偏屈者の世迷言

最近は競馬のことばかり書いてます。もっと政治のことを書いていきたいのですが。自営業者からの意見はもっと出されるべき。

9月29日(日)のつぶやき その3

2013-09-30 04:01:58 | つぶやきまとめ

信長の戦略戦術の第三の特徴はありったけの大軍をかき集めて、速攻で敵城を攻め落とすことを好むということです。圧倒的な戦力で素早く攻め落とすことで他の敵の度肝を抜いて戦意を挫くのが目的でしょう。信長は速戦即決を好むため、長期の包囲戦や調略工作は不得手です

Nakatsukaさんがリツイート | 7 RT

信長の戦略戦術の第四の特徴は万事に速度を重視するということです。好機と判断した瞬間に勝負を仕掛けます。行動があまりに素早いので味方がびっくりすることもしばしばです。敵が準備ができていない敵に決戦を強要する信長のやり方は異常なまでの速戦即決指向の現れでしょう

Nakatsukaさんがリツイート | 13 RT

他に著者は三間半の長槍や鉄砲、鉄船、大砲などの新兵器を効果的に使ったことも信長の戦略戦術の特徴としてあげています。戦例が乏しいので何がどうなって有効だったのかわかりにくく、詳しい人に実際に読んでいただいて評価を伺いたいところです

Nakatsukaさんがリツイート | 5 RT

「信長は正攻法の人なんだなあ」というのが第二部全体の感想でした。強力な直轄部隊の育成、実務家の重用、外様粛清(と子飼いの重用)、宣伝熱心、「数を集めて素早く殴ってケリをつける」という超速戦即決指向、籠城や長期包囲や調略工作が不得手。堅実な戦力構築とシンプルすぎる戦術が特徴です

Nakatsukaさんがリツイート | 12 RT

第三部は「民衆統治に関する政略」。信長の民政や経済に関する政策について触れます。第三部第八章「土地に関する政策」。信長の土地政策の第一の特徴は既得権への配慮です。検地をしたものの名主や領主の既得権に配慮して農民を直接掌握するには至らず、荘園制度の改革にも踏み込みませんでした

Nakatsukaさんがリツイート | 6 RT

信長は「味方する者の権益はそのまま安堵する」という態度が基本でした。味方した寺社の荘園もそのまま安堵しています。農村に対してもほとんど介入しません。土地に関しては信長は「安堵するかしないか」以上の興味はなかったように感じました

Nakatsukaさんがリツイート | 6 RT

信長の土地政策の第二の特徴は兵農分離です。信長軍の中核戦力である直轄部隊「馬廻衆」「弓衆」が尾張に持つ家を焼き払わせて強引に家族ごと安土に集住させたこと、尾張在住の家来に美濃や近江の領地を加増したことなどを著者は織田家が他の大名より兵農分離が進んだことの論拠にあげています

Nakatsukaさんがリツイート | 6 RT

しかし、家臣を城下町に集住させることは他の大名も行っていた政策だし、本国以外に領地を与えるのも複数国を領する大名家では珍しいことではないです。「織田家が他より進んでいたといえるのだろうか」という疑問があります

Nakatsukaさんがリツイート | 6 RT

第三部第九章「商工業・交通に関する政策」。信長の商業政策の特徴は土地政策と同じように既得権への配慮。信長といえば楽市楽座で自由な通商を促したイメージがありますが、実際は座や特権商人を保護して流通を任せました。一国の商人を統制する「商人司」を置いて特権商人を作ることすらしています

Nakatsukaさんがリツイート | 10 RT

信長の楽市楽座は自らの居城の城下町の振興策として行われたもので、商業に対する姿勢は全体としては座や特権商人の保護を指向していたようです

Nakatsukaさんがリツイート | 8 RT

信長の交通政策の第一の特徴は関所の撤廃です。様々な事情で手を付けなかった関所もありますが、基本的には関所の撤廃を目指していたようです。第二の特徴は道路や橋の整備に力を入れていました。信長は交通を円滑化して、迅速な軍隊移動や流通の活性化などを狙っていたのではないかと思います

Nakatsukaさんがリツイート | 7 RT

貨幣政策に関してはあまり良い所がありません。撰銭令によって質の悪い銭の使用を促して流通する貨幣の量を確保しようとしましたが、失敗に終わりました。生野銀山の経営もあまりうまくいかなかったようです

