うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

北京のオリンピック騒動

2008年08月22日 03時23分08秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
やや、暑さが和らいできた。
 連日、私は北京のオリンピックのテレビ放送にかじりつく。中国はこの国家的なイベントにかける熱意と喧騒とその虚妄と、悲惨な少数民族に対する人種差別、所得差の激しい国情の国であるが、それでも興味津々で見ている。

 日本のマスコミは、中国のインターネット世論を重大に取り上げすぎる。得手勝手な意見をふりまわす。中国共産党に抑えられて、単に外国を知らず国内でエネルギーのやり場に困っているに過ぎない。為政者から見たらそのかじ取りは難しいかもしれぬが、そればかりだとどんな政治体制であっても、衆愚政治の世の中になってしまう。
 徹頭徹尾、生存競争に明け暮れせざるを得ない自己中心主義の大河の砂粒のような無数の国民の集まりだ。この国は、比較するときにわたしたちがおもわず感じる日本人特有の美意識などクスリにもしたくない。かつて礼の国と言われた中国は、何処にありや。孔孟思想、四書五経の国、史記、漢字文化の源の国などと、憧憬を持って善意に解釈するのはそろそろ大外にした方がいい。これはこれ、あれはあれである。現代の中国に対してわたしはそう思う。

 以前、一週間程度、中国に旅行した時に現地で不承々々に実感させられたのは、比喩的に表現するならば、社会主義の国とは市民が存在せず公務員だらけの国民で成り立っているということだった。むろん、そこには公務員の良し悪しもある。旅先で、わたしはてっとり早くそのように理解したものだ。

 国境など冷厳な国際関係には、国として主張すべきは、何度も何度も繰り返し主張すること。相手は国際法を守るではなく、国自体が法治国家でなく中国共産党による人治国家だ。そうしないと、かれらは真実ではなく既成事実を積み上げそれを現実化していくだろう。イミテ-ションを正々堂々と何度も繰り出せば本物であるとする、というお国柄だ。日本人は海洋民族だからか、国境にのほほんと無頓着すぎる。親愛の情を示すのはその次だろう。
 それに、わたしたちは日本国民、国益第一、むしろマスコミは日本人から見た、共産党独裁の部分を勇気を持って取り上げてほしいものだ。アイデンティティーを持てず思い込みの激しい国民性の韓国と同様に、願わくば、中国も隣国なのだから是々非々で適切な距離感を持って交流したいものだ。
 その当時知り合った、昆明のイー族のあの雲南大学出身の女性はどうなっただろう。漢民族で北京師範大学出のエリートの彼は出世したかな。などと、日本人選手の活躍とともに、わたしは身近に思いながらテレビでオリンピックを見ている。
      
コメント (2)
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