〈旅行企画〉
③3月20日から21日は、愛媛県宇和島市の伊達藩の城と、山口県の宮本常一(星野哲郎)の生地である周防大島に回っていきたい。また、セトウチギボウシの自生地が存在するのであれば巡ってみたい。
今回は九州から豊後水道、四国から瀬戸内海を横断する。わたしの日本国内での未踏県である愛媛県と高知県を通過、滞留する目的だ。残るは福井県のみになる。実はこの旅程表を作るにあたって、地理的に、四国全県はわが出身県である岩手県の面積がほぼ同じなんだ、だから一筆書きで回れるという安直な思い込みがあった。大したことはない、と・・・・・。
3月15日中にフェリーと宿の予約を終えた。どうやら、今回の旅程が一番タイトだ。カーナビもほぼ使えるようになった。早起きのわたしだが、なんとか寝坊せずにこなしていきたいものだ。
04:00自宅⇒福岡IC*北九州JCT*別府IC⇒06:25別府港→(宇和島運輸フェリー)→09:10八幡浜港~大洲北兄IC⇒宇和島北IC~宇和島城~国道320号*国道381号*四万十町中央IC⇒高知IC~県立牧野植物園~コンフォートホテル高知、宿泊*出発3/21 07:00~高知IC⇒川之辺東JCT*松山IC~09:40三津浜港→(防予フェリー)→10:47周防大島(屋代島)・伊保田港~星野哲郎、宮本常一記念館(周防大島文化交流センター)~国道437号~玖珂IC*山口JCT⇒福岡IC~18:00自宅
費用はカー-フェリー代で18,000 、宿泊は朝食付きで 9,000、車での総走行距離は約550㎞か、高速代は約 8,100円、以上ほぼカード決済。ほかにGS代、食事、土産代も含めて合計で¥40,000程度で済むか。
別府港
宇和島城
牧野植物園
三津浜港
周防大島
陸奥記念館
宮本常一記念館
星野哲郎記念館
(周防大橋)
〈実際の旅程〉
前日、早めにベッドに入ったが、眠れなくて思案し深夜01:30にアパートを出る。向こうについて車中にて寝る予定にする。初めて、ほぼ無人状態の高速道路を福岡ICから九州道下り~大分自動車道を走る。わたしは何だか、悪いことをしているような気分でもあった。ひた走りに車を飛ばす。別府ICにつき市内をナビで連れ回されたようにしてカーフェリー乗り場に着いたが、わたしはガス欠を心配してあまり駐車場でエンジンをかけずにじっとしている。場末で夜寒かと、貧寒とした気分。さすがに、71のおっさんがこんなことをしてることに我ながら変わった人間だと思うことしきりである。
豊後水道を超えて、早暁、八幡浜港に着くころには周囲の島々は濃い緑の塊の中で淡く白い ヤマザクラ が点々と咲いている。港町の周辺の雑踏で無事にガソリンの補給を終えて一般道や自専道を出たり入ったりして宇和島に向けてたどっていく。宇和島は三方が山に囲まれて一方はリアス式の宇和海に開かれている。宇和島城は東北のわが仙台藩の伊達藩主(1615年、伊達政宗の長子で秀宗・10万石)がいて、その居城に寄る。築城は藤堂高虎。ソメイヨシノ がほぼ満開の中で、登城は狭隘な歩行路であるが、城自体は極めてコンパクトな造りで眺望的には宇和海を見下ろせる。受付で年配の係員に話しかけたら、伊達家の家系図のプリントをもらう。
宇和島城から高知市内に抜けるルートは長時間にわたって辺鄙な山間部を走るが、雨混じりの陰気な天候を過ごしてますますそんな気分が募る。無人の山塊の道筋、そこはコンビニもなく水分補給なしでトイレを我慢、車外の光景と連動してわたしの内面も森閑としている。こんな縁のない場所で、おいっ、お前はそんなことをしていていいいのか、と。
結果的に国道や県道をナビにしたがって走るが時間的には数倍はかかった模様で、標高、山並みや周辺の地形や道路は勾配的にやたらと高知市に向かって下がっていると感じる。果たして、その所要時間は3時間余りだろうか。
今回の “怒涛かつ進撃の旅”では最初あまり意識はしなかったが、民俗学の宮本常一の話の世界にリンクしているようで、帰った後には特にそのことを感じるところだ。例えばここは時空を超えて、あの「忘れられた日本人」の‘土佐源氏'の舞台に近似している。既に宮本常一の著作物に馴染んでいる方は分かると思うが・・・・・。
