを見た記憶がある。
Jーpopのカバーはよく歌われているようだったから、これもカバーしたんだ~って思ってたけど、
あの時、著作権問題抱えたままだったのか?

そして今、あちらの国では、この曲の作曲家が日本人であると、みんな知っているんだろうか?…


個人的には
「詞」のままがよかったと思う。

ただ、一度テレビで加藤登紀子さんが歌うのをチラリと聞いたとき
さすがに上手くて、あっ…いい曲と思えたから、メロディが付いたことは悪いことではないのかも…

お墓に私はいない

お墓があって、仏壇があって
で、魂はどっちに?
なんてことを言ってみたことがある。

親戚に霊感が強い人がいて私は何度か霊視された。
嘘か真実か
思いこみなのか、ほんとに見えているのか感じるのか
私には全くわからないけど
とにかく左の肩に守護霊がいるらしい。
その一人は父。
他に江戸時代くらいかと思われる人がいるらしい。
以前は女性と言われたけど、最近、男性も見えたとか。
なんかよくワカラン
声も聞こえるらしい。
父が「こんなに早く死にたくなかった」と言ってるとか。
もうさ~
そういうのやめて。

半信半疑。
うーーーーん、八割くらい信じてないかな。
とはいえ、見える聞こえるというのを頭から否定する根拠もないんで、話は聞いているけど。




ただいまファイターズは3-0で勝っています。
今日は守備重視のスタメンだそうです。
ずっと守備重視でいいよ。
打撃重視にしたところでドカンドカンの重量打線になるわけじゃなし。

繋いで点とって、守り勝つのがハム野球だったのに
打撃重視の布陣で、エラー出まくり。
それをカバーするくらいに打てるならいいけどそこまで打ててない。
足の早い選手が多いんだから、繋いで、走って、また繋いで、走ってかき回し、虎の子の一点守り勝つ野球が見たいワ

これから病院へ行くから試合が見られない。
このまま勝ちますように。







タティング:スクエア型のプチDoily(5/9写真追加)

2014-05-07 | ★タティング作品

スクエア型に作ってみた。

#40の糸と、DMCコットンパール。

6センチくらいのサイズで、キャンドルポットにちょうどよい大きさになりました。
花モチーフのサイズを変えれば大きさ自由。

ちょっとだけ大きめにして裏からほつれ止めで補強、ビーズを下げてバックチャームにしてみたけど
つけるバックがない(写真より明るいPinkだし~)……
次はもっと渋めの色かラメ糸で作ろう~~



太糸レース(エミーグランデ使用)でコースター。
外回りのチェインを三重にしてボリュームアップ!
四隅にビーズ付けてみた。
裏側にほつれ止めを薄く塗ります(全体に)
カチッとしてヨイです。



余り糸対策にもヨイです。


退院はナシ

2014-05-06 | ●介護録(~2015.2月)

五月1日木曜日、朝、発熱に関する医師からの説明があると電話がきた。
先週末からの発熱。
私、その週の金曜に病院に行ったし
週明けて月曜にも行ってるのに発熱の話は何もナシ。
なぜ?
そういうものなの?

療養病棟に移るときの話は
一時、食事を止め、その後嚥下訓練。その結果により胃瘻の決断を…というものだった。
だから、木曜の呼び出し時、発熱の説明と共に、胃瘻がどうのいう話が出るものと思っていた。

いつまでたっても始まらない嚥下訓練におそらく訓練は無理なんだろうという思いもあった。
だから
胃瘻の話がメインなのか?
…にしてもなぜこんなに何ヶ月も何もないままだったの?
体の状態など時間が必要だったの?
それとも胃瘻もムダな状態まできてる?
それとも発熱がもっと深刻な何かだったり?

いろんな思いがグルグル


医師からはまず発熱の説明
肺炎ではない。
明日から抗生物質投与。
現時点で原因不明だが一ヶ月前にも発熱があり、それは脚も付け根から入れている点滴のカテーテル(?)からの感染だったので今回も同じと思われる。
…というもの。
(4日、日曜日、看護師に聞いたら、やはり同じ感染で発熱の問題は解決。)

この発熱の説明の後に今後の話として

退院はあり得ない。ここで最期、その心づもりを……

という話をされた。
肺炎で初めて入院した時も、高齢者なので朝見たら呼吸が止まっていたということもありますと言われているので、
明日それが起きても不思議ではないのは承知なんだけど
「退院は無い」と言われ、「最期」が
私の中で現実味を帯び、木曜からずっと、今、電話がなるのではないか…とか、
「その時」がきたらまず何をする?…とか
考えすぎてちょっと気が変になりそうでした。

不安は今も消えてないけど、
熱が落ち着いたし、今危ないと言われたわけではないので、少し気持ちもフラットにはなった。

医師からは
退院はナシ以外の話がない。

こっちにしてみると
嚥下訓練は無理とかなんとか、とにかく何か説明がほしい。

「このまま点滴で終わって行くということですか」と
療養病棟移動時に言われた嚥下訓練と胃瘻のことを口にすると
「胃瘻の要望があるんですか」
と逆に聞かれた

えっ……

療養病棟の医師は最初から嚥下訓練だの胃瘻だのは考えていなかったみたい。
そうとは知らず
私は、嚥下訓練の開始、もしくは訓練不可で胃瘻か鼻からかの選択決断を医師から言われるのをただ待っていた。
医師の判断が降りる時を待っていた

「待つ」ことに徹した自分がバカ
なんだ?この数ヶ月って…

今回の説明が
嚥下訓練無理、胃瘻も勧めないという話から始まって、この病棟で終わる心づもりを…だったらストンと心に落ちて行ったんだろうけど…

それは私の勝手な言い分か…

だけど、聞かなければ何も知らせてくれない、説明してくれないらしいこの病棟が……なんだかな~

一般病棟の時は看護師と顔を合わせばイロイロ話が聞けたんだけど、療養病棟ってそこらへん違うのかな。

療養病棟で終わるのはちょっと嫌だな…とそういう思いがあるけれど…

数年前、痙攣で神経内科に掛かった時に医師が
「いずれ食べなくなったら胃瘻になり、その時は療養病棟を探して入るように。療養病棟に入って正面玄関から出てくる人はいない(つまり霊柩車で出て行く)」
と言われたけど、そのとうりになるらしい。

出来れば在宅で看取り、やることやった悔いなし…と介護を終わらせたかったけど…。