goo blog サービス終了のお知らせ 

「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
→こちら Instagram

介護者にガンが多い??……

2015-11-30 | ●介護回想(2015~)
「老親の介護をする人に、がんが多い」(プレジデント)- Yahoo!ニュース


こんな見出しの記事があり、なにか統計でもあるのかと読んでみたら

家族介護者はストレスが多いという話。
だから、ケアラーズカフェのような駆け込み寺が必要で
ケアラーズ手帳という冊子がとてもよいので買ってみて
……という 記事でした。

ガンの話はケアラーズカフェの代表の方が、老親の介護をしている人がガンになることが多いという印象があると語っているだけ。
単なる個人の印象だった。

こんな見出しつけていいのかな?

内容だって、ガン云々がメインではないし


どうなんだろう?
確かにストレス多いし、自分のことは後回しになるので、健康を害する人も多いと思う。
ただ、介護者の平均的な年齢を考えればガン発症が多い印象があっても不思議でもないような……?


アンケート結果も載っていた

体に不調を感じてる人と感じてない人の割合、ともに40%台。
半数の人が不調だ……というべきか、不調を感じてる人は半数しかいない……というべきか?
不調って、肩凝り程度も入るのかな?
(アンケートって質問の仕方でとうにでも導けるよね、と最近思う。)

常設の介護者駆け込み寺
あったらいいなと思う。
だからそれを広める記事は歓迎だけど、普通の見出しでいいよ。こんな煽り方は嫌だな。


介護、手伝わない人ほど…………

2015-11-19 | ●介護回想(2015~)

「手伝わない人ほど、『何かあったら言ってくれ』と言います。でも、これはタブー中のタブーの言葉。手伝う気があれば『病院の送り迎えは、自分がやる』など、具体的に言うはずです。親を心配しているようで、何もしていません。このような人の心中は、世話になった親だけど、なるべく自分が介護するのは避けたい、というのが本音です」

親ケア.comを運営する横井さんというかたの言葉。

親の介護、話し合うタイミングは? | 親の介護、どうする? | mamatenna

↑こちらの記事にありました。


通快~~~~といったらアレですが……

これくらいのことを介護してない身内に言いたいと思っている介護者はたくさんいるはず。

私は兄弟姉妹いないけど、親戚からそんな言葉を言われたことはある。
母とは義理関係になる親戚だったから、何かを頼むつもりもなかったし、リッブサービスと思ってた。
だいたい
隣近所にいるわけでもないんで、助けて~~~~といってもすぐかけつけられるわけじゃない。

何かあれば……と言ったほうも、
距離あるし、そうそうヘルプ~~~~!といってくるわけもないだろ……と思ってるンじゃないのか?
きっと
「何か」というのは、ホントにホントの特別な「何か」
倒れた……とか入院した……とか亡くなった……とかそういうことなんだろ。

「何かあれば」

とりあえず言っておく。言ったからね。
…………免罪符?

言ったけど、何も言ってこないから問題なく介護進行中と思って……

もっともな理由になる?


介護者はホントは期待している。

何かあれば言って……ではなくて
顔見せにけ来るお客さんではなくて
介護をしに来てほしいんだよ


ただ
普段、介護してない人にとっては
半日、一緒にいる(メイン介護者のいない状態で)だけでも不安なんだろう。
何かあったら……とも考えるンだろう。
そうすると、気楽に代りをやるよとは言えない側面もあるんだろう。

でも、
それで避けてられるのは、代わりの誰かがメイン介護者として頑張っているから。


誰かに委ねて見ないふり

いいなぁ

現実と向かいあうのは、時に辛い。

一人っ子の私は
仕方ないと割りきれるけど
兄弟姉妹がいると、色々複雑だろうなぁ


母が入院していた時
デールームでボケ~~としていたら、ケースワーカーと家族の会話が聞こえてきたことがあった。
状況としては入院看病というより、介護の領域ぽく、今後どうしようか……ということを話していた。
話していた女性は娘さんではなく(はっきりわからなかったけど、父のなんとかのなんとか…………ってややこしい系図だった)
倒れた人に実子はなし。
養子が二人(だったかな?)いたけどどちらともうまくいかなくて~~~~云々。
とにかく今は独居らしい。
で、その女性より倒れた人と近い親戚は、その人に対して無関心。
……というような話だった。

漏れ聞こえる話に
「ああ、この人は貧乏くじ引いちゃったんだなぁ」
と思ったことを覚えている。
なぜ私?と思いながら、でも、知らんぷりは出来ない人。

世の中は
そんなふうに無視できない人と、平気で知らんぷり出来る人とでバランス取って回っている。

冬眠し過ぎて?体が痛い~~(T_T)

2015-11-16 | ●介護回想(2015~)
人間は冬眠してはいけないのです……(-_-;)

夏が過ぎて、半冬眠から目覚め?先月下旬、ちょっと出掛けてそこそこの距離を歩き
今月に入って、久し振りに友人にも会い
心が元気になってきた~~と思ったら
筋肉痛?
腰痛?
なんか腰とか足とかバランス崩した?