Nakatsukaさんがリツイート | 6 RT

第三部第十章「町に関する政策」。信長の都市政策の第一の特徴は都市の自治の尊重です。信長は自治都市堺を支配しましたが直接支配は行わず、信長派の会合衆今井宗久を使って間接的に堺をコントロールしました。寺内町に対しても自治を尊重しつつ骨抜きにする姿勢で臨んでいます

Nakatsukaさんがリツイート | 9 RT

信長は尾張の商業都市の津馬と熱田、伊勢の自治都市大湊の有力者に対しても気を使っていました。有力者の影響力を都市支配に利用しようというのが信長の基本姿勢でした

Nakatsukaさんがリツイート | 8 RT

信長の都市政策の第二の特徴は京都統治に力を入れたことです。京都は当時の日本では飛び抜けた大都市で朝廷、公家、寺社、商人などが複雑に入り乱れ、統治が困難です。信長は腹心の村井貞勝を通して京都統治に力を入れました。朝廷との良好な関係も京都統治の安定あってのことかもしれません

Nakatsukaさんがリツイート | 8 RT

「信長は既得権者と協調するタイプなんだなあ」というのが第三部全体の感想でした。信長が積極的に撤廃した既得権は関所ぐらいで、領主・商人・農村・都市のいずれにも「自分に従う者の権益は保護する」という姿勢を貫いています。信長の統治は既得権の上に乗っかった統治と言えそうです

Nakatsukaさんがリツイート | 13 RT

最終章で著者は信長の外交・軍事・経済に関する総括を行っています。僕が各章を読んで感じた感想とはだいぶ違っていて興味深く感じました。信長の中に可能な限り新しさを見出そうとする著者と、可能な限りわかりやすさを見出そうとする僕の視点の違いかもしれません

Nakatsukaさんがリツイート | 10 RT

著者は信長を「よく言われる革命児という評は当たらない」「信長の方向性は変革だと思うが、革命のような性急なものではない。無理をせずゆっくりと浸透させるという方法なのだ」「信長は現実家であり、その基調は合理性にある。合理的改革と呼ぶのが最も相応ではないか」と評しています

Nakatsukaさんがリツイート | 10 RT

一方、僕は信長を革新といえるかどうか疑問に感じます。「信長は合理的な現実家であるがゆえに、あえて変革にはこだわらなかったのではないか」と思うのです。変革にも伝統にもこだわらず、既得権との妥協も新しい物の採用も等価であると考える。信長からはそんな泥臭い現実家の顔が浮かんでくるのです

Nakatsukaさんがリツイート | 18 RT

お菓子っ子さんのツイートを読んでたら谷口先生の「信長の政略」が欲しくなったので、近くの本屋さんに行ったら置いてなかった。逆説の日本史は置いてあったのに…


結局はKindleで購入。こっちのほうが空いた時間に気軽に読みやすいから結果的に良かったかも(*´∀`)



9月29日(日)のつぶやき その2

2013-09-30 04:01:57 | つぶやきまとめ

信長の仏教弾圧とされる寺社への武力攻撃も、敵対的な政治勢力への攻撃という当時では常識的な行動なのです。信長は自分に味方する寺社の権益には保護を加えました。これも当時では常識的な行動です

Nakatsukaさんがリツイート | 11 RT

信長の宗教勢力攻撃の典型例とされる本願寺との戦いでも、さんざん蔑ろにされた長島と越前の一揆は皆殺しにしたものの、本願寺そのものに対しては和議を結んで石山を退去させただけで良しとして、教団の活動には弾圧を加えませんでした

Nakatsukaさんがリツイート | 8 RT

信長が自分に敵対しなかったにもかかわらず弾圧を加えたのは日蓮宗ぐらいですが、彼らはかつて京都の山科本願寺を攻め滅ぼし、延暦寺と京都の町で激しい市街戦を展開して焼け野原にしたという前科のある過激な教団でトラブルメーカーでした。だから、日蓮宗が起こした騒ぎに厳しく対処したのでしょう

Nakatsukaさんがリツイート | 9 RT

信長の「神仏を崇めない」「無神論者」というイメージを作ったのはキリスト教宣教師の残した記録によるところが大きいのですが、仏教軽視も自己神格化といった宗教面の記述に関しては他の史料と整合性が取れない部分ばかりでどうにも信用出来ないようです

Nakatsukaさんがリツイート | 23 RT

信長はたしかにキリスト教には保護を加えましたが、そのことが仏教や神道への敵対を示すわけではありません。「味方すれば保護するが、敵対すれば攻撃する」という原則に従っただけのことだと思います。信長は宣教師のもたらした西洋の文物に興味を示しましたが、政治家としての態度はまた別でしょう

