今日は立秋、まだまだうだるような暑さが続く。この春からの読書で 立原正秋 ものを読み継ぐ。求めた先は全てアマゾンによる古書の文庫本である。わたしにとって立原正秋は、鋭角的で独特な美意識の持ち主ではあったが、かつては流行の通俗小説で売れていても見向き気もしなかった。しかし、在日韓国人としての出生による日本の歴史や伝統への傾倒、仏教に造詣が深い小説家だ。実は 立原正秋 は既に亡くなり忘却の彼方の人である。また造園業界出身のわたしとしては日本庭園にも真正面に取り組んでいることを知るにつれ読み進めている。今後は、紀行文や自伝も含め何回かに分けて記していきたい。
■異邦の空・日本の旅 立原正秋 角川文庫 古本
以下に、まず日本人にとって大事だとおもわれる箇所を抜き書きする。
『慶州では、武烈王陵だけを訪ねた。まるで秋のようにくっきりと澄みきった空を背景に五つの陵が並んでいるのを目の前にして、私は日本と朝鮮の古くからの交流をたどっていた。それは近親憎悪の交流を重ねてきた歴史で、あった。奈良時代に日本人と朝鮮人が通訳なしでしゃべれたということはすでに日本の言語学者が証明している。万葉仮名は漢字の音訓であった。片仮名、平仮名は平安初期に発生した音節文字であった。つまり片仮名、平仮名以前は、漢字が中心であり、日本語も朝鮮語もなかったことになる。今日、日本語と朝鮮語が発音、意味がまったく同じであるのが多いのは、こうした歴史的事実によるものだろう。日本の仮名にあたるのが朝鮮ではハングルである。漢語と仮名混じりの日本文、漢語とハングル混じりの朝鮮文は、文章の構造において全く同じである。ハングルはオンムン(諺文ゲンブン)といい、世紀一四四六年李朝の世宗が、〈訓民正音〉の名で公布した音標文字で、母音、子音が二十八字からなっている。一四四六年といったら、それより二十年後に日本では応仁の乱がおこっている。こうみてくると、日本の仮名文字は平安初期に創られているから、朝鮮から漢文と仏教が伝わってから、日本の文化は朝鮮を追い抜いて急速に独自の発達をとげたことになる。日本人の美意識がなったのは奈良時代ではなく平安時代であった。外国から文化を輸入しても、それを独自に咀嚼して日本の風土にあわせてしまった日本人の才能は、世界でも例がないだろう。平仮名ができて〈源氏物語〉が生まれるまでにそれほどの時間はかかっていない。』 -無常感漂う韓国の寺院-
■日本の庭 立原正秋 新潮文庫 古本
■心のふるさとをゆく 立原正秋 角川文庫 古本
■冬のかたみに 立原正秋 新潮文庫 古本
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