平安時代の斎王・よしこ女王
村上天皇の皇子・具平親王の娘で、68代・後一条天皇の斎宮として12歳で卜定され、32歳で退下する。21年間の長きにわたって斎王の位にありました。 1031年、月次祭に出席した子女王は、折からの暴風雨の中でにわかに神がかりし、自分は皇大神宮(内宮)第一の別宮荒祭宮(あらまつりのみや)であると叫び、続いて斎宮寮頭夫妻やその家来たちが悪事をはたらいていることや政治の乱れなどを激しい調子で告発する託宣を下したと記録されています。 子女王はこの時27歳。真実、神が斎王の身を借りて託宣したのか、長年生まれ育った都を離れていた憂鬱が爆発したのかはさだかではありません。
漢詩文、文雅に秀で、詩歌管弦を始め書道・陰陽道・医術にも通じ、「後中書王」と称された具平親王の血を引いた子女王が、狂気を装って不正を告発したのだとも考えられます。 そののち、後一条天皇の崩御によって帰京し、47歳で藤原教通と結婚。77歳の長寿で亡くなりました。
平安栄華の時代に生まれ、蒼々たる親族の中にいながら子供には恵まれず薄幸な人生を送ったと想われます。
村上天皇 ━┳ 規子内親王 (斎宮) 929-985年
(62代) ┣ 具平親王━━━━━━━┓(ともひらしんのう)964-1009年
┃ ┣ 楽子内親王 ┃(斎宮) 952-998年
徽子女王 ┣ 憲平親王 ━敦道親王 ┃(第63代冷泉天皇) 950-1011年
(斎宮女御) ┣ 輔子内親王 ┃(斎宮) 953-992年
┗ 守平親王 ┃(第64代円融天皇) 959-991年
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┗━━━━ よしこ女王(三女) 1004-1081年
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藤原道長 ┳ 藤原教通(五男) 996-1075年 泉式部の娘・子式部を妾とし、静円を産む。後朱雀天皇、後冷泉天皇へ娘を入内
┃ ┣ 藤原彰子(長女)一条天皇中宮 988-1074年 紫式部と仲良し 上東門院
源倫子 ┣ 藤原頼道(長男) 992-1074年 1053年平等院鳳凰堂建立 宇治殿
(鷹司殿) ┣ 藤原妍子(次女)三条天皇中宮 994-1027年 娘・禎子内親王は、後朱雀天皇の皇后となり、尊仁親王(後三条天皇)産む
┣ 藤原威子(四女)後一条天皇中宮 999-1036年 章子内親王・馨子内親王を出産
┣ 藤原嬉子(六女)後朱雀天皇東宮妃 1007-1025年 親仁親王(後冷泉天皇)を出産
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┃ ┣ 藤原頼宗(次男) 993-1065年 五代後に源頼朝と姻戚関係を結ぶ一条能保を輩出
源明子 ┣ 藤原顕信(三男) 994-1027年
(高松殿) ┣ 藤原能信(四男) 995-1065年 養女・茂子は後三条天皇の皇子・貞仁親王(白河天皇)を産む
┣ 藤原寛子(三女)敦明親王女御 999-1025年
┣ 藤原尊子(五女)源師房側室 (頼通の養子) 1007-1084年
┗ 藤原長家(六男) 1005-1064年 倫子の養子となる歌人