「自分で考える」の呪縛については先日娘が見ていた「お猿のジョージ」に示唆的なエピソードがあった。天才ワイズマン博士は何でもできるけど料理が壊滅的に下手くそで、その癖レシピはみない。「料理はインスピレーションでクリエイトするもの」と思ってる。でもシェフのパパゲーノさんは(続)
(承前)プロになった今でも初めての料理を作るときはレシピを見る。「クリエイティブになるのはレシピを頭に叩き込んだ後」と彼は言うのだが大変身につまされました
ゼミの連絡はmixiを使っていることを新ゼミ生に言うと皆、驚いたり嫌がったりアカウントを作るのが面倒だというような反応をするのだが、「FBやLINEでもいいけど、私とつながることになりますよ?」と言うと毎年mixiが選ばれる。
橋下徹、および維新の会はタウンミーティングや街頭演説、CMでウソ、デマを垂れ流しています。「二重行政」がうんうぬんというも全部ウソです。
『新潮45』が、都構想が詐欺だった件について明らかにしています。 pic.twitter.com/oZHXBHZB8a
引用した箇所(前ツイート)もぼくはおかしいと思います。現場は国道で双方の車両の速度が50km/hとします。そうすると,センターラインをオーバーされて衝突された車(Bとします)が停止していたものとしてラインオーバーした車(Aとします)が100km/hで衝突したのと同じになります
判決は「早い段階で発見していればクラクションを鳴らすなどでき」(事故回避の可能性があった)といいたいのでしょうが,クラクションを鳴らして回避するためにはクラクション音を聞いてから最低でも1秒以上必要です。発見してクラクションを鳴らすために最低限1秒必要でしょう。(続
時速100km/hは秒速に直すと28m/secですから,約60m先でセンターラインオーバーしている状態で発見できたとして双方の車が適切な行動を取れば事故が回避できた可能性があるということになるかもしれません。しかし,60m以上先にクラクションを鳴らしたとして聞こえるのでしょうか?
クラクションの音が聞こえたとしてわずか1秒の間に適切な事故回避行動をとることが合理的に予測できるのでしょうか?ぼくは実際上難しいと思います。このような人間工学の上に立ってセンターラインオーバーの場合にはもらい事故として類型的に本来過失は100:0とされているのです。(続
もちろんラインオーバーしたA車とB車がもっと離れていれば適切な行動を双方に期待できるかもしれません。しかし,離れれば離れるほどクラクションの音など聞こえづらくなっていくので,適切な回避行動を期待できるように距離が延びれば延びるほどクラクションによる注意喚起は意味がなくなります
ドライブレコーダーの画像があっても,この画像の場所は被害者が訴えている交差点と違うとか,この画像はねつ造だと言い出す人がいるのを経験しているので交通事故の紛争の種は尽きないなぁと思います。
追突の時には被追突車(前方車)が過失0,追突車が過失100とされるのが基準です。
もし今回の福井地裁の判決の考え方を踏襲するとこの場合でも被追突車が無過失証明をしなければならないことになります。追突事例で追突車の運転者も怪我していることがままあります。(続
ですから自賠であっても無過失の場合には免責とされています。そして交通事故は類型的に整理できるのでセンターラインオーバーのときには類型としてオーバーライン車の過失が100,もらい事故側は過失0とされているのです。続
自賠は過失が95であっても(減額はされますが)被害者救済のために支払はなされますが,過失0のときには自賠は支払われません。そのため,もらい事故側の過失0の証明をさせるのではなく,ラインオーバー側において被衝突車の過失5以上の証明をさせるべきだと思います
こういうタイプの服を着てたら98%ぐらいの童貞オタクは一瞬で恋に落ちちゃうと思うので女子のみなさんは是非とも参考にしてください pic.twitter.com/dM94JWksk1
日本のインフレ率の推移
ecodb.net/country/JP/imf…
※消費者物価指数の前年に対する上昇率を表す。 pic.twitter.com/55hpRcVJuA
自分たちが使ってる言葉や手法を誰よりも疑うということはないんだ。因果関係を完全に証明できないからこそデータを使ってそれに迫っていくわけだろうに。しかし迫ることはできても完全には到達できないため、因果関係があると一般に思われていても相関に過ぎないという可能性は常に残るだろう。
因果関係と相関関係は違うということを教えるというのは非常に難しいことで、変な教え方だと相手をロンパしたがる馬鹿に使える罵倒語を一つ増やしてやるだけなんじゃないの、ということが言いたかったんだけども。
あと、経済学者の言ってるいい加減な因果関係の例なら、リフレ派の学者の言葉はだいたいあてはまるじゃなかろうか。円安ドル高や株高が異次元金融緩和の効果だと言ってるけどどこまで証明できてるのか。インフレ率さえも全然上げることができてないのに。期待に働きかける、というのから姑息に変化して
経済学者が因果関係の検証をきちんとしてるというなら、異次元金融緩和がなぜインフレ率を上げなかったのか、上がってないのに円安ドル高と株高が進んでも大丈夫なのか、というのをリフレ派学者が一番に取り組んでいるはず。なのに購買力平価の話が出されたときに余計なことを言うなと文句を言ってる。
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