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「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
→こちら Instagram

お尻ふき?体ふき?シートは冷たい……

2016-01-27 | ●介護回想(2015~)
寒い季節にはヒンヤリと冷たい
当たり前だ
といって温めて使うようなものでもなく……

ベンベンで汚れたお尻を綺麗にする時に
(大抵はデイに行くしたくをする忙しい朝)
冷たいだのなんだの考える余裕はない

……というより

シートは冷たい

ということなど頭の片隅にもなかった

と言うほうが正しい

そういう細かいところには全く意識が行かなかったわたし。


えっ、お尻に使うとこんなに冷たいものだったんだ

と、身をもって実感したのは母が入院してからだった。


なぜ気づいたか?

まあ、当然使ってみたからで……

なぜ使った?

それは…………ナイショ。


メーカーさんはそんなこと考えて作ってないよね?多分。

体に使うと手の感覚よりヒヤリとします
……とか、注意書あったかな?



紙パンツも夏は蒸れるし……


認知症の本人は不満は言わない(言えない?)

介護者の利便性や負担軽減(金銭的にも)が優先かな?
それも大事だけど……

不満が言えないだけに

使い心地の良さも大事。


でも

シートが冷たいと分かっていたとしても
忙しい朝、やはり使ってしまう自分がいたような気がする……






母の左手(食事介助中の写真を見つめて)

2016-01-21 | ●介護回想(2015~)
処分しきれずにまとめたままの介護関連モノ
それを少し整理

小規模多機能での食事介助中の写真があった

この写真をもらったときは
ただ
「全介助で食べさせてもらって…………」と思い
その背景には、母よりも介護度の低い利用者さんがチラホラ見えて、
つい比較して凹んでた。
(母のほうが若かったりするもので……つい)

介護が終わって
今、改めて写真を見ていたら

母は心持ち、顔を前に突きだしている
スプーンのほうに口を近づけようとしているのがわかる
自分から食べようとしているんだ……
そして
左手は、落ちてくる何かを受け止めようとしているような形で
アゴと胸の間くらいにそえられていた

受け止める気満載!というほど力強くはない
実際に口から何かがこぼれても多分受け止められないだろう
でも
そんな左手の形が
ちょっと胸を打つ


介護中はこんなことカケラも考えなかった

今だから
気づけた

母の左手

気づけなかった色々がもっとあったかもしれない……

でも

「気づけなかったとしても仕方ないよ」とあの頃の自分に思う。

今、介護進行中の人に
「もっと気づいてあげて」とも言わない。


終わったから見えた、感じ取れた

そんなこともある






認知症はインプットよりアウトプットが不得意なのかな?

2016-01-09 | ●介護回想(2015~)
以前ここに書いたことがあるけれど

母の日本語が宇宙語になってしまったころ
私はふざけて
意味不明な母の言葉を真似するように
「ハラホレヒレハレ~」とかなんとかメチャクチャな言葉?を言ってみたことがある。
どうせわからないだろ……と思っていた

母のその時の表情は「?」MAX。

少し前なら
私が生半可な返事をすると「聞いてるの?!」と怒ったけど
その時は
怪訝そうな顔をするだけ
「何言ってるの?!」と文句言うことは出来なかったらしい。

でも、あの表情から考えれば
意味不明の妙な言葉(音か?)がインプットされた……という認識はあったのかもしれない。

介護中は
聞いているのか、わかっているのか、通じているのか?
と思うことだらけだったけど
「インプット」はされていたのかもしれない……と今更ながら思う。

だけど多分、アウトプットはうまく出来ないんだろう。

思いはあるのか?
あるけど、出てこないのか? 出しかたがわからないのか?
そもそも、出す気がないのか?
感情は動いても言葉がついてこないのか?
あるいは感情さえも奥の奥のずっと奥にわだかまり、なかなか表に現れないのか?


