「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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介護者カウンセリングなんてのがあったら?

2017-06-28 | ●介護回想(2015~)
米ドラマ(FBIものとか)よくみるのですけど
カウンセリングの話がよく出てくる

発砲射殺した捜査官とかカウンセリングを義務付けられているからストーリーの中で、
義務なんだから行きなさい!
いや、問題ない!
というやりとりはよくある。

それ以外にも

ごく普通に仕事して生活してる登場人物が定期的にカウンセラーのもとに通っていたり(そういうことが必要な感じには見えない元気そうなキャラでも)
子供の時に母親がなくなり、その時にカウンセリングを受けたことがある……とか
仕事でトラブルが起きたあとカウンセリングに通うことになったり
離婚の危機乗り越えのために夫婦でカウンセリングうけたり。


日本も、心療内科が一般的になったし、「街の?カウンセリング」なようなところもあって、専門家に頼るハードルは昔よりは低くなったようには思うけれど、

ちょっとカウンセリングに行ってくる~~

というほどハードル低くはない……


美容院に行くくらいにハードルが低かったら……


先日も米ドラマでカウンセリングの場面があって
本人が話す気になるまでずっと待っていたカウンセラーが
何回目かのセッションで
君が話さないと何もはじまらないんだよ……と声かけ
そして本人号泣

泣くと色々解けていく色々片付く
一気に全てが片付くわけではないけど、楽になっていく
でも、普通の生活では、なかなか泣けない。

もしも、介護しているときに
ハードル低く行ける在宅介護者カウンセリング的なものがあったら
もう少し楽になれたかな?
グチャグチャにたまった介護のあれこれをそこで吐き出して、もちろん解決はしないけれど、心のケアをして、明日からの介護のエネルギーを充填。

安定剤を使っている介護者さんもたくさんいる。

私は、母のために通っていた内科の先生に、思わず、私に安定剤ください!と、訴えたことがあったけど、先生はそのとき、薬は勧めないよ……という感じで色々話をしてくれて、どうしても必要ならいつでも出すから……ということでその日はそのまま帰宅。
結局、私はこの先生との時間で(結果として先生の話を聞いてる時間のほうが長かったけど)癒されたらしい。

(いい先生なんだけど、実はとてもコワイ。)

そんな程度に心が疲れた私には医療機関ではなく街のカウンセリングでも十分だったのかも?


介護中は、
介護者が気軽に訪ねて行けるサロンみたいなところがほしいと考えていた。
そこにいるのは同じ介護者や介護終了者、もしくは介護職経験者。
お茶会しながら愚痴を言う。
プロではないけど、共感しあえるので癒しにはなる。

認知症カフェは、認知症も一緒にだから、それとは別に介護者オンリーのカフェもいいよね。

(あれ?介護者カウンセリングのはずがカフェの話になってしまった)

自分の後始末

2017-06-20 | ▼ユルユル日常
死後事務委任契約



先日、大家さんから、緊急時の連絡先を提出するよういわれた。
アパート全員に……といっていたけど、多分わたしだけ。

全員ならば専用書式用意してこのアパート担当社員が配布するはず。でも、用紙は賃貸契約申込み書の使い回しだし
大家さん(管理会社のエライ人である)が直接持ってきた。どうみても六件配ったようには見えなかった。

それは優しい嘘
でも、すぐわかる嘘

大家さん側にたてば当然
よくわかる

でも、私はちょっとテンション下がった。

ここに住んではいけない私……なんて肩身の狭い……悪いことをしたわけでもないのに……
私はやっぱり早めにケア付きナンタラに住むべきなんだな……エトセトラ……エトセトラ……
いろんな感情が湧く。

以前から気になっていた「死後事務委任契約」をまた調べた。

自分が死んだあとのモロモロの後始末をなるべく親戚に負担をかけずに片付けたいから。

もし、今死ぬのなら、叔父、叔母に託してもいいのだけど、10年後20年後だとイトコに迷惑をかけてしまう。
残念ながら近くに住んでいて行き来のある同年代のイトコはいないので。

死後事務委任契約
検索すると、それを前面に出してお仕事している行政書士さんなどは、うちの近辺にはいない。
北海道内なら札幌、北広島で活動しているところはあった。(上のリンク)

ガッツリと看板だしてくれてると問い合わせもしやすいけれど、そうでないとなんとなくハードル高い。
行政書士とか司法書士とか弁護士とか、そういう方が請け負ってくれるのだろうとわかってはいるけれど。

それに、どのタイミングで?
なんてことも考えてしまう。
来月死にますとなったら今すぐに!となるけれど。

でなかなか動けない。

いや、絶対に契約しておくべきなのだ!
必ず死ぬのだから。
明日死ぬのか、10年後なのかは不明だけど……。

だけどやっぱりなかなか……ハードル高い。





「勇気より平気(by糸井重里)」

2017-06-09 | ▼ユルユル日常
ほぼ日手帳2017/12/12のページ掲載の糸井重里さんの言葉。

「平気は勇気を上回るものです。
勇気と書きたいときには
むしろ平気と書くべきではないかと思います。」


なんかいいなぁ~~と思いました。

勇気をもって次の一歩を!
……それで、なんだか逆に肩に力が入ってプレッシャーを感じそうなら
平気、平気、大丈夫!
……って、ちょっとゆるくこっそり小さく一歩もいいだろって。


勇気を出すのは難しい

平気を装うのも難しい

でも

勇気より平気が心にヨイこともある気がする

パワーダウンしているときは
勇気より平気のほうがハードル低いかも?

「勇ましい気」と「平らな気」かぁ~~

平らな気の上に勇ましい気を少しだけトッピング。





故人を偲ぶ

2017-06-06 | ●介護回想(2015~)
知人が
しばらくぶりに会った兄弟姉妹で亡くなった親の思い出を語り合った……という話を聞いて

あっ、私に欠けているのはコレか
と思った

あの時、こうだったよね~~ああだったよね~~
あんなこと言ってたよね~~
……と、家族でちょっと故人を懐かしむ……


これがない。

自分の中でたまる
もやもや


友人、知人との会話の中で親の話が出ることはあるけど~~
介護や認知症のことで母のことを話題にすることはあるけど~~

しみじみ故人を懐かしむのとは違う

親戚ならば、まあ少しは昔の話だったり、こういう人だったね……という話はするけれど…………

でも、やっぱりなんか違う


心の中で偲ぶのもアリだけど
声に出して、言葉にして誰かと語るのとは違うし……

その中間にあるのがこのblogだったりするのかな?
外に向けて発信
想いを言葉にする

弱音を吐くのも自由


ということで


会いたいよ~~~~~~