偏屈者の世迷言

最近は競馬のことばかり書いてます。もっと政治のことを書いていきたいのですが。自営業者からの意見はもっと出されるべき。

石原氏の東京都知事辞職に思うこと

2012-10-31 14:31:31 | 政治・社会

 先週、石原氏が都知事を辞職した。

 個人的な感想ではあるけれど、この人はどこまで行っても自分中心の人なのだなと思う。

 石原氏は現在80歳。このまま老いて忘れられていくということに耐えられなかったんじゃないかと。

 

 尖閣諸島の問題にしても、都知事という立場的にも年齢的にも、彼の責任の外側にあったことだ。領土問題をはじめとした隣国との関係という長い将来に関わることを、責任を持てない人間が介入してもいいのだろうか。

 別にお年寄りは政治に口出しをするなと言っているのではない。昔から現実でも物語の中でも、老人が身を捨ててみんなを救う活躍をするという話があるように、寿命の残りが少ないからこその考えやできることというのが、政治の場でもあると思う。

 けれど石原氏のは違う。自身の存在感や政治的立場を高めたかっただけではないだろうか。

 

 石原氏を見ていると、戦後の日本は、「理想的な老人のかたち(特に男性)」というものをつくり上げられなかったんだなと強く感じる。

 生涯現役であるか、それとも忘れられた役立たずとして扱われるか。

 石原氏が、現役で、しかも中心人物として扱われることにこだわるのはそういうところにあるのではないだろうか。

 老害なんていう言葉がここ10年ぐらいで言われているが、そんなの仕方がないことだと思う。

 何もしないでいれば、お年寄りは役立たずの烙印を押され軽蔑の対象にすらなってしまう。だから力のある老人は、必死で後進の連中の頭を抑えつけようとするのだろう。

 

 お年寄りが老害と言われるような社会に齟齬をきたす存在ではなく、亀の甲より年の功というような経験を多く積んだ先達という、そんな肩の力が抜けた感じでいてもらう方が良い社会になると思うのである。

 老後に引退しても愉快に生活ができ敬意をもって遇される、そのような社会スタイルを早急につくる必要があるのではないかと、石原氏を見ていて思うのである。

 

10月31日16:00 文章一部修正

10月31日21:47 文章一部修正


尖閣諸島の問題について

2012-09-25 20:46:13 | 政治・社会

 先週の金曜日に書いていたもの。

 うまくまとまらなかったのでブログに上げるのやめようと思ったけれど、まあ一応書いたので上げておく(貧乏性)。

 

 

 それで今回は尖閣諸島などの領土問題についてちょっと書いていきたいと思う。

 領土問題は、日本も中国の両国ともにもうこれ以上エスカレートしていってもお互いにマイナスしかないので落としどころを探りはじめているだろう。

 中国でデモというか暴動がおこっていたけど、それももうそろそろ収まってくることだろうと思う。

 

 だからもう重要度は下がっているような気はするけれど、今回のことではかなり腹が立ったのでちょっと思うことを書いていきたい。

 何に腹を立てているかというと石原慎太郎に対してである。

 もう敬称も略だ。

 彼のように、交渉では相手になめられないように威圧的な態度で臨まなければいけないと考える人間は、本当にやっかいな存在である。

 

 私は仕事やプライベートで交渉や会合のセッティングをすることがそれなりにあるのだけれど、そうやってセッティングした交渉の場を自己顕示欲なのか相手方に対する偉そうで無礼な行為でめちゃくちゃにする人間がけっこういて、そういった連中に悩まされているのである。

 連中は、交渉の場をセッティングするなどの関係構築に努力した労など想像することができず、逆に、そういった努力した人間に対して弱腰だとか言って非難してきたりするのだ。

 さらには交渉の場をセッティングした人間を相手方の回し者のように言う人間までいる。

 ああ、思い出しただけでもムカムカしてくる。

 こちらの方が圧倒的に強い立場であるならばかまわないが、交渉でしかこちらの要求が実現できないのならばその交渉の場を壊してしまうような行為こそが、非難されなければならない非常に愚かな行為だ。

 

 ああいった連中には、一度『MASTERキートン』(著:浦沢直樹 、勝鹿北星)の「交渉人のルール」という話を読んでもらいたい。

 漫画なので実際に交渉で使えるテクニックというわけではないだろうが、目的の実現のためには血も涙もない凶悪犯とも信頼関係を結びお互いが守るべきルールを構築していくという考え方は、現実においても非常に大事だと思う。

