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平安時代の貴族政治

2011年07月03日 | 平安時代

 平安時代は天皇を中心として朝廷の政治機関が再編された時代でもある。 9世紀初頭の嵯峨朝以降、内裏には蔵人所、進物所などの「所」とよばれる機関が設置されるようになる。 これは天皇の政務や生活、宮中での行事にかかわる律令制の官人を、必要な職務に応じて内裏の特定の場所で働かせるもので、その職員は正式の人事異動である除目ではなく、個々の官人に天皇が宣旨という略式の命令を下すことで任命された。 9世紀末の宇多朝ころには蔵人所がこれらの宮中処々を独自の指揮命令系統によって統括するようになり、律令制にはなかった大規模な内廷機構が成立する。  また、朝廷の新たな身分制度として昇殿制が確立した。 これは五位以上の特定の官人に天皇が宣旨を下し、内裏の殿舎で天皇に近侍させるというものである。 昇殿を許されたものは殿上人とよばれ、畿内政権の解体により形骸化した集団にかわって、新たな政治的身分が形成されたことを意味する。 これらは天皇権力の強化と安定化につながったのであるが、平安時代の天皇が、専制君主として独裁を行なったかといえば、けっしてそうではない。 天皇家は自立した天皇家を形成し、平安貴族の家とともに組み込まれていった。10世紀以降の摂関政治は基本的には貴族政治であり、天皇の役割は朝廷儀礼を遂行して貴族社会を統合する一方で、貴族たちの利害を先例を尊重しつつ調整していくことにあった。 そのためにも天皇は、貴族たちの頂点にたつ摂関と政治の機能を分担し、共同での統治を行なうのである。 

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