瞑想は朝一でするのがよい。
つまり布団から出てそのままの状態でやる。
着替えたり、水分補給といった体に刺激を全く与えない状態でするのが私的には1番瞑想に入りやすいと感じている。
まず部屋を片してから…とか、子供を学校に送ってから…など考えてると頭はフル回転し始める。
思考中心になり、結局忙しさを理由に出来なくなってしまったりする。
なので私がおすすめするのは「起きて直ぐ」である。
心を集中させる。
どんなエネルギーなのかをみる。
瞑想状態とは。私見ですが、私は瞑想状態と催眠状態はとても似ている、同じ意識の状態なのではないかと思っています。 例えば夢中で本を読んでいるときや、何かに夢中に没頭してるとき、熱中してスポーツをしているときなども雑念のない状態(瞑想状態)になっています。 実は意外と日常生活の中で瞑想状態を皆さん普通に誰でも一度は経験していると思います。
瞑想状態とは顕在意識(理論、理性、知性をつかさどる)と潜在意識(記憶、想像、感情をつかさどる)の2つの意識がつながった状態です。
大人にはこの2の間に膜があって2つの意識が混濁しないようにしっかりと分けられています。また、簡単に外的刺激が潜在意識の中に入り込まないようにこの膜がブロックしています。 その逆にこの膜は、つらい感情のような潜在意識の中にあるものが簡単に外に出てこないように自分を守ってもいるのです。
しかしこの2つの意識は8歳から9歳ごろまでは繋がっていて、子供は膜のない無防備な状態の中で生きています。
そしてその無防備な状態で生きている間に潜在意識の中に取り込まれた情報や刺激によって大きく傷つくといったことが起こるのです。大人の価値観から見たら何でもないことが子供を深く傷つけるといったことが起こる。それがトラウマです。
心に深い傷が残っていると大人になってもそれが出てきます。頭では何ともないと思っていてもなぜか心が苦しくなたり、身体の反応まで出てしまいますよね。
潜在意識は分け隔てなく入ってきたすべてのイメージを受け取れます。それが現実であろうが空想であろうが受け入れ反応してしまいます。そしてそのイメージに対して身体の反応を引き起こすのは顕在意識です。
なのでこの膜ができていない幼少期に怖い映画ばかり見せたり戦いのゲームをやらせたりするのは私見的にはよくないとに感じます。このころの幼少期には創造性の遊びをたくさんさせ、できるだけ運動をさせるのがよいと思います。
5歳くらいの子供には「あなたならできるよ」と肯定的に断定してあげるのがよいと私は思い、わが子にも実践しています。
もちろんおこることもしょっちゅうですし、子供を傷つけてしまうときもあります。それでもやはりこの子は大丈夫だと信じているので、子供にも傷つけてしまった後は謝り、肯定的なことを述べています。
瞑想は心を一点に集中して精神統一することでもあります。
それには意識が意識を意識することです。
私は集中力を瞑想の中で高めるためにマントラを用いることがあります。マントラといっても意味の分からない言葉ではなく私の場合心から信じている詩を唱えます。
そう、潜在意識に染み込んでいる真言です。
マントラを心の中で唱えるときは気分が爽快で頭がすっきりしている体調の良いときで深い瞑想状態にある時です。そういう時に瞑想の中で集中力を高める行をします。
長い時間、意識を集中するのは疲れますし、質が悪くなるので私の場合長くても20分くらいでしょう。
感覚としては・・・心から祈っているときと同じ感じです。
空間、時間、エネルギー、意識(志向)が一体となって統合されていく中で真心から一心に精神統一します。
疲れていたり、心が曇っていたりすればできません。
でもどんな状況でもヒーラとしてヒーリングができるよう備えておくのは大事だと思っているので、日々の努力は必要です。地道に頑張って集中力、高めます。
瞑想、深く入っているときの感覚って人それぞれ違うと思います。
私が深く入っているとき空間は広がりをみせます。そして頭がチリチリして強い圧を感じるのです。
この感覚が私が高次と繋がれてる感覚なんです。
空間が広がっていき大勢の者が私を円状になって囲っているのがみえます。 心が落ち着いてゆったりできていないとこの感覚には繋がれません。
広ーい部屋にひとりぽつりと座っている感覚。これが私の深い瞑想の感覚です。
