あんまね、自分じゃわかんないことを記事にするのはいけないかなーと思うんだけど。
荒川弘は、絵に関しては、フツウだよね。
や!私、絵描きじゃないし、絵に関してそれほど興味無いから、ほんとほんと、わかんないんだけど!
でもさ。マンガの絵、ってさ。
その絵を見ただけで「これ誰々が描いた!」って分かっちゃうやつ、カラーっていうか自己主張っていうか、そういうのの方が、「スゴイ」よね。
そう思ったのが、ペーパーバックの表紙。これ
小畑健と、北条司と、荒川弘の絵が並ぶ。
荒川先生の絵、フツーだよね(笑)
小畑さんのはタダモノじゃない空気だし、北条さんは何を描いてもシティハンター(笑)
でも荒川センセのは、「鋼の錬金術師の荒川弘」というコピーが無かったら、荒川弘が描いたって、ぱっと見、わかんなくない?
それは、もちろん、イイコトでもあると思う。
北条司はもう、探偵モノ表紙しかやれないだろー(笑)
でも荒川弘ならスポーツものでも学園ものでも、その小説の世界観を邪魔しないだろう。
素直なんだ。絵が。
でも、やっぱ、絵、単品で見るなら、やたら存在感のある絵、のが、「スゴイ」。
「何を描いてもシティハンター」の北条さんのが、たぶん、スゴイ。
だから、二人と比べると、荒川弘は、「フツウ」だなって思う。
それからね。
表紙じゃなくて、マンガの絵。
これもね。思ったんだけど。
荒川弘ほどの人でさえ、「何も工夫せずに作画をこなしていく」時は、胸から上の人物ばかり(いわゆる顔マンガ)になってしまう、という事実。
19巻の中ほど、クセルクセスが滅亡したあと、ホーエンハイムがイズミとシグと会話するあたり。
ここはおそらく、荒川弘先生が体調を崩されたところ。雑誌掲載時には背景のトーンも抜けてて、その手前の詳細な書き込みとの差が単行本以上に大きかった。
その時は「めずらしい、締め切りに間に合わなくなったのか」とか、思ったんだけど。
これはね、驚きでもあった。
何も考えないなら顔マンガ。
つまり、荒川先生は、ロング、アップ、仰角、俯瞰といった構図を、感性ではなく、頭で考えて、描いている、ということ。
絵描きさんからすれば、当たり前のことかもしれないんだけど!
でも、シロウトだから。漫画家って、脳内に展開する物語を紙におとす時、すでにその構図とかカメラ位置まで、ぱっと浮かぶものだと。
浮かぶもののように、考えていたんだ。
違うんだね。
そういうマンガ家さんも、たぶんいる。すごいセンスいい構図取るひと。(それだってもちろん、感性だけじゃなくて、学びと実践の成果の上にあるんだろうけど)
けど、荒川先生の絵は、やっぱり、努力っていうか、考えて立ち向かって工夫して、そういうのの積み重ねで、描かれてるだな、って。
今月の、獣神演武を見て、思ったの。
工夫して努力して立ち向かってこその、迫力の武闘シーンなんだな、って。
けっこう不器用だよね、荒川先生(笑)。
不器用で愚直で、まっすぐ。
やたら熱くて大好きな、「文芸ジャンキーパラダイス」の「最新文芸情報」5/11で紹介されていた、作家・森博嗣氏の芸術論。孫引きですが。
『芸術作品というのは、「よくここまでやったな」という「労力」を評価するものではない。労力をかければ誰にでもできることではなく、「これは、こいつにしかできない」と見た人に思わせるものでなくてはならない。労力をかけた作品は、それを見ただけで微笑ましく、そして作った人を褒めてあげたくなる。「凄い、よくここまでやったね」という祝福をしたくなる。一方、その段階を越えた一流の芸術作品とは、見たときに恐ろしくなる。作った人が恐くなる。褒めようとか、祝福しようとか、そういった気持ちにはなれない。ただただその人間の存在を感じるだけだ。(以下略)』
荒川弘は、一流じゃない。
恐ろしくなんかない。
これは、こいつにしかできない、では無い。特に「絵」は。たぶん今はまだ。
それでも、だから、考えて、がんばって、一心に労力をかけている。
だから私は褒めたい。祝福したい。
だから私は、荒川弘が、愛しくてならない。
ごめん。その、私ほんとは、さっぱりカラリとした文が好きなんですが、なんか、今そゆの書けなくて・・・ただ下の記事がトップなのはどーにも心苦しくて、なんか意味無い個人的感想をつらつらと。
30日はウンポコの発売日!「百姓貴族」を読んだらきっと、また無駄に熱くて元気でうるさい歌猫にもどりますー!