まあ、回復傾向ではあるんですけども……なんか痛い……

今年は体と心のバランスがグダグダなまま過ぎてしまった。
色々不調になるし
回復!と思ったら別なところが……の繰り返し。

介護が終ると、介護者が倒れる……なんてこともよくある話。
私は倒れてはいないけど
荷おろし症候群なんだか更年期障害なんだか
よくわかりませんが、色々痛かったり不調だったり……
病院にはいってないけれども(行くほどではないともいえる)もし行っていたら、なんか病名ついたんだろうか?

ああ、でも、ホント、気持ち悪いデス
「ホットフラッシュ」
それ自体はさほど苦しい症状ではないんだけど
たまにある「ホットフラッシュ→鳥肌→ホットフラッシュ……以下リピート」がちょっと辛い。
そして
いつまで続くんだろ?と思うとそれがストレス。

なぜ、介護が終わったタイミングで始まった?!
……というか、介護終了(母の死なので)したから始まったのか?

心と体はホントに繋がっている。

来月7日は一周忌。
早いです。

アラフォーで介護者になった私に介護職の人が言った言葉

2015-11-10 | ●介護回想(2015~)
もう年月もたったので、たまに、こんなこと言ってなぁと思い出す程度のことだけど……言われて嬉しいことではないので、その時も、一瞬固まった……

介護者になって何年かはたっていたと思うけど、母はまだバリバリ動き回っていた頃。

多分
介護者としては若い世代だったので
回りの友達で介護してる人いないし~……みたいな話題になったんだと思う。

その時にある介護職の人が

「でも、いずれ友人たちも介護することになるから、その時は、いろいろアドバイスしてあげられるよ」
な~~んて、言ったのでした。

「そうだね」
と返事したけど

心の中では

それってイイ事か?
楽しいのか?
幸せなのか?
なんか得ある?

…………とグニグニしていた。

今もたまに思い出すとやはりグニグニする。

後々、介護していたと分かった友人もいたけれど、介護前に付き合いが深かった友人たち、今も介護とは無縁。
今後もし介護状態になったら、もちろんいくらでも愚痴は聞くし共感も出来るけど…………

でも、
それってやっぱり

イイ事か?(私にとっても、友人にとっても)
……って突っ込みたい。



介護中の私が欲しかった場所

2015-10-31 | ●介護回想(2015~)
「先に死なないために」――無償で介護する人(ケアラー)がすべきこと(プレジデント)- Yahoo!ニュース


↑の記事でケアラーズカフェが紹介されている。
介護者さん中には知っている人も多いかもしれない。
私も介護中からネットで見ていたし、blogに訪問してくれていた方で実際に参加している方もいた。

もし、近くにケアラーズカフェがあったら利用していたかも?

一度、色々辛くなって、介護110番?的なところに電話したことがある。
でも、繋がらなかった。
全国展開のところだったから簡単には繋がらないものなのか、たまたまその時込み合っていたのか?

この時、私の精神状態は、
少し間を開けてかけ直そう……なんて冷静なもんじゃなく、
ああ、繋がらない……もうダメだ……全てが嫌~~
……という感じ。

せめてローカルならば繋がりやすいだろうに……と思った。

◯◯について助言がほしいとか質問ならば、居宅事業所はもちろん保健所や役所に相談してもいいけれど、介護の日々の愚痴レベル、煮詰まってグダグダな時にそんな場所に電話なんてしてもダメだろう。

だから
介護中にあったらいいな……と思っていたのは
「キツイ、ツライ」と思ったその時に駆け込める場所。


その頃、頭の中で想像していたのは……


その場所に行けば必ず誰かがいてくれる。
それは同じ介護中の人や介護を終えた人、あるいは介護職経験者。
理想は毎日開いていること。
デイサービスなどで介護者が自由になれる時間帯にオープン。
仕事と介護を両立している方のことを思うと夕方以降も開いてるのが望ましい。
が…………それはかなり厳しいだろう。
(最低でも週三回くらいはオープンしてほしいけど)
どこに住む人にも行きやすいように街の中心部だとなおヨイ。

