葛城の諸神は地域の狭さに比べて多様である。葛城坐火雷神社は尾張氏、鴨都波 八重事代主神社は鴨族、高天彦神社は葛城族が祭祀集団である。が、その歴史的諸役割ははっきりしない。これらを解明すべく、主要神社である鴨都波神社、高鴨神社、一言主神社の歴史的性格が詳しく整理されている。葛城国にある天皇陵といえば、孝昭・孝安・孝霊天皇陵が該当し、それぞれ掖上博多山上陵、玉手丘上陵、片丘馬坂陵とよばれている。そしていずれも没年齢は100歳以上で113歳、137歳、128歳となっている。神武天皇が即位したのは西暦前660年となっている。これは中国の辛酉革命説による。君主の徳がなければ陰陽の調和が乱れて天命がかかり革命が生じるが、それを占星と関係深い暦数暦運によって推測するというものである。辛酉の年に革命が起き、甲子の年には諸政の変革が起こるとしているが、60年ごとに回ってくる辛酉・甲子のたびに起こるのではなく、7元、21元年に大革命が起きるという。 元は5x12年=60年。 日本において暦が伝わった7世紀はじめの辛酉歳は推古天皇次代の601年である。ここから遡ること21元が西暦前660年になり、神武天皇即位はこうして割り付けられたのである。そして実年代と日本書紀紀年との数百年のずれについては古い天皇の創出によって修正されたと考えられる。これが欠史8代といわれる天皇が架空の人物として生み出された理由である。また天皇の没年齢を大きくのばして14人中10人もが100歳以上となっている所以である。
掖上博多山上陵
玉手丘上陵
片丘馬坂陵