シーターヒーリングのサイキックアナトミー、3週間の研修が終了しました。
とても濃い内容で、私にとっても意味のある必要なものになりました。
日が経つにつれて私の中では新たな疑問が生まれ、本当の真実という言葉にひっかかるようになっていきました。
シータに出会ってからたくさんの思考の書き換えをしてきましたが、「私は悪魔です」とか「私は自分の能力を表に出すのを恐れている」とか「観るのが恐い」という思考がなかなかとれなくて、とってもらってもすぐ戻ってしまって、またとっても入ってしまうという感じで土台を見つけることを出来ずにいました。
そしてクリアリングが進めば進むほど私の中のモヤモヤ感は募って行くばかりで、本当にクリアリングされているのかさえ疑問を持つほどでした。
しかし、最終日の前日の夜一番落ち着ける自分のお店でそのことを考えてたらやっと土台がわかったんです。
私はシータヒーリング事態に漠然とそういう感情を抱いていたのだと。
シータでは、人の自由意志をすごく尊重し、何をするにも相手の許可を必ずもらわなくてはいけません。
人の心を操るようなことはもちろん絶対やってはいけませんね。
しかし、例え本人に許可をもらったとしても人の心を操作することに代わりはないと私は思っていて、その人が幸せになるとしてもそれは心のどこかでやってはいけないことなんじゃないかな。それは違うんじゃないか、って思っていたんだと言うことに気づいたのです。
で、土台は分かったけど解決しないまま最終日が訪れて、最後の最後で今までクリアリングしてきたことが繋がってわかりました。
その時は、なぜか本当の真実っていうのは1つなんだと思い込んでいたので、わからなくなっていたんですね。
でも本当の真実は1つじゃないですよね。
そう思ったら楽になりました。
そうそう、クライアントさんにはいつも自分でよく言ってるのに~
気づかなかった…
「分からないと悩んでるくらいなら体験してみればいい。体験して実感して確かなものを得れば、他の人には真実でなくてもそれは紛れもなく自分だけの真実になる」と。
人に言ってて自分で気づかないのもどうなの?って思っちゃいましたけど
「本当の」に惑わされちゃったんですね。
私にとって例え本人に許可をもらったとしても人が人の心を操作することに代わりはないと思っています。
もしかしたら違うんじゃないかって感じていても、その人が幸せになるならありだなって。
そう信じられるなら私にとってはそれが本当の真実なんだって。
それでいいんだって。
皆と一緒じゃないとか、間違ってるとか、正しいとかではないんですよね。
操作って言葉がよくなかったですね。操作じゃなく導くかな
ヒーリングするのは存在の根源ですしね。
常に最高最善の真実を自分の外にではなく、自分の中に求めていけば人は何かに依存することなく、お手伝いしたり、してもらったりしながら進んでいけるのでしょう。
そう感じさせてくれたシータの仲間たちとヒロさん、ナオさんに感謝をしています。