うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

しなびた姿のトマト、それにFacebook

2015年12月15日 05時41分21秒 | わたしの日常です。
冬枯れの季節、二十四節気の大雪も過ぎた。仕事も世間も歳末に向かってまっしぐらに時は刻む。

わがアパートのベランダもご覧の通り、最後まで食料として役立ったトマト。タキイ種苗のヒット商品の「桃太郎」。秋の彼岸過ぎからドンドン実をつけて大きくなり、事務所でのわたしの昼の食べ物となっていた。かたずけるのは簡単。当地は霜が降りて初雪も降って、皮は硬くなりこれからも赤く熟さないのか、しつこく様子を見ている。ナス科だから、青い実は野菜炒めに使えるのではないか。
 今はしなびた姿か、まあ、生き物はすべからくこうなる。

 ところで、今、わたしはSNSのFacebookにはまり込んでいる。樹木医の同期が交流の場として盛んに活用しているのだ。そこで、紹介された。WEB的には簡易的に使えるらしいのだが、わたしには試行錯誤の毎日だ。特に入力後の文字変換の機能に慣れずにいる、なんども繰り返す。word機能はどうなっているのだろうか。このブログとはシェアと言ってリンクはできる。しかし、個人情報のこともありまだまだの感がある。
 若い世代からは冷やかされるが。

 Facebookは短文でいろんな人たちとつながっていける。・・・・・そう思えるのがミソらしい。ただただワイワイガヤしているだけ。バーチャルにも意味があると思わせる世界か。面と向かうきちんとした付き合い方も知らずに、つながってどうするの、ということもある。なんだか、甘ったれと自律ではなくて他律的なやり方に虫唾が走るところがわたしなりの限界点でもある。一人じゃあ何もできなかったくせに・・・・・。
 わたしは途方もないほどに生き方は自前で生きてきた、物心ともに親がかりではない。一族郎党、兄弟は無関係だ。金銭面では18歳以降の大学進学、家や結婚や起業はすべて自前である。わたしなりに思うのは、生活上の桎梏も解決したことがないのに、皮相な生き方を臆面なく表出する人間を唾棄する。何もしないで上手くいく筈もないし、失敗を怖がっているのはいびつな生き方である。当たり前だが自分のことは自分で問題を解決する。劣等感や、自嘲や卑下でもなく、自己欺瞞もなくて、わたしは自らを笑い飛ばせる生き方が目標ではあるのだが。

・・・しこうして、どこまでつかいこなせるかになるのだが。
                     
 
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