雨中、16:00頃、閉園時間を気にしつつ、散々、高知市内で迷った末に小高い五台山の 県立牧野植物園 に着く。牧野植物園は駆け足で回ったことになるが、ここは非常に洗練されたレイアウトと演出、植物のメンテナンスやそれに目的意識を持ったいい公園である。日本国内を網羅したわけではないが、出色の出来栄えでおすすめの植物園だ、多分、いいアドバイザーがいて財政や運営が県主体だから出来るのだろうか。運営主体が民間ではどうしても経営重視であり、研究や保全に力点を置く大学等の付属施設ではこうはいかない、特に演出や植物のメンテナンスがなおざりになる傾向がある。
市内中心部のシティホテルに宿を取ったが、JR高知駅に向かう交差点の辻で 歌人・石川啄木 の実父の石碑があって思わず微笑む。実父は啄木亡き後に実妹夫婦の国鉄勤務の赴任に伴って高知へ住むことになり、ここで死んだという。遠いわが岩手の偉人の係累?がこんなところに、とわたしは色々な意味で不思議に思う。
翌朝は高知自動車道で高知ICから高速道路に乗り松山ICで降りて、09:40三津浜港に急ぐ。ここはへ道が分かりにくかったが、なるほど住民の生活の足としての船なのだと合点がいく。周防大島・伊保田港で下船して 陸奥記念館 と 宮本常一、星野哲郎記念館は海を背景に並列しては分かり易い国道437号を走っていく。わたしはここで長時間を過ごし、学芸員の案内で見て回る。特に宮本常一の国内の足跡図を注視したが、色々な写真データや資料の整理編集はどうやら終わったようだ。ちなみに宮本常一の対馬踏査内容の記録物については先週うかがった対馬の民宿の主人を担当者に紹介した。また周防大島の自生種であり現地では不明だった セトウチギボウシ2株 を千葉に帰宅後に寄贈、宅送した。
わたしはカラオケ好きで、流行歌の作詞家の星野哲郎記念館では美空ひばりの「悲しい酒」、小林旭の「昔の名前で出ています」となんだか他3曲を聞いて、わたしは日常の感覚に戻ったようで思わずほっとする。記念館としては以前行った栃木県日光市内の 船村徹記念館 より内容が充実していて、洒落ている印象だ。
何だか、わたしは妙に疲れていて、それからは山陽道に出て、夕方の18:30頃に帰り着く。
③3月20日から21日は、愛媛県宇和島市の伊達藩の城と、山口県の宮本常一(星野哲郎)の生地である周防大島に回っていきたい。また、セトウチギボウシの自生地が存在するのであれば巡ってみたい。
今回は九州から豊後水道、四国から瀬戸内海を横断する。わたしの日本国内での未踏県である愛媛県と高知県を通過、滞留する目的だ。残るは福井県のみになる。実はこの旅程表を作るにあたって、地理的に、四国全県はわが出身県である岩手県の面積がほぼ同じなんだ、だから一筆書きで回れるという安直な思い込みがあった。大したことはない、と・・・・・。
3月15日中にフェリーと宿の予約を終えた。どうやら、今回の旅程が一番タイトだ。カーナビもほぼ使えるようになった。早起きのわたしだが、なんとか寝坊せずにこなしていきたいものだ。
04:00自宅⇒福岡IC*北九州JCT*別府IC⇒06:25別府港→(宇和島運輸フェリー)→09:10八幡浜港~大洲北兄IC⇒宇和島北IC~宇和島城~国道320号*国道381号*四万十町中央IC⇒高知IC~県立牧野植物園~コンフォートホテル高知、宿泊*出発3/21 07:00~高知IC⇒川之辺東JCT*松山IC~09:40三津浜港→(防予フェリー)→10:47周防大島(屋代島)・伊保田港~星野哲郎、宮本常一記念館(周防大島文化交流センター)~国道437号~玖珂IC*山口JCT⇒福岡IC~18:00自宅
費用はカー-フェリー代で18,000 、宿泊は朝食付きで 9,000、車での総走行距離は約550㎞か、高速代は約 8,100円、以上ほぼカード決済。ほかにGS代、食事、土産代も含めて合計で¥40,000程度で済むか。
別府港
宇和島城
牧野植物園
三津浜港
周防大島
陸奥記念館
宮本常一記念館
星野哲郎記念館
(周防大橋)
〈実際の旅程〉
