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天皇失格・仲哀天皇

2007年09月01日 | 天皇・皇后陵

天皇失格の烙印を押された仲哀天皇 

 神を怒らせて急死してしまった天皇がいる。それは仲哀天皇である。 そして失格天皇の代わりに世を治めた息子・応神天皇の話を古事記に見てみることとする。 朝廷に従わない熊襲を征伐しようと思った仲哀天皇は筑紫の香椎宮(古事記では訶志比宮)にいて神の意思を窺うことにした。 神を招き入れるために斎場で天皇が琴を弾き、皇后の息長足比売命(神功皇后)が神を受け入れる用意をして、武内宿禰大臣が神の言葉を発せられるのを待っていた。 やがて皇后が神がかりの状態になって言葉を発する。 琴の音に導かれて降りてきた神は皇后の口をとおして、さまざまな財宝のある西方の国・新羅を攻めるように諭した。 しかし、それを聞いた仲哀天皇は、高いところに登ってみてみたが、国土は見えず、ただ海があるだけです、といい、嘘をつく神だといって琴を弾くのをやめてしまった。 これに激怒した神は、この天下はお前が治めるべきではない、あの世へいくがいい、と言った。この状況にまずいと判断した武内宿禰は天皇にそのまま琴を弾き続けるように勧めた。 天皇は再び琴を弾き始めたが、少ししてまた琴の音が聞こえなくなると天皇は既に絶命していたという。 琴は特別に神聖な楽器であり、神を呼び寄せる能力をもっていた。 天皇が絶命したことで神の威力を恐れた皇后と武内宿禰は、罪や穢れを払い清める儀式を執り行うと、再び神託を受け入れる用意を整え、神の言葉を求めた。  すると、神は「もともと、この国は皇后の腹にいらっしゃる御子がお治めになる国である」 と教えてくれた。 武内宿禰の問いに答えて、御子が男子であるとも言ったのである。 

 新羅への遠征が終わらないうちに、皇后の懐妊している御子が生まれそうになり、皇后は出産を抑えようとして、石を裳の腰に巻き、筑紫国に渡ってから御子を出産した。 こうして生まれた御子が品陀和気命、後の応神天皇である。 この伝説は、天皇あるいはそれに准じる存在が高い場所に登って自分の支配する国土を見渡しながら、目に見える国土のすばらしさを褒め称えるという「国見」の儀礼と深い関係がある。 国見は支配者にとって重要なものであり、この儀礼を行うことによって、そこを支配する神の霊威が高まり、国土に豊饒と反映がもたらされると考えられていた。 また天皇が地方へ行幸する場合にも、その地その地で国見の儀礼を行い、そこを支配する神々に一行の身の安全を祈った。

 しかし国見の儀礼がいつも適切に行われるとは限らなかった。 不適切に行われると政治的な混乱や災いが起こると考えられた。 その一例はこうである。 天界の支配者である天照大神は、自分の子である 天忍穂耳命(饒速日命の父)を地上界の支配の為に天降らせた。 命令を受けて天浮橋に降り立った天忍穂耳命は地上の様子について、ひどく騒然としている、と発言したと言う。 国見という観点から言えば、褒め称えるべきところを、逆の発言をしてしまったために、大変な事態が続いて起こるのである。 すぐ後に降り立った天菩比神は、地上界の支配者である大国主神と癒着し、3年間天界に戻らなかった。 また、その次に降り立った天若日子は天界の神が投げた矢によって絶命してしまう。 こうして天忍穂耳命の国見の失敗が後々問題を起こすのであるが、続いて地上に派遣された建御雷神は、圧倒的な武力を発揮して大国主神とその息子達を相手に交渉し、地上の支配権を天界の神に譲ると言う約束をとりつけた。 そのあとで、天忍穂耳命の子である邇邇芸命(天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命)が威厳を示しながら、天界から地上に降りてきた。邇邇芸命は地上を褒め称えると、堂々たる宮殿を建てた。 そして笠沙の御前で美しい娘と出会い、結婚するのである。

 仲哀天皇の場合、国見の能力がないとみなされ、神によってその場で急死させられたというわけである。 そしてこの失敗は後に収拾されるのであるが、それは息子の品陀和気命(後の応神天皇)によって行われたのである。 応神天皇の国見の伝説を見てみた。

 ある時、天皇が近近江国に行幸したとき、宇遅野の上に立ち、葛野のほうを遠く眺めて、「葛野を見れば家が満ち満ちているところも見える。国のすばらしいおころも見える」 と詠んだ。 そして木幡村に着いたときに、美しい娘と出会った。 天皇は娘に、「お前は誰の子か」と尋ねると、娘は「和邇の比布礼能意富美の娘で、宮主矢河枝比売と申します」 と答えた。 すると天皇は明日帰るときにお前の家に行こうと思うと言い、 娘を貰い受けたのである。 こうして応神天皇は国見において、父の仲哀天皇とは全く違う結果を残したのである。

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