荒川弘は、絵に関しては、フツウだよね。
や!私、絵描きじゃないし、絵に関してそれほど興味無いから、ほんとほんと、わかんないんだけど!
でもさ。マンガの絵、ってさ。
その絵を見ただけで「これ誰々が描いた!」って分かっちゃうやつ、カラーっていうか自己主張っていうか、そういうのの方が、「スゴイ」よね。
そう思ったのが、ペーパーバックの表紙。これ
小畑健と、北条司と、荒川弘の絵が並ぶ。
荒川先生の絵、フツーだよね(笑)
小畑さんのはタダモノじゃない空気だし、北条さんは何を描いてもシティハンター(笑)
でも荒川センセのは、「鋼の錬金術師の荒川弘」というコピーが無かったら、荒川弘が描いたって、ぱっと見、わかんなくない?
それは、もちろん、イイコトでもあると思う。
北条司はもう、探偵モノ表紙しかやれないだろー(笑)
でも荒川弘ならスポーツものでも学園ものでも、その小説の世界観を邪魔しないだろう。
素直なんだ。絵が。
でも、やっぱ、絵、単品で見るなら、やたら存在感のある絵、のが、「スゴイ」。
「何を描いてもシティハンター」の北条さんのが、たぶん、スゴイ。
だから、二人と比べると、荒川弘は、「フツウ」だなって思う。
それからね。
表紙じゃなくて、マンガの絵。
これもね。思ったんだけど。
荒川弘ほどの人でさえ、「何も工夫せずに作画をこなしていく」時は、胸から上の人物ばかり(いわゆる顔マンガ)になってしまう、という事実。
19巻の中ほど、クセルクセスが滅亡したあと、ホーエンハイムがイズミとシグと会話するあたり。
ここはおそらく、荒川弘先生が体調を崩されたところ。雑誌掲載時には背景のトーンも抜けてて、その手前の詳細な書き込みとの差が単行本以上に大きかった。
その時は「めずらしい、締め切りに間に合わなくなったのか」とか、思ったんだけど。
これはね、驚きでもあった。
何も考えないなら顔マンガ。
つまり、荒川先生は、ロング、アップ、仰角、俯瞰といった構図を、感性ではなく、頭で考えて、描いている、ということ。
絵描きさんからすれば、当たり前のことかもしれないんだけど!
でも、シロウトだから。漫画家って、脳内に展開する物語を紙におとす時、すでにその構図とかカメラ位置まで、ぱっと浮かぶものだと。
浮かぶもののように、考えていたんだ。
違うんだね。
そういうマンガ家さんも、たぶんいる。すごいセンスいい構図取るひと。(それだってもちろん、感性だけじゃなくて、学びと実践の成果の上にあるんだろうけど)
けど、荒川先生の絵は、やっぱり、努力っていうか、考えて立ち向かって工夫して、そういうのの積み重ねで、描かれてるだな、って。
今月の、獣神演武を見て、思ったの。
工夫して努力して立ち向かってこその、迫力の武闘シーンなんだな、って。
けっこう不器用だよね、荒川先生(笑)。
不器用で愚直で、まっすぐ。
やたら熱くて大好きな、「文芸ジャンキーパラダイス」の「最新文芸情報」5/11で紹介されていた、作家・森博嗣氏の芸術論。孫引きですが。
『芸術作品というのは、「よくここまでやったな」という「労力」を評価するものではない。労力をかければ誰にでもできることではなく、「これは、こいつにしかできない」と見た人に思わせるものでなくてはならない。労力をかけた作品は、それを見ただけで微笑ましく、そして作った人を褒めてあげたくなる。「凄い、よくここまでやったね」という祝福をしたくなる。一方、その段階を越えた一流の芸術作品とは、見たときに恐ろしくなる。作った人が恐くなる。褒めようとか、祝福しようとか、そういった気持ちにはなれない。ただただその人間の存在を感じるだけだ。(以下略)』
荒川弘は、一流じゃない。
恐ろしくなんかない。
これは、こいつにしかできない、では無い。特に「絵」は。たぶん今はまだ。
それでも、だから、考えて、がんばって、一心に労力をかけている。
だから私は褒めたい。祝福したい。
だから私は、荒川弘が、愛しくてならない。
ごめん。その、私ほんとは、さっぱりカラリとした文が好きなんですが、なんか、今そゆの書けなくて・・・ただ下の記事がトップなのはどーにも心苦しくて、なんか意味無い個人的感想をつらつらと。
30日はウンポコの発売日!「百姓貴族」を読んだらきっと、また無駄に熱くて元気でうるさい歌猫にもどりますー!