前日、早めにベッドに入ったが、眠れなくて思案し深夜01:30にアパートを出る。向こうについて車中にて寝る予定にする。初めて、ほぼ無人状態の高速道路を福岡ICから九州道下り~大分自動車道を走る。わたしは何だか、悪いことをしているような気分でもあった。ひた走りに車を飛ばす。別府ICにつき市内をナビで連れ回されたようにしてカーフェリー乗り場に着いたが、わたしはガス欠を心配してあまり駐車場でエンジンをかけずにじっとしている。場末で夜寒かと、貧寒とした気分。さすがに、71のおっさんがこんなことをしてることに我ながら変わった人間だと思うことしきりである。
豊後水道を超えて、早暁、八幡浜港に着くころには周囲の島々は濃い緑の塊の中で淡く白い ヤマザクラ が点々と咲いている。港町の周辺の雑踏で無事にガソリンの補給を終えて一般道や自専道を出たり入ったりして宇和島に向けてたどっていく。宇和島は三方が山に囲まれて一方はリアス式の宇和海に開かれている。宇和島城は東北のわが仙台藩の伊達藩主(1615年、伊達政宗の長子で秀宗・10万石)がいて、その居城に寄る。築城は藤堂高虎。ソメイヨシノ がほぼ満開の中で、登城は狭隘な歩行路であるが、城自体は極めてコンパクトな造りで眺望的には宇和海を見下ろせる。受付で年配の係員に話しかけたら、伊達家の家系図のプリントをもらう。
宇和島城から高知市内に抜けるルートは長時間にわたって辺鄙な山間部を走るが、雨混じりの陰気な天候を過ごしてますますそんな気分が募る。無人の山塊の道筋、そこはコンビニもなく水分補給なしでトイレを我慢、車外の光景と連動してわたしの内面も森閑としている。こんな縁のない場所で、おいっ、お前はそんなことをしていていいいのか、と。
結果的に国道や県道をナビにしたがって走るが時間的には数倍はかかった模様で、標高、山並みや周辺の地形や道路は勾配的にやたらと高知市に向かって下がっていると感じる。果たして、その所要時間は3時間余りだろうか。
今回の “怒涛かつ進撃の旅”では最初あまり意識はしなかったが、民俗学の宮本常一の話の世界にリンクしているようで、帰った後には特にそのことを感じるところだ。例えばここは時空を超えて、あの「忘れられた日本人」の‘土佐源氏'の舞台に近似している。既に宮本常一の著作物に馴染んでいる方は分かると思うが・・・・・。
雨中、16:00頃、閉園時間を気にしつつ、散々、高知市内で迷った末に小高い五台山の 県立牧野植物園 に着く。牧野植物園は駆け足で回ったことになるが、ここは非常に洗練されたレイアウトと演出、植物のメンテナンスやそれに目的意識を持ったいい公園である。日本国内を網羅したわけではないが、出色の出来栄えでおすすめの植物園だ、多分、いいアドバイザーがいて財政や運営が県主体だから出来るのだろうか。運営主体が民間ではどうしても経営重視であり、研究や保全に力点を置く大学等の付属施設ではこうはいかない、特に演出や植物のメンテナンスがなおざりになる傾向がある。
市内中心部のシティホテルに宿を取ったが、JR高知駅に向かう交差点の辻で 歌人・石川啄木 の実父の石碑があって思わず微笑む。実父は啄木亡き後に実妹夫婦の国鉄勤務の赴任に伴って高知へ住むことになり、ここで死んだという。遠いわが岩手の偉人の係累?がこんなところに、とわたしは色々な意味で不思議に思う。
翌朝は高知自動車道で高知ICから高速道路に乗り松山ICで降りて、09:40三津浜港に急ぐ。ここはへ道が分かりにくかったが、なるほど住民の生活の足としての船なのだと合点がいく。周防大島・伊保田港で下船して 陸奥記念館 と 宮本常一、星野哲郎記念館は海を背景に並列しては分かり易い国道437号を走っていく。わたしはここで長時間を過ごし、学芸員の案内で見て回る。特に宮本常一の国内の足跡図を注視したが、色々な写真データや資料の整理編集はどうやら終わったようだ。ちなみに宮本常一の対馬踏査内容の記録物については先週うかがった対馬の民宿の主人を担当者に紹介した。また周防大島の自生種であり現地では不明だった セトウチギボウシ2株 を千葉に帰宅後に寄贈、宅送した。
わたしはカラオケ好きで、流行歌の作詞家の星野哲郎記念館では美空ひばりの「悲しい酒」、小林旭の「昔の名前で出ています」となんだか他3曲を聞いて、わたしは日常の感覚に戻ったようで思わずほっとする。記念館としては以前行った栃木県日光市内の 船村徹記念館 より内容が充実していて、洒落ている印象だ。
何だか、わたしは妙に疲れていて、それからは山陽道に出て、夕方の18:30頃に帰り着く。