 威圧的な無礼な態度ではなく、かといって卑屈に相手の要求をすべて呑むのでもない。

 相手方の主張を聞きつつ、こちらの主張もする。そうやってお互いに目的実現のため、この交渉の場、交渉のできる関係を大事にしようという共通認識を構築していくことが大事なのだ。

 

 石原慎太郎のようにあのような乱暴なことをする人間というのは、外交交渉において全く役に立たない。

 これまで何一つプラスのものを獲得できていないから、あのような態度をとることができるのだ。

 逆に、相手方に対して交渉のできるチャンネルを持つ者は、相手方に対する配慮を自分の味方に求めることになる。

 相手方との信頼関係が壊れれば、これまで獲得してきたもの、積み重ねてきた関係がご破算になってしまうからだ。

 現在の日本では前者が賞賛され、後者は売国奴と罵られる。

 けれど本当は、前者のほうが自分自身の欲求のために国を犠牲にしているのだ

 

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「女児アニメと性犯罪との因果関係巡りネット上で大激論」について

2012-09-12 16:57:15 | 政治・社会

 女児をバックに詰め込んでいたずらしようとしたとされる成城大男子学生(20)が女児アニメ好きだったと、まるで犯罪の原因であるかのように報じられたらしい。

 ただ、私はそのスポーツ新聞を見ていないので、これから書いていくものは下記リンク先の記事を読んでの感想である。

 女児アニメと性犯罪との因果関係巡りネット上で大激論

 

 「因果関係を巡って」なんてことが書かれているが、因果関係なんて常識的に考えてないんだからこれは議論する必要はないだろう。

 「AということがなければBということは起こらなかった」というようなときにAとBの間に因果関係が成立するというのだが、今回の件において女児アニメを見ていなければ女児誘拐を起こすことはなかったと言うことができるだろうか。

 もし誘拐した男子学生が、その見ていた女児アニメのせいにして自身の罪の軽減を主張したらどうだろうか。因果関係を主張している人も鼻で笑うだろう。

 けれども因果関係があるというのであれば、ある意味男子学生も被害者と言い得る立場なのだから罪の軽減を否定することはできない。彼を擁護するような意見が因果関係を主張する立場から出ていないのであれば、その人たちが誘拐事件と女児アニメを結びつけたのは、単に大人になっても女児アニメを見るような奴は理解できないし気持ちが悪いということが言いたかっただけということになる。

 女児アニメ好きだったことがまるで犯罪の原因であるかのような報道は、上記リンク先に出てくるIT会社社長のように「大人になっても女児アニメを見ているような奴は気持ち悪いし、そういうやつは変態的な犯罪を起こすような奴だ」と考える人たちの偏見を補強するためになされた報道なのである。

 


橋下市長の、今度の衆議院選挙についての考えを推測してみました

2012-09-03 13:33:59 | 政治・社会

 神戸女学院大学名誉教授の内田樹先生が、ブログで橋下市長のことを書いている。

 分配ゲームの先行きについて

 

 先生のブログは非常に面白いし、物事の考え方や切り取り方は本当に参考になることが多い。

 けれども今回の記事に関しては、少し違うかなという感じがした。

 

 記事の中身は、最近の政治の動きから橋下市長と維新の会の「拙さ」というものを指摘したもの。

 あとそれと、政治家の仕事は国家のリソースの分配を決定するのが仕事であるため、分配ゲームをうまくやれるものが優れた政治家だ(よって、橋下市長は違う)、ということも含まれているのかもしれない。

 

 私の考えは少し異なる。

 橋下市長の一連の動きは、「これまでの中央の政党は全て敵に回すこと」、これが目的なのではないかと思うのだ。

 そう、「拙さ」から敵を増やしていってるのではなく、敢えて相容れないような状況をつくって相手に噛みついてこさせようとしている。そうやって、「敵だらけの中、世の中を変えようと孤軍奮闘する維新の会」というものを演出しようとしているのだ。

 