メール盗用ですか~。本人には即バレですが、他人には分からないですものねえ。掲示板での、偏り気味なお客さんへの対処とかも大人な感じで、好感持ってたんですが・・・。
私も、自分とすごく近い意見だと、まるで自分がそれを言い出したかのように錯覚しそうになることがあるので、難しいなあと思います。
ところで、ユリイカ感想記事、ずっと楽しく拝読しております!等価交換のアンチテーゼとして一粒万倍を出されたのには目からウロコ!一の善が集まって善の流れを作る、と通じるものがありますよね!おおう、時間があったらこれも記事にしたいのにー!(<てか感想はちゃんと先方にお邪魔して書け)
コメントありがとうございましたーv
コメントありがとうございました~!
せっかくだから文芸ジャンキーのトラブルの件も書きますと、私が送ったメールをまるごと、転載であるのを隠して日記に載せてくれやがりました。(言葉汚!)
慌てて抗議したら即対処はしてくれましたが、最後まで謝罪の言葉はなく、文章も丸ごと書き直されました。(指摘された文章は横線で消した上で、その下に追記を書くのがルール・・・だと思うんですが違うのかなあ・・・他のブログではよく見る修正ですが)
メールで内々に抗議したことには感謝されましたが、他人様のメール文章をパクったくせに保身最優先かYO(お下品!)と完全にぶち切れて連絡を止めました。
何人かライターの方を知ってますが、皆さん出来た方ばかりです。それなのに、ああそれなのに、あんなにプロ意識の欠けたライターは初めてです!
あんなに怒りに満ちたメールを送るのは初めて、って勢いの物凄いメールを叩きつけましたっけ。。。あああ思い出すだけで怒りが!
・・・こんなところで下らない話してすみません!レス不要ですので見逃して頂けると嬉しいです。
歌猫さまは事前に連絡して下さるし、引用元の記載もきちんとされてるので、全く問題ないと思います!むしろ気を遣って頂けて恐縮です。
他人の文章に対する配慮はプロアマ関係ないなぁと痛感する今日このごろです。
いやーレスがこんなに遅くなってほんと申し訳ない。
さて文芸ジャンキー、おやそんなことが。で、ちゃんと白黒つきました?文筆業というのは因果な商売だなあ、と、ネットパクリ事件とか読むたびに思います。自分も、感想記事書くとき、他ブログで見たネタを材料にするときどう書けばいいか、いつもちょっぴり悩みます・・・。
努力の秀才。うん。芸術家というより職人だなあ、といつも思います。引用文は芸術論なので、マンガという大衆芸能に対して引用するのはなんか違うなあと自覚はしているんですが;
じゃあ美術館展示やってる井上雄彦あたりは芸術な絵?けど、彼とてスラダンを描いて芸術とは言われないだろう(今の実力でもってしても)。じゃー芸術って何だ?と、文芸ジャンキー眺めつつまた首を捻ったり。
エドは天才だけど、普通の少年であるように、荒川弘もとんでもなくすごいマンガ家だけど、でも普通の人なんだよなあ、と、なんか、しみじみね・・・。
コメントありがとうございました!
トコトコ様こんにちは!