そして、それは介護者主導であってほしい。

私の中の勝手な思い(思い込みかもしれない)で、
介護者の集まりで、役所関係、事業所関係の方が主導すると、なんだか勉強会みたいになったり、司会進行者のペースでカタイお話の会になるから。
そういう場では本音は出にくい。

介護者の友人だけで話すと、時に、第三者が聞いてたらなんか親のこと酷いこと言ってるぞ?!と思われそうなことをワイワイと言い合い、笑い、毒吐きすることがある。

やっぱり、そんなことが言える駆け込み場所でなければ存在意義がないと思う。

かなり前、私がこのblogに母のトンデモ言動を書いたところ、
「親を笑いものにしている」とコメをもらったことがある。
そんなふう思われても私には必要なこと。
自分の日記にかけば?といわれるかもしれないけど、外に向かって発信することで救われることは多々あった。
それだって、ほんの一部。
介護者はいろいろかかえこんでる
言いたいことの半分も言えてない人も多いはず。

「わかる、わかる、うちもおんなじ」

この一言が欲しいんだよね。
そしてこの言葉をくれるのは同じ介護中間

私の介護は終わったけど、
今もそんな場所が出きたらいいな……という思いはまだある。

ケアラーズカフェの記事をみて、そのことを思い出した。

でも、やはり、運営は難しそう…………。


枯れ逝く命

2015-10-12 | ●介護回想(2015~)
母が肺炎になる前の私、胃ろうまでして生きるのは……と思っていた
でも
選択しなくてはならないかも?という立場になったら
人としての尊厳などという理屈は
ただの綺麗事にしか聞こえなくなってしまった。

尊厳死ってなに?

それを語れるのは本人だけ
自らそれを選んだ人だけ

そんな気がする


第三者が、
胃ろうって人としてどうよ?と言うと

100%自立して生きられないなら人としてダメって言ってるように聞こえる……
人間やめて死になさいってこと?
……
そんなふうにもちょっと思った。


認知症は本人の思いを確認出来ないから、想像するしかない。
きっと、そんな延命を望まないに違いない…と。
ただ、その決断を下すのは辛いこと。

赤いシャツと黒いシャツ、どっちにします?
と聞かれて
母は多分赤を選ぶと思うので赤にします
……というのとはわけが違うもの。


母は胃ろうになることはなく、中心静脈注射で約一年生きた。
簡単にいってしまうと、それは私の選択の結果ではなくて医師の判断。
世の中は何でも胃ろうという時期を過ぎ、反対する医師の声も出ていた。
(療養病棟の医師は鼻からの注入には反対)

もはや胃ろう云々の段階ではないんだと納得しつつも
(最初に担当した医師が胃ろうの話などしなければ悩まなかったのに……)
胃ろうで栄養状態が多少でも改善したらゼリーくらい食べられるようにならないかな?
という淡い期待もあったから

認知症が進行した高齢者に胃ろうをしても栄養状態の改善はほぼ見られない

というある医師のblogに出会って本当に色々腑に落ちるまではモヤモヤしていた。


ワタシは勝手に
もう食べたくないと口を開けなくなって、それで枯れていく命………をイメージしてたので、
入院直後はエア食べしてた母を見て、なんとかならないものか?と考えてしまったけど
きっと、肉体年齢よりはるかに脳年齢は老化してたんだろう
食べる気はあったみたいだけど
飲み込む力はなかった。
それも脳のせい。

想像していたのとは違ってたけど
枯れいく命だったんだ…と思う。

でも
もしも外から栄養を与える方法がなければ、食べられなくなったところで命の終わり……と考えだすと
点滴はいいけど、胃ろうはダメ…っていう線引きは何?とか……
頭が痛くなる。


「おひとりさまの老後」という本の中に
障害があって介護を受けている方が

「尊厳死は尊厳殺よ」

と話しているという記述があって

尊厳死ってなに?
という私の問の答えか?と思ったり………

難しい宿題なので解答出来ず…となりそうだけど。

介護回想:うっかりしてたり見ぬふりしたり

2015-09-26 | ●介護回想(2015~)
先日見た夢に登場した母は、介護度3くらい。
商店街で買い物中、トイレに行きたいというので連れて行き個室に入り…で、母をよくみたら
鼻から左右とも一本ずつめちゃくちゃなが~い鼻毛が!!
もう~なにこの夢~マンガみたいだよ~

……と思うと当時に

介護中、ついつい見逃したり、うっかりしたり、見てみぬふりしてたことを象徴してるなぁ~と思い至った。

日頃、パッと目につかない部分

そういうところに気づけず……ということが結構あった私である。
(気づいたけど見ぬふりもした)


