うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

「石狩挽歌」の不可思議な叙情

2008年10月23日 01時19分01秒 | 地方・故郷・方言

 先日、NHKテレビで放送していた歌である。当時と同じ歌手、北原ミレイが歌う。
 この歌は、ドラマッチックに詞を聞かせるのだ。作詞内容は地域性ある言葉、ジャーゴンあるいは古語によりかもしだす切実な世界。時代は太平洋戦争の終戦直後、悲惨な追憶の世界である。
 30年以上前に、この歌謡曲が流行っていたころはなんでこんなに暗いのだろう、と感じた。だけど、あのころから今に至るまで、なぜか、心に澱のように残った。
 古いのか、新しいのかわからない、ほんのわずかに演歌のようで演歌とはまるっきり違う。民謡ではなくシャンソンでもなくカンツォーネでもない。北海道積丹半島の、悲痛なニシン漁の生活をたどる悲歌であろうか。
 わたしは下手の横好きで、聞いていい歌は歌いたくてなんどもカラオケで挑戦するも、これはメロディがきわめて難しい。めんどくさいからこの曲をバックにして抑揚と緩急をつけ情感を込めて詩のように朗読したことがある。 

「石狩挽歌」
なかにし礼作詞・浜圭介作曲/昭和50年---------------------------

海猫(ごめ)が鳴くから ニシンが来ると
赤い筒袖(つっぽ)の やん衆がさわぐ
雪に埋もれた 番屋(ばんや)の隅で
わたしゃ夜通し 飯(めし)を炊(た)く
あれからニシンは
どこへ行ったやら
破れた網は 問い刺し網か
今じゃ浜辺で オンボロロ
オンボロボロロー

沖を通るは 笠戸丸(かさどまる)
わたしゃ涙で
にしん曇りの 空を見る

燃えろ篝火(かがりび) 朝里(あさり)の浜に
海は銀色 ニシンの色よ
ソーラン節に 頬そめながら
わたしゃ大漁の 網を曳(ひ)く
あれからニシンは
どこへ行ったやら
オタモイ岬の ニシン御殿も
今じゃさびれて オンボロロ
オンボロボロロー

かわらぬものは 古代文字
わたしゃ涙で
娘ざかりの 夢を見る

 歌う北原ミレイのよそおいとふりは、場末感漂いやさぐれていながら、上っ面の感傷を切り裂き進んでいく、エネルギッシュだ。そしてその中にけなげな姿が見え隠れする。わたしは、このエネルギッシュなところに、つくづく道産子気質を想う。
    
コメント (2)
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