Nakatsukaさんがリツイート | 12 RT

「信長は随分と常識的な人だなあ」というのが第一部全体の感想でした。強い相手には謙り、弱い相手には尊大。味方すれば保護するが、敵対すれば容赦しない。世間の評判には神経質なので権威に対しては低姿勢。外交面に関しては常識的なのが信長の強さであり弱みであると言えそうです

Nakatsukaさんがリツイート | 27 RT

第二部は「統一戦争へ向けた政略」。皆さんが一番興味を持つであろう大好きな戦争や人事に触れた部分です。第二部第五章は「信長の家臣団統制」。信長の人事政策のお話です。信長の人事といえば出自にとらわれない実力主義というイメージが強いですね。では、実際はどうだったのでしょうか?

Nakatsukaさんがリツイート | 7 RT

信長家臣団を構成するのは信長の一族である「連枝」、独立した部隊を指揮する「部将」、部将の指揮下に配属される「与力」、信長直轄部隊所属の「旗本」、行政の専門家である「吏僚」と言われる人々です。これらは著者の谷口先生による便宜的な区分であることをあらかじめことわっておきます

Nakatsukaさんがリツイート | 7 RT

「連枝」は信長の息子や兄弟、叔父、甥、従兄弟などの織田一族です。一族と言っても信忠や信雄、信孝のように大軍を指揮する者は稀で、ほとんどはあまり「部将」の中でもあまり兵力を持たない者や「旗本」と大して変わりません。信忠など有力連枝の「与力」となる者もいます

Nakatsukaさんがリツイート | 6 RT

「部将」は単独で部隊を構成できる戦力を持つ有力家臣で、一般にイメージされる武将に最も近い人々です。数百程度の兵しか持たない者もいれば、柴田勝家や羽柴秀吉のように大勢の有力与力を従えて数万の兵を抱える実力者もいます。部将の多くは信長子飼いの侍大将や降参した有力領主です

Nakatsukaさんがリツイート | 8 RT

「与力」は信長に仕える家臣ですが、同じ信長家臣の「部将」の指揮下に入っている者です。身分が低い武士もいれば、数百や数千の兵力を持ち「部将」に引けをとらない実力者もいます。上司の「部将」が「与力」の行動をどれだけ統制できるかはケースバイケースです

Nakatsukaさんがリツイート | 6 RT

「旗本」は信長の直轄部隊を構成する武士で、一騎駆けの武士から百人程度の兵を持つ小領主まで様々です。戦闘要員で側近として政務に携わる事もある「馬廻」と、信長の身辺の世話をする「小姓」にわかれます。彼らの多くは尾張の小領主の出身で、後に「部将」に出世した者も数多く、親衛隊的な役割です

Nakatsukaさんがリツイート | 5 RT

「吏僚」は軍事には関わらず、行政・外交・秘書などを務める実務のプロ。織田家中で柴田や羽柴のような有力部将に匹敵する地位を持つ大物吏僚もいます。「部将」や「旗本」の中でも実務能力に長けていて「吏僚」のような仕事をする者も多いですが、彼らは軍事に関わるので「吏僚」には含まれません。

Nakatsukaさんがリツイート | 5 RT

後に「部将」の中に万単位の兵を率いて一方面の攻略を担当する柴田勝家や羽柴秀吉や明智光秀のような「方面軍司令官」、固定された持ち場がなく数千の兵を率いて各地を転戦する丹羽長秀や池田恒興のような「遊撃軍司令官」などが登場するようになります。これも著者の谷口先生による便宜的な区分です

Nakatsukaさんがリツイート | 5 RT

信長の人事政策の第一の特徴は、第一に強力な親衛部隊の馬廻を育成したことです。織田一族や有力領主は家を継いだばかりの信長に忠誠を誓おうとはしませんでした。信長が頼りにできたのは領主の家の次男以下の息子や器量を見込んだ武士を召し抱えて組織した子飼いの家臣である馬廻だけでした

Nakatsukaさんがリツイート | 8 RT

信長が作り上げた強力な馬廻は織田一族や有力領主相手の内戦を勝ち残って尾張を統一する原動力となり、その後の戦争でも中核戦力として活躍しました。特に今川義元を討ち取った桶狭間の戦いや朝倉家主力を壊滅させた刀根坂の戦いでの活躍が有名です

