生きていると、毎日が楽くてしょうがない日々を過ごせたり、お腹が苦しくなるほど抱え笑い合ったり、幸せをかみしめたり、憎悪に苦しむことも、悲しみに暮れる日々を過ごしたり、生きてゆくのがとても困難に感じられたり、不安や恐れに駆られたりすることがあります。
人はなぜ、何のために生きる?
きっと様々な感動を味わうために生まれ、生きてゆくのだと思うのですが、私は人の死を目のあたりにするたび、自分をまったく知らない他人のように客観的にみてしまう癖がでます。
自分が今こうして人間としてこの地球というところで、三次元で生きてることが何故かとても不思議に感じられてしょうがなくなるのです。
こうするべきだったんじゃないか、こうしたかったんじゃないか、これでよかったのか、よかったんだと、本当は何がしたいんだろう私は、これをしたい、いいんだこれでなどと、色々な感情が渦巻く自分、思考する自分をブラウン管から一つのドラマのみているかのように何の感情もなくたださめた目で客観的にみてしまう、みえてしまうのです。
さぁ、どうするか?と。
まるで自分を自分で試しているような。
自分の中にもうひとつの人格がいるかのように。
毎回思うことですが、人が亡くなるのは本当にはかなく呆気ないものです。
たとえ一生懸命生きたとしても死ぬときは本当にはかないのです。
だからこそ人の命は尊く美しいのでしょう。
謹んで、ご冥福をお祈りいたします。
人はなぜ、何のために生きる?
きっと様々な感動を味わうために生まれ、生きてゆくのだと思うのですが、私は人の死を目のあたりにするたび、自分をまったく知らない他人のように客観的にみてしまう癖がでます。
自分が今こうして人間としてこの地球というところで、三次元で生きてることが何故かとても不思議に感じられてしょうがなくなるのです。
こうするべきだったんじゃないか、こうしたかったんじゃないか、これでよかったのか、よかったんだと、本当は何がしたいんだろう私は、これをしたい、いいんだこれでなどと、色々な感情が渦巻く自分、思考する自分をブラウン管から一つのドラマのみているかのように何の感情もなくたださめた目で客観的にみてしまう、みえてしまうのです。
さぁ、どうするか?と。
まるで自分を自分で試しているような。
自分の中にもうひとつの人格がいるかのように。
毎回思うことですが、人が亡くなるのは本当にはかなく呆気ないものです。
たとえ一生懸命生きたとしても死ぬときは本当にはかないのです。
だからこそ人の命は尊く美しいのでしょう。
謹んで、ご冥福をお祈りいたします。