足のムダ毛とか…
おへそのゴマとか……
耳掃除とか……
鼻毛も
爪切りも忘れがちだったり

気がついたらすぐやればいいのに
デイ帰ってきてからにしよう~とか、夜、着替えた時にしようと思い
結局忘れる
朝、思い出すけど、お迎えくるからそんなヒマないわ……帰ってきてからにしよう~~以下リピート(^-^;
そんなことも多々あった。


朝の着替えでズボンを後ろ前にはかせてしまい
よし、完了!と思ったところで気づくけど
……見なかったフリ
デイでお風呂の日だし……と言い訳。

後ろ前ってはいてる本人は嫌だよね
(北海道弁では、こういう時、いずい と言う。
サイズが微妙に合わない靴が気になって履き替えたいような……そんな時に、なんかいずくてヤダ……とか言う)

許して~とか思いながら見ないふりして
明日ね~と言ったりして。

そう言えば
かかとがかなり薄くなっていたソックスに全然気づかないではかせてたこともあった。
たまたま間違って自分がはいて、歩いたらフローリングがヒヤッと!

冬にはかせていたズボン下
母が亡くなってから、棄てる前にちよっとはいてみたら、とても履き心地が悪くて
こんなのはかせてたのかぁ~とガックリした
亡くなってからじゃなく、先に試せよって話
でも、そうしていたら
えっ~せっかく買ったのに~どうしよう~もったいないし~と唸ってそうだワ

母も色々やらかしてくれたけど
私もあれこれやらかした

終われば笑い話になるけれど
やってるときは余裕ないから
でも
色々あって奥が深いよ、介護。





嚥下の話

2015-09-19 | ●介護回想(2015~)
今朝の夢……
エレクトーンを弾いている私。音は出ているのだけど鍵盤がない!アッパーキーボードもロワーキーボードもない!
(なぜかペダル鍵盤はある)
なのにちゃんと弾いてる。指は動いている。
よくみると、それはエレクトーンではなく……仏壇!
なんのよ、この夢……

…………………………………………………………

さて、本題

一昨日、ローカルのラジオ番組で医学博士が嚥下について話していた。

嚥下障害はほぼ脳の病気

と、開口一番。

まあ、当然そうだよね~と思いながらも、こんな風に医師からハッキリと言われたことないし、なにかの資料などでもよんだこともないので
あっ、なんかスッキリした……という感覚になった。

あくまで自己満足的に、「仕方ないんだよ、誤嚥。」って。

医師のその言葉のあと番組パーソナリティーが
筋力の衰えじゃないんですか!?……と叫んだ。

もちろん飲み込む力の低下、筋力の衰えだけども脳の病気から起きると医師。

脳梗塞やくも膜下、認知症、パーキンソン…。

認知症になると食欲中枢がやられるからとんでもない量を口に入れるんだよ
なんてことも話してた。


高齢になると喉が細くなり水分も不足するので
極端にいうと
一口食べるごとに水分とる……ぐらいの意識でいいらしい。
が、高齢者はトイレがチカクなるからと水分を取らない……。

現在介護中の方、被介護者が水分補給拒否がないなら、意識して水分をとったほうがよいですよ。

誤嚥性肺炎になったら終わりです。


時々思うんです。

家族はある日突然
嚥下能力の判定…とか
誤えん性肺炎…とか
そんな単語を聞かされる……って。

その症状が出て初めて聞く
肺炎後に初めて嚥下の判定を受ける
当然、能力は低下していると判定される。
そんなもん、誤嚥したあとに言われても……

予防という意味でも、ある程度認知症が進行し、嚥下に難あり?と思われたら肺炎になる前にやってほしい。

だって私は
モグモグ、ゴックンしてる母を見ていて、飲みこむ力がそれほとに落ちているとは分からなかったもの。

それとも、もういいんじゃね
ってことか?
進行してるんだし、治らないんだし、もはや予防だのなんだのの段階ではないってことか?
遅かれ早かれだからね。
誤嚥する人もいれば、しない人もいる
ああ、もう、ぜ~んぶ運命

あっ、万が一、食べ物がつまったら
背中側から手を回して下腹をグイ!っとやるのが一番だそうです。(ケアマネもそう言ってた)
それでだめなら背中トントン。
口に指を入れるのはNG。さらに奥にやってしまう危険もあるし、指を負傷することもあるので。