Nakatsukaさんがリツイート | 5 RT

著者は馬廻の戦闘力を高く評価していますが、信長の馬廻には優秀な武士も数多く、前田利家、佐々成政、河尻秀隆などの名将を輩出しています。馬廻は幹部候補生プールとしても織田家の強さを支えていたのではないかと思います

Nakatsukaさんがリツイート | 5 RT

信長の下には馬廻に代表されるような武勇に長けた家臣だけでなく、実務に長けた家臣もいました。信長の人事政策の第二の特徴は実務家の重用です。松井友閑、武井夕庵、村井貞勝などは戦功がないにもかかわらず、実務能力によって羽柴秀吉や明智光秀といった有力部将に匹敵する地位を認められていました

Nakatsukaさんがリツイート | 6 RT

信長の人事政策の第三の特徴は家臣に対する統制指向です。信長といえば家臣に厳しいというイメージがあります。古参部将佐久間信盛の粛清は有名ですが、信長に粛清された家臣のほとんどは佐久間のような譜代ではなく、征服戦争の途中で傘下に入った外様の家臣でした

Nakatsukaさんがリツイート | 6 RT

粛清された者の大半はゲームに名前が出ないような領主で、粛清理由も定かではないことが多いです。著者は背景への推測はしていませんが、尾張や美濃出身の信長子飼いが空いた領地の新領主に収まることが多いので、外様領主を粛清して子飼いに入れ替えるのが信長の方針だったのかもしれないと思います

Nakatsukaさんがリツイート | 4 RT

また、近年強くなっている「部将の権限の領域支配における独立性はかなり高く、信長の統制力はさほど強くない」という主張に対し、著者はいくつかの証拠をあげて部将は信長から地域の支配権を預かっているだけで、信長の統制力は大名を鉢植え化できるほど強かったと反論しています

Nakatsukaさんがリツイート | 5 RT

第二部第六章は「信長の居城とその移転政策」。信長は生涯で何度も居城を移転していますが、小高い山地の麓に平地が広がる地形でなおかつ交通の便が良い場所に好んで居城を置きました

Nakatsukaさんがリツイート | 5 RT

平地に城を築くと行政機能や経済機能は高まりますが防衛に不利です。高地に城を築くと防衛に有利ですが、行政機能や経済機能は劣ります。小高い山地に城を築き、麓の平地に城下町を築くという信長のスタイルは平地の利便性と高地の防衛力の両立を図ったと言えます

Nakatsukaさんがリツイート | 6 RT

第二部第七章は「信長の戦略と戦術」。信長の戦略戦術の第一の特徴は宣伝熱心だということです。信長は物凄く世間の評判を気にする人なので、世論を味方につけることにも熱心なのです。政敵とのやりとりを公開して支持を求めたり、残虐行為の様子を誇大に語って恐れさせるなどの宣伝をしています

Nakatsukaさんがリツイート | 9 RT

信長の戦略戦術の第二の特徴は籠城戦をせず、不利でも野戦を挑むということです。父の信秀も生涯で一度も籠城したことがなく、籠城を嫌う姿勢は父から受け継いだものであるようです。信長が籠城をしないというのは言われてみるまで気づきませんでした

Nakatsukaさんがリツイート | 13 RT


9月29日(日)のつぶやき その1

2013-09-30 04:01:56 | つぶやきまとめ

僕の父親は、市の職員だったんだけど、大学教員の人事に、市や都道府県の職員が口を出す発想そのものが信じられないと言っていたね。彼は、事務方が偉い病院に医療なんてできるわけがないと言っていた。

Nakatsukaさんがリツイート | 8 RT

ちゃんと論じられていないことなんだけど、民間企業の社員というのは、基本的にボスの意向のために働く兵隊。それに対して、公務員というのは、その資格において、独自の裁量をもつ行政官。求められる仕事は自ずから違う。公務員に民間基準をなんて、海軍を海賊にするようなものでしょう。

Nakatsukaさんがリツイート | 24 RT

だめだ。いらいらし過ぎで眠いのに眠れない。ストレス溜まり過ぎ(*`Д´)ノ!!!