そして語り掛けると、たくさんの者がみえてくるんです。 面白いですよね。見たこともない顔がはっきり見えるのですから・・。
その時、私はその世界に集中しているので今ここにいる感覚は非常に薄くなっています。分かりやすく例えるなら、夢を見ている感覚です。でも意識はしっかりあってその世界に入っている感じです。
だから戻ってきたときには三分の一は忘れてしまっています。
でもなぜか自分を客観視してるんですよね。不思議。
イライラしていたり、落ち着きない生活を送っているとなかなかこの感覚には瞑想をしていても繋がれません。そういうときは自分をからだの中心には置いてなく、何かにとらわれてしまっている時なのだと思います。
平和な感じや安らぐ感覚も薄くなってしまっています。
だから毎日瞑想することが大切なんだなぁと、改めて実感させられている今日この頃でした。
瞑想のやり方がよくわからない。うまく瞑想できていない感じがする。という問いを投げかけられることがあります。
瞑想といっても色々なやり方があるし、人それぞれ感覚も感じ方も違うと思うんですよね。
私がクライアントさんからよく聞くのは、無になろうと思っても、雑念をなくそうと思っても・・・という言葉です。確かに始めたばかりの時はそうしようと思って今私は瞑想しようとここに目をつぶって座っている。という感覚のほうが実際は強くなってしまっているかと思います。
瞑想は集中力が必要です。かといって力んで疲れてしまってはダメなので、頑張りすぎるのは間違いかと思います。リラックスは必要です。
私が初心者にお勧めするのは、暗い場所ではなく明るい日が出ている昼間のほうがいいかなと個人的には感じます。 日の出ているぽかぽか陽気のお昼寝ってサイコーじゃないですか(^^)?あの感覚で瞑想するのです。
日の光を浴びながら目をつぶってみてください。目をつぶってても明るいですよね?それでイメージに入りやすくなると思います。
実際も光を浴びているのですが、さらに真っ白い光に包まれているイメージをするんです。暖かい光が肌を温める感覚を感じてください。
さらにエネルギーが体の中に入ってきて全身を活性させていく様子を感じ取ります。 これって相当な集中力ですよね♪ 皮膚の感覚に全神経を集中させる。でもリラックスしながら温かさを楽しむ。じわーと暖かくなっていく体を感じ取る。気持ちよくてすごくリックス出来ます。
そうやって行っていくと集中しながらリラックスする感覚がつかめるんじゃないかな
慣れてきて脳波がアルファー波、シーター波になったとき高次元の存在とコンタクトとってみるとなにかメッセージがもらえるかもしれませんよ
日が昇る前に砂地に座り瞑想しました。
風と波の音が心地よく耳に届きます。
瞑想は心を一点に集中して精神統一することでもあります。
それには意識が意識を意識することです。
時間と空間の間に意識が溶け込み、光の粒子や波動の形となって現象させ流動させる。こうしてヒーリングは起こるのでしょう。
私はなぜ今また、自分が行ってきたヒーリングを復習しているのか、スクールに通うのかきちんと向き合っい洞察してみたんです。
きっともう一度きちんとヒーリングの本質を頭で理解する必要性があったのかもしれないということに気づかされました。
過去、未来にあるエネルギーは今ここにあります。
宇宙を創造し、維持するその意志の表現の中心に自分は生きているのだと、その確かな英知は思考と言葉という形で現れるのだということを思いださせてくれた創造主に感謝します。
しばらくすると、朝日が顔を出します。そして空に昇っていくさまを観ました。美しいです・・・。
私は深い瞑想中、創造主にある質問をした。
それは「霊性を最高最善に開花し、高めるためにはどうしたらいいか」
答えは「愛を表現すること」だった。
創造主が定義する愛は無条件。愛を与え続けること。それは愛を受け続けることになる。
自分を愛することはとても大切である。なぜなら自分を愛せない人は本当の意味で他者を愛せないからだ。
自分を愛することは自分を裏切らない生き方から生まれるのだと思う。つまり自分に正直に生きること。
私は最初に動物を飼うことで無条件の愛を学んだ。小さいころから我が家には動物がたくさんいた。
いとおしみの愛を与えた。そして自分を愛することで愛される価値があることを学んだ。
そして自分を信じ信頼することを学び、学びつづけている。