〈旅行企画〉
④3月27日か28日の日帰りで、福岡の都市高速に乗り一般道を行く。佐賀の唐津から伊万里に焼き物の里に小ぶりな山間地や田園地帯を過ぎる。わたしは陶磁器は苦手ではなく、特に鍋島焼は好きであるが器を買うには大金と心の準備が足りなさすぎる。呼子への立ち寄りは無理か。次に北松浦半島を玄界灘沿いに潜伏キリシタンの地・平戸島に渡り、佐世保を通過して長崎道で帰ってくる。食事にあたってわたしは豚骨ラーメンやちゃんぽん系は苦手、わたしは中華そばや関東在住の札幌ラーメン世代である。なお、この旅程は事前に佐世保出身の二人にリサーチした。今回は予約の必要がなくて気が楽だ。大きな買い物はなく¥10,000以内で済めばいい。
7:00自宅⇒松島IC*(都市高速道)*福重JCT*前原東IC⇒唐津・虹の松原~国道202号~伊万里~国道204号(北松浦半島)~平戸大島~平戸島~国道204号~西九州自動車道⇒武雄JCT*長崎自動車道*鳥栖JCT*九州自動車道⇒福岡IC~19:00帰宅
虹の松原
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伊万里・大川内鍋島窯跡
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平戸大島
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(生月島)
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平戸城
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〈実際の旅程〉
3月28日の日曜日、唐津の 虹の松原(100万本の黒松林)・磁器の伊万里・北松浦半島を経由して、平戸島・生月島に行った。佐賀から長崎へ。走行キロ338km。総費用は¥10,800.。わたしにとって、福岡を拠点としては4度目の怒涛かつ進撃の旅行?である。九州の当地では、これで最後になるか。ルートは大きな港を持つ伊万里から佐世保に向かうが、元JRであった単線の 松浦鉄道 が走っている。それはこの地にかつてあった石炭産業のための炭鉱路線であることをわたしは初めて知る。帰りには高速道路に連なる佐々ICに乗ったが、途中の大都市である佐世保に寄らなかったのが悔やまれる。深い入り江の佐世保湾と島々、わたしたちのベトナム戦争世代にはかつて 原子力空母エンタープライズ寄港 反対で大騒ぎされたところである。
焼き物には有田焼があり、それを鍋島藩が官窯として開いたのが伊万里市の鍋島焼であり、一般には流通させなかった。古伊万里の名称もこの時代のもの。肥前の国、佐賀の唐津周辺は豊臣秀吉の 文禄・慶長の役 の日本の拠点だが、その際に朝鮮の陶工を多数引き連れて来たとされる。それ以降、九州に多い焼き物は全てこれらの人々によってもたらされた。わたしはこれを見て歩くのは嫌いではないが、如何せん、時間がゆるさない。ただ眺めるだけではしょうがない、購入目的でじっくり伺いたいがそれはいつのことになるだろう。
平戸島に自生する植物にはバクチノキ、ツワブキ、タカサゴユリ、ヒラド(平戸)ツツジ、イヌマキ、また島内にはサザンカ自生地があると聞く。ちなみに、ほぼ、落葉性を含まなければあらゆる原種のツツジ類は九州が起源と思う。ここは原産地として中木や低木、グラウンドカバープランツなどの庭園材料になる植物が多い。勝手に推測するには、多分、国内での芝の施工面積では最も多いコウライシバ(高麗芝)もこの辺の日本海の海岸縁ではないだろうか。
④3月27日か28日の日帰りで、福岡の都市高速に乗り一般道を行く。佐賀の唐津から伊万里に焼き物の里に小ぶりな山間地や田園地帯を過ぎる。わたしは陶磁器は苦手ではなく、特に鍋島焼は好きであるが器を買うには大金と心の準備が足りなさすぎる。呼子への立ち寄りは無理か。次に北松浦半島を玄界灘沿いに潜伏キリシタンの地・平戸島に渡り、佐世保を通過して長崎道で帰ってくる。食事にあたってわたしは豚骨ラーメンやちゃんぽん系は苦手、わたしは中華そばや関東在住の札幌ラーメン世代である。なお、この旅程は事前に佐世保出身の二人にリサーチした。今回は予約の必要がなくて気が楽だ。大きな買い物はなく¥10,000以内で済めばいい。
7:00自宅⇒松島IC*(都市高速道)*福重JCT*前原東IC⇒唐津・虹の松原~国道202号~伊万里~国道204号(北松浦半島)~平戸大島~平戸島~国道204号~西九州自動車道⇒武雄JCT*長崎自動車道*鳥栖JCT*九州自動車道⇒福岡IC~19:00帰宅
虹の松原
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伊万里・大川内鍋島窯跡
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平戸大島
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(生月島)
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平戸城
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〈実際の旅程〉
3月28日の日曜日、唐津の 虹の松原(100万本の黒松林)・磁器の伊万里・北松浦半島を経由して、平戸島・生月島に行った。佐賀から長崎へ。走行キロ338km。総費用は¥10,800.。わたしにとって、福岡を拠点としては4度目の怒涛かつ進撃の旅行?である。九州の当地では、これで最後になるか。ルートは大きな港を持つ伊万里から佐世保に向かうが、元JRであった単線の 松浦鉄道 が走っている。それはこの地にかつてあった石炭産業のための炭鉱路線であることをわたしは初めて知る。帰りには高速道路に連なる佐々ICに乗ったが、途中の大都市である佐世保に寄らなかったのが悔やまれる。深い入り江の佐世保湾と島々、わたしたちのベトナム戦争世代にはかつて 原子力空母エンタープライズ寄港 反対で大騒ぎされたところである。
焼き物には有田焼があり、それを鍋島藩が官窯として開いたのが伊万里市の鍋島焼であり、一般には流通させなかった。古伊万里の名称もこの時代のもの。肥前の国、佐賀の唐津周辺は豊臣秀吉の 文禄・慶長の役 の日本の拠点だが、その際に朝鮮の陶工を多数引き連れて来たとされる。それ以降、九州に多い焼き物は全てこれらの人々によってもたらされた。わたしはこれを見て歩くのは嫌いではないが、如何せん、時間がゆるさない。ただ眺めるだけではしょうがない、購入目的でじっくり伺いたいがそれはいつのことになるだろう。
平戸島に自生する植物にはバクチノキ、ツワブキ、タカサゴユリ、ヒラド(平戸)ツツジ、イヌマキ、また島内にはサザンカ自生地があると聞く。ちなみに、ほぼ、落葉性を含まなければあらゆる原種のツツジ類は九州が起源と思う。ここは原産地として中木や低木、グラウンドカバープランツなどの庭園材料になる植物が多い。勝手に推測するには、多分、国内での芝の施工面積では最も多いコウライシバ(高麗芝)もこの辺の日本海の海岸縁ではないだろうか。