織田信長研究で知られる谷口克広先生が、信長の外交・軍事・統治・経済などの政策について幅広く分析した近著「信長の政略」を読み終えましたので、これから感想を書いていこうと思います hon.gakken.jp/book/1340571000

Nakatsukaさんがリツイート | 30 RT

序章は信長の統一戦争のおさらいなので割愛します。第一部は「周囲に対する政略」。他大名との外交、幕府や朝廷や宗教勢力との関係などについて触れられています

Nakatsukaさんがリツイート | 5 RT

第一部第一章は「外交と縁組政策」。他大名に対する信長の外交政策を扱った章です。信長の外交の特徴は第一に遠交近攻。隣国を攻める時は必ず背後の勢力と手を組もうとしています。信長の宿敵として知られる武田や上杉ももともとは友好国でした。彼らと敵対すると、奥羽や関東方面の勢力と組んでいます

Nakatsukaさんがリツイート | 12 RT

信長外交の第二の特徴は格上相手には露骨に媚びるのに、格下相手になると急に尊大になること。もともと信長は武田信玄や上杉謙信に歯の浮くような美辞麗句を並べて取り入って機嫌を取っていましたが、上洛して実力をつけると次第に媚びを売るのをやめて対等に付き合おうとしています

Nakatsukaさんがリツイート | 13 RT

また、もともと対等の同盟を結んでいた徳川家康や浅井長政に対してはどんどん態度がでかくなり、完全に目下扱いするようになりました。相手が強い時は全身全霊で礼を尽くして機嫌を取ろうとするけど、自分が強くなったら強気に出て押さえつけようとする。合理的ですがあまり格好良くないです

Nakatsukaさんがリツイート | 14 RT

信長外交の第三の特徴は盛んな婚姻外交。信長は物凄く子沢山な人で息子も娘もそれぞれ10人以上います。縁組の手駒が多いのです。息子を他家の養子に入れて勢力を拡大し、娘を有力者に嫁がせて友好関係を結びました。特に伊勢攻略では養子戦略で北畠、神戸、長野といった有力な家を乗っ取っています

Nakatsukaさんがリツイート | 12 RT

信長は実に老獪な外交をするのですが、決裂が決定的になって「こいつとはもう仲直りしない」と決めたら、徹底的に追い詰める執念深さもあります。信長の外交戦略は態度の使い分けや縁組を駆使する巧妙さと「敵対しなければ仲良くするけど、敵対したら許さない」という単純な論理の二面性があるようです

Nakatsukaさんがリツイート | 21 RT

第一部第二章は「室町幕府と信長」。信長と足利将軍の関係です。上洛して義昭を将軍に擁立した後の信長は公的には「将軍の家臣」という立場で振舞っていたようです。信長の重臣と義昭が任命した畿内各国の守護の重臣が連名で政務にあたっている例が散見され、信長は幕府の守護と同格扱いでした

Nakatsukaさんがリツイート | 10 RT

信長と畿内の守護(摂津の和田・池田・伊丹、河内の畠山・三好、大和の松永など)達の立場が同格とはいえ、実際は尾張・美濃二国と近江・伊勢の一部を支配する信長の実力が飛び抜けています。事実上、信長が義昭のスポンサーでした。義昭は信長に気を使い、御内書で「御父」と呼んだこともあります

Nakatsukaさんがリツイート | 8 RT

信長は義昭のために御所を建ててやり、反義昭勢力を討伐したりして、必死で義昭を支えます。しかし、次第に衝突することが多くなり、信長が「俺にことわりなく勝手なことをするな」という条書を義昭に押し付けたり、信長が義昭を激しく批判する意見書を出したりするなど、関係が悪化していきます

Nakatsukaさんがリツイート | 8 RT

信長の出した義昭批判の意見書の内容を見るに、信長は義昭のいい加減な政治ぶりに我慢がならなかったようです。それでも信長は義昭を排除する気持ちはなかったようです。義昭が幕府軍を動かして信長に敵対した後も必死で仲直りしようとし、「私の気持ちをわかってもらえるだろうか」と漏らしています

Nakatsukaさんがリツイート | 12 RT

信長は幕府軍を蹴散らして上京し、京都の町に放火して義昭に軍事的圧力をかけつつ交渉を続けましたが、義昭は異常に強気で信長に折れようとしません。困り果てた信長は天皇を動かしてようやく義昭と和解しましたが、数ヶ月でまた幕府軍を動かして信長に敵対しました。信長は完全に義昭に舐められてます

Nakatsukaさんがリツイート | 11 RT

最終的には信長は義昭を追放しました。信長は敵を許さない気質でしたが、世間の評判には神経質で「天下の人々がどう言っているか」をやたらと気にしていました。批判されるのが怖くて義昭をなかなか排除できず、決裂しても殺すことができなかったのでしょう。追放後も信長は義昭に悩まされ続けました

