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光源氏的総理大臣

2006年03月18日 | 明治維新以降

光源氏的総理大臣と東条英機

 光源氏と東条英機といえば縁もゆかりもないようであるが、大きな関係があると言ったのは堺屋太一である。 1998年7月より2000年12月まで経済企画庁長官を務め、現在は内閣特別顧問をしているのですが、この人の本とてもユニークで、実は愛読しております。 そして今回のタイトルの所見を述べられていたので、ちと紹介したいと思います。

 光源氏といえば、もちろん紫式部の源氏物語に登場する優雅で、気品のある主人公です。 のちに太政大臣になり六条院に大邸宅を築くと多くの女性を一緒に住まわせ、准太上天皇(総理大臣の中でも大物の人)に上り詰めます。 ところが、光源氏が政治に関わって偉業を成し遂げたとうようなことは、源氏物語にまったくでてきません。 ただただ美意識の中に生き、政治家としては全く無能であるにも関わらず、憎むきにはなれない人徳があります。 

 この光源氏のように、なにもしなかった政治家が太平洋戦争前に現れます。 そのひとの名は近衛文麿という貴族出身の総理大臣です。

 さまざまな政策は提唱するものの内容は空虚で、政治の実際は軍人と官僚が行っていたにもかかわらず、国民からの非難はなく、総理に3回なっています。 総理一回目のときは、日中戦争を泥沼化させ政権を放り出します。 昭和15年の第二次内閣のときは、全議員が彼の傘下にはいるが指導力はなく、政治は陸軍軍人と官僚に任せっきりで、日・独・伊三国同盟を結ぶ。 しかしながら国民の支持を受けて、昭和16年の第三次内閣のときは、日米開戦は反対だといいながら戦争原因を作っていった。 そして結局、昭和16年内閣総辞職をし、東条英機陸軍大将(第三次内閣のときの陸軍大臣で戦争の推奨派)にあとを継がせるのである。 

 そして、太平洋戦争に突入し、220万人の犠牲者をだすことになるのである。 敗戦後は、開戦の全責任を軍部に転嫁し、1945年にGHQからの逮捕命令を聞き、東京裁判でA級戦犯者として裁かれることを知り、青酸カリを飲んで自殺している。 

考えてみれば、 近衛文麿の責任は極めて大きく、その死に方も無責任としかいいようがない。 政治的には無能ではあるが世に支持され続けたところが、光源氏に似ていると堺屋太一は述べており、少し興味深く読んでしまいました。

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