平安時代の歴史紹介とポートレイト (アフェリエイト説明 / ちょっと嬉しいお得情報を紹介)

古代史から現代史に至る迄の歴史散策紹介とポートレイト及び、アフェリエイト/アソシエイト登録方法と広告掲載説明

巴御前

2008年10月22日 | 平家物語

2008/10/22 京都・時代祭りにて

 巴御前はいわずと知れた木曾義仲の正妻である。 今となっては今生の別れを覚悟し、化粧を整え出陣の用意をしていた。 義仲は万一の為に平家に対して西方を固めるべく巴の兄・樋口兼光を淀の南に差し向けていたが、 ここで弁慶・三郎軍に打ち破られたという一報に驚いた。 宇治の本陣とは別の隠し勢が疾風のようにあらわれ、野営の眠りを襲っていたのである。 そして兄・兼光を援護すべく巴御前を加勢に急がせた。 このとき義仲も巴も木曾軍の行く末を覚悟していた。

 また、病に臥せっていた義仲の妾・葵御前も援軍のため戦場に駆けつけようと、支持を仰いでいた。 宇治川が危ないという知らせが入ってきたときである。しかし義仲は葵に故郷へ落ち延びろ、と言い渡した。 しかしもはや葵御前には義仲とともに討たれはてることこそ本望であると考えていた。 数知れぬ東国勢は七条河原・大和大路にまで迫っていた。 義仲は先頭をきって、わずかに60騎で七条河原へ挑んだのである。 さすがに東国武者も馬も疲れぬいていたせいか、義仲は木曾の手並の程を思い知らせた後、40騎ほどで五条の院の門へ急いだ。 すると、そこには小柄な女雑兵が身を潜めていた。「殿!」 と叫んだ後駆け寄って、「今日こそお供を果たす日!殿、共に死にましょう」 といったのは山吹である。 義仲はまだ自害する気など毛頭なかったのはゆうまでもない。 しかし山吹の義仲に対する歪んだ愛情・執念は並大抵ではなかった。 死とは全く別の恐怖と山吹への憐れみを感じながら、義仲は片足の鐙をはずして山吹を蹴りはなした。 するとどこからともなく、一本の矢が山吹を突き刺し「っぎゃ」という悲鳴とともにもがいていた。 道のいばらが取り除かれると義仲は馬をはしらせた。 五条のから梅小路へ急いだ義仲は、もはやいるはずもない冬姫の方向へむいている。 ふとみると老婆がたちすくみ、義仲を待っていたかのように「姫君の殿!」と叫んだ。 姫は中にいて義仲を待ち焦がれていたのである。 義仲は耳を疑った。  後白河の院はもとより、木曾を恐れて冬姫を助けにこない父・基房に憤りを感じながら、 冬姫に駆け寄った。 考えてみれば、関白の家に生まれ、父と仲良く過ごすことも少なく、華やかな邸では孤児同然であった。 義仲も木曾の孤児である。 「義仲は武者の末路を辿るが、おん身は元の園生にもどられよ。 そして鬼のごとき者とであった日は忘れてくれい」 というと、「どうして、わすられましょうか。ましてあなたを鬼などと思えましょう」 二人は今生の別れの抱擁をすると、「・・・・姫!さらば」 といい残すとわずか30騎の義仲軍は駆け抜けた。 鎌倉勢は徐々にその数を増し、義仲勢は減っていくなかで、思いがけない味方が現れた。 風にも耐えない細い体に物の具を華やかに着、かんばせは化粧を施し、薙刀を振るって精悍な東国武者の間を駆け抜け、必死な戦いをしている者がいたのである。 葵御前であった。 殿軍を勤めて殿を落ち延びさせようと・・・・。

 一方巴御前は義仲を慕って急いでいたとき、内田三郎に呼び止められた。 「そこなるは、巴御前とかいう世に聞こえたる女武将にてはあらざるか。返し給え。」 駒を向け直した巴は、「身は木曾殿が室の巴御前ぞ。作法ある武者とは見ゆ。相手になって進ぜよう。」 と薙刀を持ちかえた。  長やかな黒髪を束ね、額には星と輝く白銀の鉢巻をし、葦毛の駿馬・春風を走らせると、首のない三郎の体が振り捨てられた。 巴はさきの優しい三郎の名乗りを想い、岩の上に首をすえ手向けると、 近くに一人の武者の死骸を見つけた。 その鎧、袴、そして自分と同じく額には天冠を締めた姿はまぎれもなく葵の前のいでたちであった。 病床にありながら何故・・・体はまだ生暖かく、こと切れてはいなかった。 良人の愛を横取りして我が物顔をした女などとうらんだこともあったが、今はそう思おうとしても浮かんで来なかった。 「憐れや、女心・・・」 と身につまされると、近くのみ社に葵を預けた。 葵はうっすらと眼を開いて何かをいいたげに涙ぐんだ。 涙はどんな言葉よりも多くの、そして過去の一切を語っていたのである。 そのころ、義仲はわずかな手勢で頼朝軍のまっただなかにいた。 薄金の鎧すら身に重さを感じながら竹馬の友・兼平と涙し、木曾6万の大軍もいずこへ・・・ と無量な感に打たれずにはいられなかった。 甲斐の一条忠頼、土肥実平、などが木曾の大将軍・義仲を見つけると、続々と呼ばわりかかってくる。 その怒号のなかで一人の味方の姿をはっきりとみた。東国の武者に取り囲まれながら、ほのかな命を燃やす巴御前の姿である。 「巴・・・」という心からの真実の声は巴には届いていない。 この刹那、三浦の住人・石田次郎為久は 「木曾殿の御首級を、われ揚げたるぞ!」 と体中から怒鳴っていた。

 まだ事実をしらない巴は、一人30騎に囲まれていた。 たかが木曾の知れた女武者、と無造作に組み付いた者はことごとく死骸にされていた。 そのとき巴は敵の中に、和田義盛の手の者との名乗りを耳にした。 そのとき、鎌倉方の犬として捕らえられ、首斬られるところを自分が救って放してやった西浦七郎という男が脳裏をよぎった。 巴は鎌倉殿へ、木曾の人質子として嫡男・義高を預けていたが、その番士と聞いて、わが子恋しさ、後の便り得たさで放してやったことがあった。 そして幾たびか七郎の才覚により義高のいじらしい文が届いていたのである。  「西浦と呼ぶ武者やある!巴が求める敵よ。見参あれ!」 というと 「おうっ」 という声がした。確かに見覚えのある眉目である。 巴は和田・・と聞いたときに、何故か人目、義高に会いたい・・・と変わっていた。 巴は七郎と組み合うと、下にねじ伏せられ、望みとおりに生け捕られたのである。

源義賢(義朝に討たれる)                        
    ┣ 仲家(宇治川で自害)                         
    ┣ 義仲1154-1184(木曾中原兼遠が養育)                        
   小枝御前┣ 義高                        
       ┃                      
     ┏巴御前                        
     ┣樋口兼光                        
     ┣今井兼平                           
     ┣葵御前                           
   木曾中原兼遠

コメント    この記事についてブログを書く
« 護摩堂と護摩修行の場 | トップ | 横笛 »
最新の画像もっと見る

平家物語」カテゴリの最新記事