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葛城氏再考・伝説の首長

2012年09月02日 | 大和王朝期

 久しぶりに大和王朝期をささえた豪族の中心にあたる葛城氏について考えてみる。 葛城氏の本拠地は馬見山地方、誕生は開化天皇の頃に遡り、全国各地にあまたある諸氏のなかでも最大級の豪族である。葛城の地の最初の首長として実在性が確認されているのは5世紀の葛城襲津彦であるが、それよりも以前に伝えられている首長に垂見宿禰がいる。 開化天皇の后・鸇比売の父にあたる人である。 因みに開化の皇后は崇神天皇の母・伊香色謎命、后は和迩氏の姥津媛命、丹波の首長の娘・竹野媛が記紀に記載ある。 鸇比売が生んだ建豊波良和気命は、葛城忍海部造、河内の依網阿毘古、丹波の竹野別、因幡の忍海部、越の道守臣などの祖とされている。 このように葛城の女性が産んだと伝えられる王を祖とする諸氏が各地へ渡ったことを思うと、葛城の垂見宿禰の垂見は神戸の垂水と考えられる。これら葛城女性の婚姻先は開化天皇の后・鸇比売や開化の異母兄弟である比古布都押之信命の后・高千那毘売の系統と、神功皇后の母・葛城高額媛の系統に分かれることとなる。そして東方の倭国の王一族とは別に河内-垂水-丹波-但馬の勢力と結びつき、支配体制を築いていった。 第11代垂仁天皇が丹波の竹野姫を后とし日葉酢姫らの姉妹を妃としたのはこの頃のことである。 これら葛城国の王一族と古墳との関係については次である。葛城の地域は葛上下両郡に渡り、葛上郡古墳には古墳時代中期の宮山古墳や北部の葛下郡に見られる馬見古墳群に代表される。 馬見丘陵の巨大古墳は南部・中央部・北部の三グループに分かれる。 南部には新山古墳・築山古墳を中心とし、中央部には馬見丘陵最古の佐味田宝塚古墳・巣山古墳・新木山古墳・乙女山古墳がある。 そして北部には馬見丘陵最大の川合大塚古墳215mをはじめ城山古墳・中良塚古墳などがある。 これらの古墳はすべて葛城氏の祖先にかかわるものと考えられてきたが、疑問視する見解がでている。 葛城氏の本拠地は葛上郡南部の掖上とその周辺なので馬見古墳群はその南部が範囲に含まれているに過ぎない。また出土した副葬品は極めて豪華であり、古市・ 百舌鳥古墳とともに大王家に縁のあるものとみなすべきだというが、説得の域を出ない。

 

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