 橋下市長は、次の衆議院選挙で維新の会が勝利することを望んでいない。

 なぜなら、政権を握るもしくはその一翼を担うような準備はまだできていない。民主党のように崩壊するのが目に見えている。

 だから今回に関しては、民・自・公(それにみんなの党も加えてもいい)といった既成政党に対抗する唯一の政党というポジションだけを確保したいのだ。

 イメージとしては、三国志の時代、反董卓連合に参加した曹操が、勝てる見込みがないため日和見する他の諸侯たちをしり目に董卓に戦いを挑み敗れたというのに近いだろう。曹操は敗れはしたが、その後董卓に対抗できる唯一の存在として人々の信頼を集め、勢力を伸ばしていくのである。

 

 橋下市長は100議席取れれば上出来と思っているし、それ以上取ってしまうのも問題と思っているのではないだろうか。

 維新の会は今度の衆議院選挙後に成立する政権には参加せず、本来は自民党に期待されていた、党利・党略ではなく国民の意思に沿って(ように見えるだけだが)是々非々で政策の賛成・反対を決定し提案もするという新しいタイプの野党というポジションを確保しようとする。

 そして、3年後か4年後かの次の衆議院選挙の時には、政権を担える政党という評価を確固たるものとした維新の会が、満を持して政権の座を狙うというシナリオなのではないだろうか。

 

 こんな三文芝居のシナリオなんて、けちょんけちょんになってもらいたいとは思うが・・・

 

 

※タイトル訂正 2013年9月3日14:31

 


最近(と言うほど最近ではないけれど)読んだネットの記事について

2012-08-23 13:48:57 | 政治・社会

 ブログに書いてるのが競馬のことばかりになってる(汗)。その他のこともたまには・・・

 

 

 目からウロコ、肥料の話と京野菜 京大・間藤教授講演

 化学肥料の有用性のこととかが書いてあった記事。

 前から思っていたことだけれども、有機栽培に関して偏見がまかり通り過ぎだろう、ということ。無農薬・完全有機栽培なら安心だと言う人が私の周りにもいるが、 どこにそんな根拠があるというのだろうか。化学肥料や、作物に残留しない時期と量の農薬を使用する場合とくらべて、どれだけの違いがあるというのだろうか。

 

 有機栽培を持ち上げる人々は、食に対する意識が高いと見せかけて、非常に偏見の目で農作物を見ている。

 このような人たちは、おそらく、コラーゲンを多く含む食品を美肌のためとか言って高い値段で買っているような人たちであるに違いない(偏見)。

 

 もう少し科学的なものの考え方ができないのだろうか。

 なにも科学が万能と言っているわけではない(当たり前だ)。自分自身が持っている偏見や思い込みを考慮に入れてはどうですかと言っているのだ。

 人は、自分という歪んだレンズを通してものごとを見ているが、その歪みに無自覚な人が最近あまりに多いと思う。

 

 まあ、自分自身も気を付けなければ。

 

 

 

 

 《いじめている君へ》春名風花さん

 小学生の書いた文章(ゴーストの人が書いたのかもしれないけれど)を批判しても仕方がないけれど釣られてみる。

 この文章そのものは、考えが浅はかだとは思うけれども、まあそれが子供というものだし問題があるというわけではない。よく書けていると思う。

 嫌なのはこれを持ち上げる大人だ。基本的には、「小学生なのにすごいね」くらいの感想が普通だろうに、必要以上に感動したりする人が多いのがちょっとね・・・ そんなにも子供は奇麗な心を持っているんだというような幻想を抱きたいのだろうか。

 先ほどは問題ないよく書けていると書いたが、感想としては「気持ち悪い」というのが正直なところ。何か、大人に褒められるために書いた作文、という感じだ。

 同じ浅はかな考えの文章を書くのならば、いじめられてる人は「すぐ無神経なことを言う」とか「いつも不潔にしている」とか「変なにおいがして臭い」とかいじめられるなりの理由があるよ、とかいうようなことを書いて欲しかったと思う。

 

 下のまとめサイトを見たら、はるかぜちゃん自身ががツイッター上で、はからずも証明してしまっているが。

はるかぜちゃんに捨て垢でリプライを送ってみました

 

 やっぱり子供の方が、大人以上に人の目や人からの評価を気にしてしまうのかな。

 童話『裸の王様』で王様が裸であることを指摘したガキのように、深くものを考えないが故に、逆に大人が見ないようにしていることや隠そうとしていることを指摘してしまうというようなことを子供に期待してしまうのは、幻想を抱き過ぎだからなのだろうか。