Nakatsukaさんがリツイート | 12 RT

義昭という人はとにかく神経が太くて行動的です。信長に対してはなかなか妥協せずに交渉担当の秀吉に「行方不明になったって報告しておくから、好きなところへ行けよ」と匙を投げられ、追放されてからも薩摩の島津にまで自分を京都に帰還させるよう命令し、信長陣営の徳川家康にまで協力を求めています

Nakatsukaさんがリツイート | 8 RT

追放後の義昭は信長には「今さら戻ってこられても困る」と思われ、毛利にも「こちらに来られたら困る」と思われてたらしく、かなり迷惑な存在であったようです。どうも常識人の信長がアグレッシブな義昭に振り回されてる一方だったんじゃないかと読んでて感じました

Nakatsukaさんがリツイート | 8 RT

第一部第三章は「朝廷と信長」。信長と朝廷の関係です。信長は上洛すると皇室領の回復や皇居の修理、皇室への資金援助などを行って、将軍義昭に対しても皇室を大事にするように口を酸っぱくして言っています。信長は幕府に対してだけでなく、朝廷に対しても気前の良いスポンサーとして振る舞ったのです

Nakatsukaさんがリツイート | 7 RT

朝廷は信長の貢献に対して官位を授けることで報い、弾正忠を自称しているものの無位無官だった信長はいきなり従三位権大納言の高位を授かって、二年で正二位右大臣に上り詰めます。その後、「天下統一が終わるまで官職を退きたい。天下統一したらまた復帰する」と言って右大臣を退きました

Nakatsukaさんがリツイート | 6 RT

朝廷としては最大のスポンサーが官職に就いてないのは体裁が悪いので何度も官職を与えようとしますが、信長はその都度断って、最終的に「天皇が無事譲位したら左大臣をお受けする」と答えます。天皇の長年の悲願である譲位事業の協力者である信長は、達成後に朝廷復帰するつもりだったのかもしれません

Nakatsukaさんがリツイート | 9 RT

天皇がしばらく在位したら譲位して上皇になるのは平安時代以来の慣例でしたが、財政難のために数代にわたって天皇は譲位することができませんでした。信長というスポンサーを得た皇室にとっては、天皇が譲位して上皇になる慣例を復活させる好機でした

Nakatsukaさんがリツイート | 12 RT

皇室は譲位事業に向けて動き出していましたが思うように進まず、信長の生前には譲位事業は完成しませんでした。正親町天皇は信長の死後に秀吉の援助で悲願の譲位を果たします。信長と皇室の対立の根拠とされた正親町天皇の譲位問題は、むしろ両者の良好な関係を示すものであったようです

Nakatsukaさんがリツイート | 10 RT

信長は天皇だけでなく、公家とも良い関係を築いていました。義昭が追放されると公家は信長のもとに盛んに機嫌伺いに訪れるようになります。信長は貧乏に苦しむ公家たちに領地をばらまいて歓心を買いました。世論を異常に気にする信長にとっては、皇室や公家を大事にする必要があったのかもしれません

Nakatsukaさんがリツイート | 9 RT

まず、最初に押さえておかなければならないのは、当時の寺社は領地や軍隊を抱える領主的な存在であり、武士の領主と同じような政治勢力であったということです。大名に敵対すれば攻撃されるし、味方すれば保護の対象となります。大名が敵対した寺社を攻撃するのは当時では珍しくもありません

Nakatsukaさんがリツイート | 13 RT


9月27日(金)のつぶやき

2013-09-28 03:57:17 | つぶやきまとめ

hnakatsu1977さんの脳内は「宣」5% ポイント:300pt ランキング:33240位 twimaker.com/?ref=hnakatsu1… #twimaker


「相続で婚外子は平等」の最高裁判決への疑問 - 石井 孝明 #BLOGOS blogos.com/outline/70707/

Nakatsukaさんがリツイート | 8 RT

平等であることが当然なのに、なぜ婚外子に相続差別が必要なのか、という視点が全然ない。結局、婚外子差別が必要と考える人というのは、婚外子を家の外にあるために家族の議論に従おうとしない厄介者と考える人ということなのだろうか。


就職活動を始める時、大学の職員から「履歴書に貼る写真は自分や家族ではなく、恋人に選んでもらうと良い。君の一番いい表情知っているのは恋人だから」とアドバイスされた。恋人がいなければ就職活動のスタートラインにすら立てないことを、僕はその時初めて知った。

Nakatsukaさんがリツイート | 15735 RT