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松平定信によるアイヌ史抹殺

2011年03月25日 | 池波正太郎 江戸時代

 松平定信は名君として知られているが、はたしてそうだろうか。 松平定信が領主だった白河藩の民衆にとっては天明の飢饉を乗り越えたこともあり、彼は悪人どころではないが、他領の犠牲の上にあった。 失脚した田沼意次はまもなく死んで、松平定信はその後何十年も生き残ったから、その間田沼意次は悪人に、松平定信は英雄となった。 田沼意次の命令で行われた蝦夷地調査団の報告書は幕府により葬られたが、バックには松平定信がいた。 調査団の中心人物・青嶋俊蔵の遠島処分は行われたが、その理由に遊女買という不行跡があったとし、松前藩はそれにつけこんだ。 しかし調査結果の重要性や処罰が松平定信の偏見によるものであるということが1974年になって一介の研究者によって発表されたが、この労作は無視され、中央の資料が鵜呑みされた。 松平定信がアイヌを人間視することは毛頭なかったことが、アイヌの歴史をほぼ抹殺するにいたった原因であるといえると記されている。

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