母の言葉がおかしくなった最初のころ

母のトイレがながかったので、大きいほうだろうと
トイレから出てきた母に
「たくさん出た?」と聞いたら
「アンコ、たくさん出た」と答えた。

レンジでチンしたタオルを渡したら、顔を拭いた母が
「おいしい~」と言った。
そこはおいしい~じゃなくて気持ちい~だろと突っ込んだけど、あとでこのblogコメントで
レンジでチンしたから何か美味しそうなにおいがしたのでは?と言われ、なるほど~と納得したのを覚えている。

例えば
急な反応で「痛い!」とか「熱い!」
冬の朝のお迎えで、私がスタッフと話していると「寒い」と訴えたり
私が何かを落とした時に、「危ない!」と思わず口にしたり
そういうことは会話が成立しなくなっても出ていた。

最後も
「苦しい?」の問いかけに
思いがけず「うん」と頷いたから
ずっと、こちらの声かけは届いていたのかもしれない。

だけど、なかなか反応してくれないから

聞こえているのか?
わかっているのか?
通じているのか?
全く手応えがなくて……辛い

ずっと「?」を抱えたまま、終わってしまった
認知症の介護




介護の愚痴を言い合ったクリスマスの夜

2015-12-26 | ●介護回想(2015~)
クリスマスにはなんてそぐわない会話……😢

(介護の話の前には、友人→車、修理。私→電子レンジって何ごみ?……そんな会話……(-_-;))

そう、友人は車修理のため(年明けまで待たねばならず)お母様がいるホームに年末年始どうやって行こう~?
という話をしたので、介護愚痴になったのよね。

私は介護終わったけど気分は進行形。

「認知症が言わせてるんだからお母さんが悪いわけじゃない」
「手をぬいて、頑張らないで」
「使えるサービスは全部使って」
エトセトラ……

介護経験のない人達が↑あっさり言う。
(仕方ないことだとわかってはいる)

そして私たちはテンション上げて叫んだ(電話でね)

「認知症が言わせてる?そんなことは百も承知だい!」
「抜けるところはとっくに手をぬいてるさ」
「頑張るな?頑張らないと出来ないんだよ!」
「サービスなんて限度額いっぱい使ってるよ。でも足りないの!」

手をぬいて……という人が、
その分私が代わるから……と言ってくれるなら、安心して手をぬけるけど、代わりがいないと抜いた分は後で自分に返ってくるということを、手抜きだの頑張るなだの言う人はわかっているんだろうか?

目の前に使用済みおパンツが転がっているけど面倒くさいと放置したら、それは誰が片付ける?
介護の手が複数あってみんな協力的ならばともかく……
まあ、おパンツ程度なら半日放置してもいいけど、本人着用状態(タプタプ状態)ならそのままにしておけるわけもない。
だから、エイ!と頑張らないとならないんだ。

で、あんまり愚痴ると施設に入れれば?と言われておわる。
施設に入れたら介護は終わると思っている人もいるようで……。

「頑張らない介護」って
頑張りすぎる介護者がいけない、もっとゆる~く笑って介護すればいい話。ちゃんとやろうとし過ぎる介護者の性格が災いしてるのでは?……と言っているような気もして、
未経験者は、手抜きして頑張りすぎなければ大丈夫!と、短絡的に感じてしまいそうで、やっぱり好きになれないなぁ。


……………………………………………………………………………………

Instagramでどこかの国のクラフトショップの画像の中に、日本語ラベルのついた糸玉がありました。
100%日本の綿という商品らしい。
その日本語ラベルの文字

「コットソ紐」

………………(-_-;)惜しい……それはコットン!コットソではない!
紐?…………そこは普通「糸」だろ~(>_<")

ああ、突っ込みたい……o( ̄ー ̄)○☆
でも、言葉が分からない(T▽T)


介護もタティングも、もっと手がほしい~~

2015-12-22 | ●介護回想(2015~)

あれも作りたい、これも作りたい

もう一組手がほしい。
同時進行でガンガン作り倒したい……(肩こるけど)
そうなると脳はどうなるんだろ?
しっかり二つ作品を作り分けできるのかしら?

手がほしい………
介護中もよくそう思った。

介護度が4かあるいはまだ3だったか
立たせた状態でパジャマ着替えやパットとり替えなどやっていたころ。

つかまれるものがあるところに母を立たせて取り替えるのだけど
ソレがなかなかコワイ。
つかまっててよ…は通じるのだけど
転倒しないように…なんて意識はないから勝手に手を離す
筋力はそこそこ、一応立てるし歩けるけど注意力なし
簡単に転倒しかねない。

うまく私の肩に手を回してくれていると安心だけど
そうではないと、おパンツ下げながら不安て仕方ない。

ああ、手がほしい~~~
二本でも三本でも手がほしい~~

…と何度思ったコトか。

介護って、一人では手が足りない側面がたくさんある。
私自身、体格よいほうではないし、力もない
母が小柄だからなんとかなったけど…。

介護ロボットが一家に一台くらいあるとうれしいな。
力仕事はお任せ出来たらかなり楽だ。
(事故は心配だけど)