P.S

昔昔、20代の頃
私はコカ・コーラ味のまん丸飴が喉にパコッとはまり、上にも下にも動かず死にそうになりました。
多分、短い時間だったんでしょう、生きてるし。
(倒れたり、病院に運ばれたりしてない(^-^;)
苦しかったわ~~
以後、まん丸飴玉は完全スルーです。
(もしかして以前にも書いてるかな?この話)

介護終了した今も「頑張らない介護」は無理と思っている。

2015-09-11 | ●介護回想(2015~)
※タイトル変更しました。「頑張らない介護」は無理と思っていた→介護終了した今も「頑張らない介護」は無理と思っている。



「あなたが元気に暮らすことが供養だから。心配してると成仏出来ないでしょ」

と言われたわたし、思わず

「お母さんは成仏してないってこと?」と返していた。

多分、なんてことない時ならば

そうだよね~それが供養だよね~
ウダウダしてたら怒って化けて出てくるかも~

とか言うんだろうけど。

敏感になっているのか?

エールのはずのこうした言葉も
必ずしもエールにはならない……と学習シマシタ。


供養だのなんだのには敏感に反応しておきながらなんですが
介護中の私は
介護頑張って系の言葉は全く気にならなかった。

友人が別れ際に
「介護頑張ってね」といえば普通に受け止めていた。

上から目線で
こうしなきゃダメよ……もっと頑張りなさい
なんて言われたら切れそうだけど
大抵の場合は、普通にエールだから。

そして、逆に
頑張らない介護を応援します……というCMには

介護は頑張らないと出来ないの!
と、突っ込んでいた。

もちろん
その言葉は
一人で抱え込まないで
ガンバリ過ぎないで
というエールだとわかってる
でも
やっぱり
頑張らない介護なんて無理……と思ってしまう

普通の日常ではないもの
少しは頑張らないとね
気合い入れないとね
……出来ないなぁ


ガンバレという言葉は妙に難しい

ガンバっているであろうその人にとって
「ガンバレ」がパワーになるのかプレッシャーになる状況なのか、外からはわからない

「ガンバレ」……というのは簡単
……ともいえる。

そっか、だから「ガンバロウ」はいいのか?
震災からの復興にはガンバロウ◯◯!はいっぱい使われる。
一緒に頑張るということだから。

だからって
「頑張ろう介護」なんていってもね……
ガンバルのは介護者だけの話だし
「頑張るな介護」ってわけにもいなかない
だからやっぱり「頑張らない介護」か。


私的には
「頑張らないと出来ないのが介護だった」
そんな感じ。

荷下ろし症候群

2015-09-03 | ●介護回想(2015~)
荷下ろし症候群なるものがあるとは知らなかった。
燃えつき症候群なら聞いていたけど。

介護友達の叔母様が介護終了後に体調を崩し、最終的に荷下ろし症候群の診断が下ったという話を先日聞き
検索してみると

燃えつき症候群は、大きな仕事や目的達成後の虚無感などから起きるもの。

荷下ろし症候群は、介護や育児が終わり肩の荷がおりて晴れ晴れするはすがそうならない。

明確に分けているサイトと同じものとして説明しているサイトかありました。

サクッと晴れ晴れ出来る人もいれば、時間のかかる人もいるはずで、私はちょっと時間がかかってるみたい。

理由は色々あるかな?

がっつり在宅してきたから、なんというか、介護の密度が濃い……みたいな?
もしかして、早くから施設介護だったら荷下ろし感はもう少し楽だった?

それと……
誤えん性肺炎にならず、寿命かな……という亡くなりかただったらまた違う思いだったかも?

孤独感も今は強いし……
一人っ子なので、昔から親が亡くなったら独りという覚悟はしてたけども。

納骨おわり、手続きもおわり(遺品整理とかまだそのままだったりはするけど)
気が緩んだのか、だんだん泣けるようになり、
最近は夢を見るようになった。
亡くなったばかりの頃は、全然夢に出てこないなぁ~と思っていたけど。

その夢がリアルでちょっと辛い。


「荷おろし感」は私にもある。
介護は体力的にも精神的にもキツイ。それをもうしなくていいんだから肩が軽くなるのは当然。

ただ
介護での荷おろしは、普通は死別で起きるもの。
治るわけじゃないし
介護の責任を誰かに譲って解放されるなんてことはほぼないはず。
そういう意味では、単純に軽くなるってものでもない

介護中、我慢していたこと、中断していたこと、休止していたこと
明確に介護終了したら「やる」「やりたい」ことがまっているなら、一段落ついて落ち着く前に(荷おろし症候群に陥る前に)サッサと手をつけてしまったほうがいい……多分。