うん、そのとおりですよね。どこにでもある絵、では決してない。力強さ、実直さ。
カラー絵でもね、19巻の表紙、本当に上手いなあと。で、その上手さがね、丁寧さ、塗り重ねた色数、そういうのが例えば18巻の表紙より、19巻の表紙のが、時間かけて描いてるなあって感じる。その、かける時間と心(の余裕)と作品とが、正比例な作家さんなんだなあ、と。
色気。マスタングを、丸顔なのにハンサム、というのは他に無い、と、鋼アニメーターさんだったか誰かが仰ってて、ああなるほどなあ!と思いました。
お返事がこんなに遅くなってしまって、本当に申し訳ありません。またぜひ通りかかっていただけますよう。
コメントありがとうございました。
ぱんだ様こんにちは。
あああ、通りすがり様でしたら、もうコメレスご覧いただけないでしょうか。ごめんなさい、こんなに遅くなってしまって。
はい。マンガは芸術とは違うと、私も思います。芸術って、自分の内部を高めていくもの・・・能って芸術だなあと眠くなりながら思ったり。そしてマンガは、伝えるもの、多くの相手に届いてナンボ。
そんで、マンガは芸術じゃないから並べられないけどさ、みたいな一文があったのですが、小学館で原稿紛失で訴訟してる作家さんがいらっしゃるじゃないですか。密かに応援しているので、今、マンガは芸術じゃない、なんて書いたらいけないなあとか思って削ってしまったんですよね・・・。
>一つの作品を前にして、それが努力によるものであるとか、持ち前の才能・感性によるものであるとかで線引きをする意味がわかりません。
はい。そのとおりです。
>過程ではなく結果の完成度
はい。それもまた。
私が荒川弘先生の入院で動揺してたとき、「作者の体調がどうだろうと作品は関係無い(完成度の言い訳にはならない)」と断じてくれた友人がいて、それもその通りだと思います。
そのとおりだと分かっているのに、毎月毎月、余裕のギャグがあると調子がいいんだわと嬉しくなり、粗い絵があるとお忙しいのかしらと心配する。私は「一つの作品」として、鋼や獣神を読めなくなっています。読めなくなっているんだなあと、この記事と、ぱんだ様のレスをながめて、つくづくと。
それは、プロ作家荒川弘に対して、ひどく失礼な態度かもしれないとも、思うのですが・・・。
真摯なコメント、本当にありがとうございました。
耿仁様こんにちは。
そうですね。怖い、怖くない、も、好き、好きじゃない、と同じに、個人の感性ですよね。
この記事はもう、色々と穴だらけで、ほんと、すみません。
荒川弘は本当に上手い。話も、マンガの表現力も。それは数多のマンガ評論家さん達にも言われていることで、もう絶対の事実だと思います。
でも、それは「自分の物として持っている」のではなくて、常につねに、掴みつづけているんだなあ、とか、思ったんですよね・・・。どんな上手さを持っていても、それを持ちつづけるのは、やはり努力なんだよなあ、とか。
滅多に崩れない安心感。本当に。常に一定以上のクォリティは、本当にすごい!と思う。だから、さらっと読んだら崩れてるとも感じない、けれど覇気の無い絵を見ると、どうしたんだろうと思ってしまう・・・思ってしまって、こんな歪んだ?記事を書いてしまいました;
お返事遅れて申し訳ありませんでした。コメントありがとうございました!
とおりすがり様こんにちは。
はい。
>ストーリーやコマ割り等等、すべてひっくるめて個性
その通りです。そしてストーリーもコマ割りも、本当に上手い。ものすごく上手い。もう、それは大前提で、その上で、何か語りたくて、そんで失敗しました。すみません。
イラストとしての上手さとマンガとしての上手さも、そのとおり。芸術か否か、というのも、はい。
鋼は、芸術ではなく、メッセージだと思います。何かを究めるものではなく、何かを伝えるもの。それも明確に、少年少女という対象に。その上で、あの分かりやすい絵(コマ割り含む)、は、最強だと思います。
でもマンガは芸術とは違う、と書くことに、らいくまことさんの訴訟とかが気になって削除したので、記事の方向性が変になっちゃいました。
コメントレスが遅くなって申し訳ありません。書き込み、ありがとうございました!
ヨウ様こんにちは。
わああ、ヨウ様においでいただいてしまった・・・!ありがとうございます!!すみません、獣神では変な記事ばかり上げてしまって。
そしていつも、的確なご説明ありがとうございます。そうなんだ、座るポーズって難しいんだ・・・。
荒川先生のパースは安定していて大好きです。人物込み背景が2場面以上あるとき、カメラが変わっても、人物と背景の位置関係がちゃんと正しいんですよ!19巻の若ホーエンハイムが登場した実験室なんてそのまま立体化できそうですよね。
19巻のくだんの回は、獣神と平行作画をはじめて(作画量が1.5倍になって)ほぼ1年です。次から32~35ページと連載ペースを落されましたし、獣神はアニメ放映開始したのにカラー無しでしたし、間違い無くここで何かあったんだと思います。
獣神3巻は、やっぱり「渾身の」作画でらっしゃいますよ。将軍とのバトルシーンの迫力とか。単行本1冊で見たら、今回の部分も気にならないんだろうな、と思います。でも、隔月刊誌の40ページ分、と考えたとき、荒川先生どうなさったんだろう、と・・・。(今回は顔マンガというのではなく・・・うまく言えないんですが、テンションが低い) たまにはそういう時もあるさ、なのかもしれないのですが。あるいは私が獣神に対して、ヒネた見方しかできないだけなのかなあ。
本当に、コメントくださって、ありがとうございました!