コツをつかめば……とか言われるもののそう簡単じゃない。

多くの家族介護者は何の訓練も受けないままにいきなり介護が始まる。

私の場合
認知症の介護から始まったので
最初の頃は母のとんでも話や記憶の混乱、妄想、徘徊への対応が主で
身体介護のノウハウを考える余裕などなく
気がつくと身体介護が始まっていた…という感じだ。
資格を取るためではなく、軽い講習会などあるとよかったけど…
もちろん、介護職の方に教えてもらったこともあるんだけど、送迎時にチョコチョコ…というレベル
YouTubeを参考にしてみても、見ている分には、なるほど~~だけど
やってみると……うーーーーーん……。

まあ、とにかく大変でした。

きっと手が四本でも
足りない!
…と思うのでしょう。



半年ぶり(もっとか?)にパソコン立ち上げて、ブログ書いている。
キーボードうつの久しぶりすぎて、あれ?どうだったけ……と思う。
おかしい…ユーザー辞書に登録しているはずの単語が出てこない
……と思ったら、ATOKがIMEに切り替わっていた、

立ち上がるの遅いし……
パソのある部屋寒いし……
タブレットの方がやっぱり楽だわ~~
でも、パソでなくては出来ないことがあったので……。
この「中央揃え」もそう。
アンドロイドのgooアプリでも出来るようにしてほしいな~~

 


介護が終わった日のこと…………メソメソしていいいですか?

2015-12-19 | ●介護回想(2015~)
一年が過ぎたのに私はまだグズグズしている。

父がなくなった時、「今までいた人がいないことが普通のことになるまで3年かかる」と言われたことがある。
3年かかったかどうかもう記憶にはないけど、当時の私は仕事をしてたし、引っ越ししたりバタバタもしてた。
祖父母が入院してやることが増え、なんだかんだで失業したら、母がおかしくなってきた……。

そして介護一直線。

二度目の入院で療養病棟に移って点滴になった時
もうそんなに遠くない「いつか」、シングル一人っ子の自分が独りになるのを覚悟しながら、想像するのはとても怖かった。

多分、納骨とか手続きが終わって一息ついたら、怖さが襲ってきたんどと思う。
体も心もすっかり萎えてしまった。
でも、お腹は減るし、掃除もしなきゃならないし、出掛けるエネルギーはなかったけど、趣味をする気力はあったから生きられた。
メールや電話や、そしてネットがあったから生きられた。

半冬眠生活は秋まで続いた。
そこからだんだんエネルギーは戻ってきたけど、まだ少し冬眠中。

普通なら、友達に会いたい~何か楽しいことしたい~退屈~……と思うはずなんだけど、エネルギーがないとそんなふうにも思わない。
食べてたけどやせたし。
(大昔のスカートとか全然平気!これをキープしたいもんだ)

介護のことを色々考える。
思い出すと泣けたりする。
腹がたち、イライラし、怒鳴って泣いて……
それでも、母は母だから
悲しい。
認知症になって、他人様の手で下の世話をしてもらい、言いたいことも言えず、最後は何も食べられず、病院のベッドで一人命を終わらせた。

夜中に人知れず亡くなる…………
一番避けたかった終わり方だった。
出来るなら、容態が変化して付き添って、そして看とりたかった。

どうなって命が終わったのか私はわからない。
看護師に聞いてもわからない。
死因は肺炎になっているけれど。

在宅していても夜中にそうなったかもしれない。
そうなれば、のんきに寝ていた自分を責めたかも

亡くなる前日の土曜日、私は面会に行かなかった。
近くの手芸店で買い物をしたあと、となりのスーパーに行くと、クリスマスソングが流れていて
クリスマス…………関係ないなぁ~。母はケーキも食べられないし。
などと思いながら
明日、面会行こう~……と思っていた。
でも、明日はなかった。
その前日の金曜日、いつもとなんらかわりなかったのに。

最後の声は

初秋くらいだったか、むせて咳き込んだ母に
「苦しい?」と聞いた時に返ってきた
「うん」という声。
返事がかえるとは思わずに掛けた言葉への、思いがけない応答だった。


「徘徊」を言い換えようという声が出ているらしい。

2015-12-16 | ●介護回想(2015~)
「痴呆」を「認知症」にして
「問題行動」を「行動障害」(最近は障害も障がいと表記したり)にして
何か変わったのかな~~~~と思うこともしばしば。

