歌猫Blog跡地

漫画「鋼の錬金術師」と荒川弘について語るブログ。更新終了しました。

それは違うと思うのよ(雑誌ネタバレ含む)

2006年07月16日 | ◆小ネタとか突っ込みとかつぶやきとか
「鋼の錬金術師」◆
(あっ!トラバ失敗してる?!あうあう、微妙ネタバレ送っちゃった…!)


ガンガン感想をあちこちで読んでてさ。

や、それは違うようー?

って思ったこと2点、書いちゃいます。

(あの、特定のブログに対してではありませんので…。いくつかで同じように書かれていたから余計に記事にしたくなっちゃったんです~)


一つめ。

先月号のキンブリの台詞ごもっとも。軍人になった時点で人殺しになるとわかりきってるのに、ロイは覚悟もなかったの?

うん。
覚悟無かったと思う。
「ある程度想像していたけれど、現実を目の当たりにしてびびった」とかの、レベルじゃなくて。

ロイが「人殺し」に疑問を持ち悩んだのは、殺す相手が自国民だから、でしょ? しかも戦略的意図が不明の、皆殺しという方針に。
つまり、敵国の軍人を戦略的意図を持って殺すのであれば、疑問をもたなかったと思う。
圧倒的軍事力で出鼻を叩いて和平交渉を有利にとかそゆのなら。あああ、この辺は、ほかのもっと、軍とか戦争とかをよく分かってるブロガーさんにお任せしたいのだけれども。

つまり、敵国の軍人は、「人ではない」んだ。ゲーム板の駒や報告書の数字と同じに。
少なくとも、軍人になったばかりのロイにとっては。(そしておそらくは今も)

そして多分、グランや一般の兵士にとっては、イシュバール人も人では無いんだ。
そしてキンブリーにとっては、自軍の兵士も人では無いんだ。
ブラッドレイももちろん、自国民も自軍の兵もイシュバールの高僧も、人ではなく数字である、という立場に立っているんだ。己の気持ちがどうあろうと関係無く。

うー…。うまく、言えないんだけど。
だから、マスタングはイシュバールで初めて、人殺しを意識できたんだ。だからそれは、今のマスタングという人格を作る上で幸いだったかもしれないんだ。


そういうわけで。
「人殺しの覚悟無かったの?」っていうの読むと、だって私らだって人が、人か、ただの数字か、あやふやじゃない。そんな強いこと言わないでよう~ってしょんぼりしちゃう。
(私がこんなにマスタング好きになるなんてなー)



もうひとつ。

スカーの腕って錬金術でくっつけたの?!何か興醒め。ならエドの手足だって他人のくっつけりゃOKじゃん。

そーだよOKだよ。当たり前じゃん!!

他人の手足ぶっちぎってエドにくっつけるのは錬金術として可能だよ。無いものを生むことはできないから無い腕を生やすことはできないけれど、移植ならできる。鋼世界の錬金術は科学技術だから、科学技術で可能なことは錬金術で可能なんだ。
キメラがいるのに手足の移植が出来ないはずないじゃんか。
そんなん、解説の必要も無いくらい自明のことじゃんかー!!
(はあはあ。おちつけ)(<すみません、エドのこととなると;)

だからさあ。
そんなことはもうずーっと手前の話でさ。
錬金術による移植なんてもう、ずっとずっと手前で検討されて却下されてんだよ兄弟の間では。だってそれは「取り戻した」とは言えない。
その上で、そうはしないで、方法を探しているんだ。

兄弟には根本的に、他人を犠牲にするという選択肢が無い。
マルコーから賢者の石を奪わず、賢者の石が人の命からできてると知った時は元に戻るのを諦めかけ、目の前にしても使うことをためらい、今だってアルは賢者の石を使うのには否定的でエドだって割り切れない自分を認めてて。

つまり、やると決めてしまったなら。
エドは最初から他人の手足を奪って自分のものにできたし、今となっては他人の命を使って賢者の石を作ってその力で扉を開けてアルの身体を取り戻すことだってできるんだ。

でもしない。

なんてまだるっこしくて、高潔な、目標だろう。
他人を犠牲にすること無しに、自分達の身体を取り戻す、なんて。


そして、エドはアルによって、自分を犠牲にしてアルの身体を取り戻すという選択肢も閉じられている。
だからスカーは可哀想だ。ロックベル医師によってではなく、兄自身の錬金術と犠牲によって腕をつけられたと分かった今、尚更に。哀れなのはアルではなくスカーだ。

スカーの兄は本当に、死んでしまったのかしら。
名前を捨てたスカー。その名がいつか初めて明らかになるとき、その名を呼ぶ人が、生きていた兄だったらいいのに。
(生き別れの兄弟なんてベタネタでも、スカーにも救いが欲しい。スカーまで好きになってきたらしい…)


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