19巻のあたりの話、時間がなくて書き込みが出来なかった事は、そうかもしれません。ですが、このシーンのあたりって、確か獣神の仕事と重なっていた頃では。自分の獣神のレビューで、「全編、アニメ表現を使っている」と書きましたが、実は2巻で全く逆をやっているんです。2巻は全編、マンガ表現になってます。
荒川先生は、「鋼」の方ではあまり実験をやらないんですが、「顔のアップだけの進行」ではなく、ページ全体 (見開き)での効果を試したのかもしれません。
雑誌の方を見ていないので、今ではホントにそうかは分かりませんが。
長文、スンマセン。獣神3巻が出たら、詳しくやります。
あまり装飾的になってしまうと、ストーリーを表現する上で邪魔になるのではないか…と思います。ストーリーやコマ割り等等、すべてひっくるめて個性なのではないでしょうか。
イラストとしての上手さと、マンガとしての上手さは、目的がちがうのであまり並列しにくいものだと思います。(両方できちゃう人は、もちろんいると思いますが)
それから、漫画は文化になりうるとは思いますが、芸術としてとらえられるかという点においては、まだまだ論議されている段階であるかと存じます。
私見ではありますが、そう思う人間もいるということで、失礼致しました。
勉強すれば、それこそ努力をすればあの筋肉やら身体のラインとかを生み出すこと可能かもしれない。でも私が知らないだけかもしれないですが、私にとって荒川弘の絵は強烈です。滅多に崩れない(あくまで滅多に)絵は見ている側に安心感をもたらしますし、あのしっかりとした存在感を持った骨太な絵は荒川弘ならでは、と思います。
だから努力云々で得られるのかもしれなくても、それを既に自分の物として持っている彼女は結構な脅威じゃないかなぁ、と。(脅威は言いすぎ?)
何やら支離滅裂ですが、私の主観を語らせて戴きました。多分に荒川先生好きとしての視点を含みまして、乱文を失礼致しました。
私も絵を評価する能力は持ちませんが、マンガは「いわゆる芸術」と同じではないと思います。「鋼の錬金術師」というストーリーを魅せる手段としてのマンガという表現。それは、荒川弘にしかできない仕事なのではないでしょうか。
一つの作品を前にして、それが努力によるものであるとか、持ち前の才能・感性によるものであるとかで線引きをする意味がわかりません。過程ではなく結果の完成度が問われるというのなら、その完成度を生み出す原動力の種類を問う必要性はどこにもないのではないでしょうか。
絵を見てどんな印象を持ったかは記憶にありませんが、私個人は、鋼の錬金術師という作品をはじめて読んだとき、感想もなにもなく、ただ身震いがするような思いをしたのを覚えています。恐ろしいと思うかどうかも、個人の感性の問題でしかないとは思いませんか?
先生の絵柄は「とても個性的」とデヴュー作で評価されたと読みましたが。わたしもそう思います。
とくにキャラはいまどきの繊細な画風ではなく力強いし、今流行の、顎が妙にとんがっている顔でもなく、それでいてすごく切れのいい顔立ちで美男美女には皆色気が漂っていますぞ(笑
鋼は考えて考え抜いて錬成されてる、というのがよく伝わる作品だな、と思いました。感性という才能よりは考え抜く忍耐と喜び、そして客観性が前面に出てるというか。一枚絵で魅せる方向の作家ではないのは、ご本人も自覚されてるかと。
表現が下手ですが、工業デザインに近いものを感じます。心と体が完全一体したまま素直に育った野性味あふれる素地と、考えて考え抜く客観性と冷静さの按配が、あの見事な作品の源なんでしょう。
荒川氏は、いわゆる天才ではありません。知能と組み立て計算能力がとんでもなく高く、考えて考えて考え抜く努力を辞めない働き者の秀才です。でも、考えて書いて、書いて考えて、という工程でしか技術は上がりません。
私は、決して考え抜くことを辞めない弛まない努力に惚れてます。
文芸ジャンキーですか・・・ここは前に送ったメール文章をパクられて揉めたことあったなァと・・・あああすみませんこんなところでなにを!