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道後・湯月町にある古刹・宝厳寺

2007年07月05日 | 鎌倉・室町時代

宝厳寺

 宝厳寺は伊佐爾波神社のすぐ北東の丘の上・道後・ 湯月町にある古刹で、天智天皇の四年(665年)国司 乎智宿弥守興(おちのすくねもりおき)が天皇の詔によりて建立し、のち伏見天皇正応五年(1292年)再建され天台宗を時宗に改めました。  時宗の開祖一遍上人誕生の地として名高い寺でもあります。 一遍上人は河野四郎通信の孫に当り別府七郎左衛門通広の三男に当たります。 十才で母を失いすぐ仏門に入り随縁と称し、太宰府の聖達上人の下で修業し智真と改名、のち紀州熊野権現に参籠して成道、これより一遍と名のり、南無阿弥陀仏を唱名しながら全国を遊行し世に遊行上人と専称されました。 寺境は一遍上人誕生地として県指定の史跡のほか、 明治二十八年子規は漱石と共に道後に遊び散策集に「古塚や恋のさめたる柳散る」 と句を残したことでも知られています。
 
 
 
「木のねかやのね いつくにか 身のすてられぬ ところあるへき」 一遍
 
 
 
 
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