家族の立場としてはどうか?
痴呆って確かに響きがよくない。
でも
そもそも認知症にしたからって、その病気がどんなものなのかわからなくなるわけじゃない。
みんな知ってる。


最近、徘徊を別な言葉に変えようという声が出ているらしい。

私はこのblogで母の徘徊を「外歩き」とよく書いた。
かたくなに徘徊をさけていたわけではなくどちらも使った。
使い分けは気分。

外歩きと書いたのは
徘徊という言葉は無目的にブラブラ~~~~というイメージが強かったから。
母の場合、そろそろ家に帰りますという意思のもと着替えてバッグにサイフなども入れて、私に挨拶までして家を出ていた。
時には自力でタクシーに乗り、あるいは、◯◯に行くバスはどこで乗ればいいか?とガソリンスタンドで尋ねたりしてた。
徘徊の持つイメージとは重ならないという思いがあったから。
……ということはやはり徘徊という言葉に抵抗はあったのね、きっと。

ただ、
介護の現場で徘徊という言葉を使うことはいいんじゃないかと思うのだけど?
「◯◯さん、徘徊」
一言で状況把握デス。

おパンツが「汚染したので~」と言われた時は驚いた。
公害か!!?……と思ったし。
これも現場では「◯◯さん、汚染」で全てが通じるのだろう。
最初は驚くけど、まあ、そういうもんかとわかってしまえばそれはそれ。


介護の現場で働く人たちのなかから、徘徊はよくないよ……という声が出ているのだからそれを否定する必要もない。

でも、正直、言葉を変えても……とも思う。

「う~~ん……汚染か~」と思ったのもホントだし、「痴呆を認知症にしたからって」と思ったのもホント。
複雑だ……。

認知症の本人は、徘徊をどう思う?汚染をどう思う?
……不明。
(汚染は認知症専門の言葉ではないよね)


なんだかんだ言っても
認知症なんだもん。
徘徊するんだもん。
パンツ汚すんだもん。
仕方ないわ

嫌なのは言葉のイメージや響きより
病気そのもの。
徘徊に付き合うコト
汚れたパンツを洗うコト

……という話ではなかったのに……アレ……σ(^_^;)?



やっぱり夢の中でも母は認知症

2015-12-11 | ●介護回想(2015~)
母の夢はほとんど見ないんどけど、先日久々に夢に登場。

場所は昔住んでいた町。

どこからか帰ってきて家に向かって歩いてた。
最初は普通の会話していたけれど、途中で母の態度が豹変。
私を敵視してるような雰囲気。
まあ、なんとか家に到着。
そこには亡き祖母がいた。
私は祖母に「お母さん、今、私を他人と思って何か怒ってるからちょっと外に出てる」と言って、歩きだした。
よく知ってる町の風景。
15分くらいで戻れば治ってるかな~と思い左腕を見ると時計がない。
時間がわからないよ~~~~と嘆いていたら
母がポンと現れた。(さすが夢)
その母は、徘徊時に我に返ったふうに私を見て「あら?!」と言っていた時と同じに、
「どうしたの?」と私に言った。

そのあとは記憶にない。

夢の中でも認知症であることがほとんどだ。
健常者であるときの夢って……一度あったかな?~~~~程度。
介護中に見た母の夢も、認知症が回復して介護度が下がったというのはあったけど完治する夢は見たことがなかったっけ。

夢って記憶の整理というから、そんな奇跡みたいな夢は見ないものなのかしら?

夢を見たのは命日の翌日。
タイミング悪いのね~~~~
どうせなら命日に登場してくれれれば、なんか、おお~~~~と思うのに。


命日

2015-12-07 | ●介護回想(2015~)
今日は母の一周忌でした。

特別なことはしなかったので、我が家でご住職にお経をあげていただいて終了です。

なぜだかお経の間、メチャクチャ泣けてしまいました。

早かった一年。
何も出来ずに終わってしまった。
情けなくもあるけれど、前向きに普通に生活するだけでいっぱいいっぱい。
介護が終わったら◯◯しよう、××しよう……などと思っていたこと、ほぼ出来ず……
思わぬ体の不調だけが新しく手にした?!コトだという………ああ………


……………………………………………………………………………………………………


前回の記事では、市役所に相談した時の話を書きました。
そのことで思い出したことがひとつ。

最初に相談の電話をし、ゴールデンウィーク明けに会って相談するということを決めた最後に保健師は
「よく自分から電話してくれましたね」と言った。

誉められた!?

