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歌人・相模

2007年09月04日 | 平安時代

歌人・相模

 998?年~1061年頃の女流歌人で、中古三十六歌仙の一人である。 百人一首に収められた、「恨みわびほさぬ袖だにあるものを恋にくちなん名こそ惜しけれ」 は恋歌として名高い。 実父は源頼光という説もあるが不詳で、能登守慶滋保章の娘を母として生まれる。 継父であろうという摂津源氏・但馬守頼光(948-1021年)の養女。 1020年より以前に相模守大江公資に娶られ、相模の女房名で呼ばれるようになる。 夫の任地相模国に随行したものの、結婚生活が破綻し、万寿元年(1024)帰京してまもなく、公資と離別した。 その後、四条大納言藤原公任の息男であり、自身も歌人として名高い中納言藤原定頼(995-1045年)からたびたびの求愛を受けた。 しばらくして一条天皇の第一皇女・脩子内親王(996-1049)に出仕する。 1049年に主君・脩子内親王が薨去した後は、さらに後朱雀天皇の皇女・祐子内親王(1038-1105年.脩子内親王の弟の孫)に仕えた。 相模は長元八年(1035)の「賀陽院水閣歌合」(関白左大臣藤原頼通の主催)に出詠したのをはじめ、数々の歌合に名をつらね、後朱雀・後冷泉朝の歌壇で活躍した。 彼女は和歌六人党(藤原範永・平棟仲・藤原経衡・源頼実・同頼家・同兼長)の歌道の指導的立場にあったばかりでなく、能因法師・和泉式部・源経信などとの交流もそれぞれの家集から伺える。 代々の勅撰集に百首ほど入集。白河朝に編まれた『後拾遺和歌集』では和泉式部についで第二位の入集歌数を誇る。家集『相模集』(『思女集』などの異名を持つ)も伝本が現存する。

    藤原守仁娘・(伊予守) 
    ┣ 道頼971-995(兼家養子) 藤原為光娘(忯子の妹)花山法皇狙撃事件
┗┳ 道隆953-995(中関白家)        ┣ 

 ┃        ┣━┳伊周コレチカ974-1010┳道雅(三条帝娘・当子内親王と恋愛)
 ┃ 高階成忠┳タカシナ貴子┃        ┣大姫
 ┃(高二位殿)┃ -996 ┣隆家979-1044  ┗小姫 
 ┃ 923-998 ┣信順マサノフ┣御匣殿985-1002(定子亡き後、養母として入内) 
 ┃     ┣明順  ┣頼子姫(敦道親王師ノ宮の妻) 
 
┃   
  ┗光子  ┣原子姫980-1002(居貞親王女御) 
 ┃      (定子乳母)┗定子977-1000 里邸二条 
 ┣ 道兼961-995┳兼隆985-1053┣脩子内親王   996-1049
 ┃             ┣兼綱     ┣敦康親王    999-1018
 ┃          ┣尊子984-1022┣よし子内親王1000-1008
 ┃   繁子(師輔娘)┃    ┃
 ┃  66一条帝980-1011(乳母は橘徳子) 
 ┣ 道長━┳ 頼通━┳ 師実━━ 師通━━ 忠実━┳ 忠通

 ┃    ┃ ┃ 宇治殿 ┗ 寛子(後冷泉后)     ┗ 頼長
 ┃┏源倫子┣ 教通(996-1075 和泉式部娘・小式部を妾とする。本妻は公任・娘)
 ┃┃(鷹司)┃      ┣ 歓子(1021-1102後冷泉后)   ┣信長  
 ┃┗時中 ┃      ┣ 真子(後冷泉女御)      公任娘 
 
┃父:雅信┃920-993 ┗ 生子(1014-1068後朱雀女御)         
 ┃  重信┃-995         ┃延子(藤原頼宗娘)
 ┃    ┃             ┃ ┃嫄子(敦康親王娘)1016-1039 1076-1103
 
┃    ┣ 彰子988-1074上東門院┃ ┃┣祐子内親王,禖子内親王  藤原苡子

 ┃    ┃ ┣敦良親王(69代後朱雀)1009-1045━┳良子、娟子    賢子┣鳥羽
 ┃    ┃ ┣敦成親王(68代後一条)1008-1036┓┣尊仁親王(71後三条)┣堀河天皇
 ┣ 道綱 ┃ 66代一条帝980-1011       ┃┃┃┣貞仁72白川帝1053-1129   
 ┃    ┃ 67代三条帝976-1017         ┃┃┃藤原茂子(公成娘) 
  ┃        ┃ ┣禎子内親王1013-1094陽明門院  ┃┛┃
  ┃974-1004┃ ┃                ┣馨子内親王1028-1093斎院
 ┣ 綏子 ┣ 妍子994-1027(枇杷殿)      ┣章子内親王1026-1105 

 ┃  ┃ ┣ 威子998-1036         ━━━━━┛ ┃藤原教通娘・歓子1021-1102
 ┃  ┃ ┗ 嬉子1007-1025(産後死去,後冷泉母)┣- ┣ - 

 ┃  ┃        ┣親仁親王70代後冷泉(紫式部部娘賢子が乳母) 
  ┃  ┗━━━━┓69代後朱雀                 ┣ - 
 ┃954-982       ┃娍子972-1025(堀河女御 済時娘)   藤原頼通娘・寛子1036-1127
 ┣ 超子(ゆきこ)┃ ┣敦明親王994-1051小一条院

 ┃  ┃    ┃ ┃ ┣敦貞親王
 ┃  ┃    ┃ ┃延子985-1019(顕光娘、一条帝女御元子の妹) 
 ┃  ┃    ┃ ┣敦儀、敦平、師明親王、当子(斎宮)、子内親王
 ┃  ┣居貞イヤサダ親王67代三条帝976-1017 
 ┃  ┣為尊親王977-1002(弾正ノ宮:和泉式部を寵愛)
 ┃  ┣敦道親王981-1007(師ノ宮:和泉式部を寵愛) 
 ┃ 63冷泉帝
 ┗ 詮子(東三条院 兼家娘)962-1001出家後土御門第へ移り、道長は一条院へ。 
    ┣懐仁カネヒト親王(66代一条帝)
   64円融帝959-992

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