雑談の達人

初対面の人と下らないことで適当に話を合わせるという軽薄な技術―これがコミュニケーション能力とよばれるものらしい―を求めて

「落ちるところまで落ちれば日本も復活するはず」という、おめでたすぎの楽観主義

2010年09月07日 | その他の雑談
「最早生半可なことでは、日本はかつての繁栄を取り戻せない」という危機感が漸く各方面に広がって来たようで、権力の亡者で壊し屋の金満政治家への総理就任待望論が高まっているという。今の社会制度が徹底的に破壊されれば、あとは何かが起こってくれると思ってるらしい。

「大東亜戦争でもそうだったんだから、一度焼け野原になって、既存の既得権のしがらみが完全にぶっ壊されれば、きっと日本は復活する」などと、本気で思っているとしたら、日本人とはどこまでおめでたい民族なんでしょうね。そもそも「復活する」という発想が、今更どうしてでてくるんでしょうか。

皆さん。もういい加減に認めましょう。日本は「負けた」のです。現在完了形です。アメリカに、ロシアに、EUに、中国に、台湾に、韓国に、シンガポールに、香港に、すべて負けたのです。敗者復活はもうありません。

どの国に「どの時点で負けたか」は、今となって振り返ってみれば明らかでしょう。問題は、負けた瞬間には「負けた」という認識を持つことはほぼ不可能で、如何に「負けてしまったんだ」ということに素早く気付けるかが、敗者復活戦に間に合うカギとなります。

ところが、我々日本人は「負けた」という現実を、もう20年も見て見ぬふりをしてきました。いくらなんでも、今更取り戻せると考えるのは、余りに楽観的に過ぎませんか? 新興国の皆さん方は、日本が5年かけて成し遂げた発展を1年でやってのける超速度で進化し続けています。つまり、この20年に日本は100年分置き去りにされたも同然です。

「焼け野原になれば、きっと復活する」というのは、万策尽きたということです。それにより何とかなると思うのは、気が狂っているとしか思えません。もう、終わったんです、日本は。総理大臣が誰になろうと、きっと何も変わらないことは、皆さん薄々気が付いているでしょう。もういい加減、あきらめましょう(といっても、あきらめきれず、ちっとも懲りてないから、どうしようもなく閉塞しているんでしょうけどね)。

国家として、社会として、このまま永遠に負けを認めないまま滅亡しそうな日本ですが、我々には唯一残された道があります。それは、「個人として負けを認める」ということです。これに気付いた人だけが、日本と言う国家の没落とは無関係に、個人として脱出し、敗者復活戦の土俵に立ち、繁栄を手に入れる僅かな可能性を得られると思うのです。くだらない政党の党首選やテレビの討論番組の議論とは一切無関係な所で、どうやって少なくとも自分+αの家族ぐらいだけは生き残るのか。この一点をとことん考え抜くのです。

政治家が、官僚が、マスコミが、企業が、学校が何とかしてくれるというのは甘えに過ぎません。こうした面々を批判しても、世の中は決して良くなりません。こうした人たちの無能ぶりをあげつらっておきながら、どうしてこうした人たちに何時までも期待し続けるのでしょう。意味がわかりません。

「日本をあきらめた人」がこの国のマジョリティになった時、ひょっとすると何かが変わるかもしれません。でも、そこにはもう、かつての日本はありません。荒廃し、廃墟となった古の経済大国と、その国をルーツとしているが、最早祖国とは全く無関係に繁栄する人たち(日本語をしゃべっているかどうかも、わかりませんね。きっと英語が公用語でしょう。)がいるだけになるでしょう。仕方がありません。長い人類の歴史をみれば、民族の繁栄とは常にそのようなものではなかったでしょうか。

日本をあきらめても、自分をあきらめなければ、きっと幸福はつかめるのです。

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