とはいっても私の心の中は「?」でいっぱい。
何の得にもならないし、意味ないし……
そんなことをいうのなら、今すぐにでも会って相談しましょうって言ってよ……くらいの気持ちもあったような記憶がある。


それから一年後くらいに、あることで、第三者の客観的な見解がほしくて考えた結果、保健所に電話して相談したいと申し出たことがあり、保健師と話したことがある。
市役所の高齢者福祉課保健師を通り越していきなり電話したせいもあり、どういう流れでここに電話したんですか?と、やはり最後に聞かれた。


どちらの保健師も、介護事件などあればいわゆる関係者側の人。
SOSを発してくれれば……と言う側の人。

その立場の人が、相談の電話をしたことを誉めたり(誉めるというのはちょっと違うけどうまい表現が浮かばない)、そこに電話するに至る過程を気にするというのは

やっぱり、SOSを求めている人がどこにいるのか知りたい、わかれば何かサポート出来るはず
という思いを持っているからだと思う。

前回の記事で、助けを求めてつかんだら藁だった……と書いたけど、つかまられる立場の人々も思いは色々持っているんだろう。

助けを求めた者がいて、サポートしようとする人がいて
なのにうまく回らないのは残念なことだ。

タイミングが悪かったのか
相性が悪いのか
何かの歯車が噛み合わないのか
言葉、言い回しの問題なのか
制度の手かせ足かせのせいなのか
援助を求める側が贅沢なのか

なんだろうなぁ~


藁をもつかむ思いでつかんだら、それはやっぱり藁である?

2015-12-04 | ●介護回想(2015~)
助けがほしくてほしくてほしくて
もうグダグダになって、藁をもつかむ思いで
やっとたどり着いた相談窓口。

私の場合
その窓口は……助けにはならなかった。

藁にすがれば当然溺れる。

冷静に、よく考えて対処したものは納得してから動いてるからそれなりの結果を得られるんじゃないのかな?
でも、藁をもつかむ思いって時は切羽詰まってるんで、とりあえず~~~~
で、結果もよくない。
そしてまた落ち込む悪循環。


一番最初にすがった藁、私の場合、市役所だった。
もちろん藁とは思ってない。
もっとしっかりしたもの、絶対溺れることはない。
救ってくれるはずと信じてた。

市役所に相談してうまく事が進んだ人もいるはずなので、私は運が悪かった?
たまたま対応した人が…………藁だった?

ゴールデンウィーク前に相談の電話をかけ、会って話しましょうということになったけど、相手の保健師は、ゴールデンウィーク明けでいいですか?……と。
ああ、世の中はGWだったんだ……と思い、もはや相談の日が数日後になっても大したかわりはないし、OKした。まあ、仕方ない。
それよりも会って話したその内容は
認知症はこういう病です……という啓蒙パンフレットの説明。
違う、違う、そんなことは分かってる。
受診出来なくて困ってる!なにか知恵をくれ~~~~……だったんだけど。

居宅事業所に最初からすがっていたらよかったんだけど。
無知だった。
受診して介護認定受けてからお願いするのが居宅事業所だと思い込んでいた。
結果的には、居宅事業所の助けを得て受診したんだけど、そこまでたどり着くのに、最初の市役所から半年くらい掛かってしまった。

その間に認知症を診てくれる病院の家族相談(私だけ)にもいったけど、どうしても受診が難しいなら、連れて来やすくなるまで待つのも方法ですと言われまして…………ほんと、落ち込んだ。
それまで一人で徘徊と向き合えと?
もうエネルギー切れた、あの時。

今思うと凄い理屈。
連れて来やすくなるまでって、進行するまで待てば?ってことでしょ。
(言ったのは医療ケースワーカー)

うまくいかないときはこんなものか?
藁ばかりつかんでしまったらしい私。よほど日頃の行いが悪かったか?


よく、介護事件などあると関係者が
「SOSを発してくれれば」というけれど

発してもダメな時はダメ。発したら必ず助けてくれたのか?
と思ってしまう。

市役所窓口は案外簡単に
「そういう人を受け入れてくれる所はない」と言う。
施設関係者もよく言ってた。
「ないと言う前に一度自分達に相談してほしいのに」と。

藁をつかまないためにも、元気な時に、平穏な間に、情報をしっかりチェックしておくのが大事なのかもしれませんが、人間、そう上手に生きられない。

今は地域包括センターがあるので
そこが上手く機能していることを願うばかり。