うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

少女--吉本隆明の詩④

2010年10月11日 03時38分54秒 | 吉本隆明さんはどう考えるか・・・

 半世紀前の文章になると、さすがにおくりがななども微妙である。ただし、特徴として修飾的なもの、暗喩的なものは極度に少ない。作者の個性に帰せられるのは、たしかに表現的にイメージは捉えられてはいるが、少ない漢語とひらがなのアンバランス性だろうか。文章のもつ抑揚に気を配った読み言葉より、日常の所作の最中にて得た書き言葉の世界に満ちている。
 なに、世はまだ大東亜戦争の敗戦の跡が残り、物不足でありながら精神的には再生するような気運がみちていただろうことはまちがいない。
 ここではまだ、甘い夢の予感がする。

少女

えんじゅの並木路で 背をおさえつける
秋の陽なかで
少女はいつわたしとゆき遇うか
わたしには彼女たちがみえるのに 彼女たちには
きっとわたしがみえない
すべての明るいものは盲目とおなじに
世界をみることができない
なにか昏いものが傍をとおり過ぎるとき
彼女たちは過去の憎悪の記憶かとおもい
裏ぎられた生活かとおもう
けれど それは
わたしだ
生まれおちた優しさでなら出遇えるかもしれぬと
いくらかはためらい
もっとはげしくうち消して
とおり過ぎるわたしだ

ちいさな秤でははかれない
彼女たちのこころと すべてたたかいを
過ぎゆくものの肉体と 抱く手を 零細を
たべて苛酷にならない夢を
彼女たちは世界がみんな希望だとおもっているものを
絶望だということができない

わたしと彼女たちは
ひき剥される なぜなら世界は
少量の幸せを彼女たちにあたえ まるで
求愛の贈物のように それがすべてだそれが
みんなだとうそぶくから そして
わたしはライバルのように
世界を憎しむというから

「荒地詩集1956」(昭和31年)所収
コメント
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