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冷泉天皇と后・超子 息子・居貞親王は彼女の死後986年に立太子したが、基盤は脆弱

2005年11月13日 | 平安時代

冷泉天皇って精神異常 950-1011年

 冷泉天皇には、やや精神異常な面があったことが諸書に記されています。そういった天皇であっても、天皇としての政治的な存在意義に変わりはないものですから、通例どおり有力貴族は後宮に娘を送り込もうと画策するのです。

 後宮には、超子(とうこ)のほかに3人のお后が入内していた。すなわち、朱雀天皇皇女・昌子内親王(この御方が中宮)、兼家の長兄である伊尹の娘・懐子(この御方は女御)、兼家の父・師輔の六女・怤子(この御方も女御)である。この3人は共に冷泉天皇がまだ東宮であった時代に入侍しており、即位後に入内したのは超子一人である。

 入内したものの、冷泉天皇の精神の病は治る見込みもなく、悪化の一途であったから、流石に公卿たちもこのまま冷泉天皇を位に就けておくことに限界を感じ始めた。結局、在位2年にして冷泉天皇は同母弟・守平親王に譲位されたので、超子にしてみれば入内後たったの1年で「天皇の女御」から「院の女御」になってしまった訳である。

 入内したのは一番最後であった超子だが、子宝には恵まれた。973年に皇女を出産したのを始めとし、976年には兼家の待望の皇子・居貞親王(三条天皇)を出産。皇女(光子内親王:973~975)は早世したが、居貞を含む三皇子を生んでいます。

 冷泉天皇には懐子が968に生んだ師貞親王(花山天皇)が第一皇子として存在していたのだが、懐子の父・伊尹は972年にすでに死去していたから、第二皇子・居貞親王の外祖父である兼家の立場は、俄かに優勢なものとなってきた。更に兼家は超子の妹・詮子を円融天皇(守平親王)の後宮に送り込み、980年にはそこにも皇子の誕生を見ていたから、兼家一家の家運は娘達のおかげで一気に開けてきたのである。

 超子の前途は明るいものに思えた。

 超子自身は未だ何事をもなさぬ982年、庚申待ちの夜のこと。夜を眠らずに明かすため、超子の女房達は眠気覚ましに和歌を詠んだり、碁や双六に興じていた。明け方近くになって、超子は脇息に寄りかかり、寝入ってしまったように見えた。夜も明けたので、もうそのまま寝せておこうと女房たちは考えたが、超子の男きょうだい(道隆・道兼・道長)の一人が「(ここまで起きていたのだから)今さら寝る事もあるまい」と思って声を掛けた。返答が無い。おかしいと思って近くに寄ってみて始めて超子の異常に気付いた。体を揺さぶって起こそうとしたが、もはや超子の息は絶えていたのである。

 超子はさしたる病気をしていた訳でもなく、まさに急死であったことが史書でも確認されている。精神異常の女御としての気苦労のせいでしょうか。

 居貞親王は彼女の死から4年後の986年に立太子したが、やはり母后のいない皇子の基盤は脆弱であった。もちろん天皇の外戚たらんとする兼家にとって、孫皇子である居貞親王は重要な存在であり、幼くして母を失った皇子たちを不憫に思う気持ちもあっただろう。しかし、兼家には前述のように二女・詮子所生の円融天皇第一皇子・懐仁親王(一条天皇)もおり、冷泉・円融のどちらに皇統が転ぼうとも、兼家にとっては「持ち駒の皇子」を所持している状態であったから、居貞親王一人を特に贔屓にしていた訳ではなかった。

 結局、兼家の死後、本来有力な後ろ盾になるはずの叔父・道長との衝突により、三条天皇(居貞親王)は即位の後も不遇であった。超子が長生していたならば、緩衝・調停役としての力を発揮したはずであるから、超子の早世は三条天皇にとって最大の不幸であった。

 兼家の一女として生まれ、狂帝・冷泉天皇に入内せざるを得なかった超子だが、三人の皇子を生んだことで、一女としての使命は果たしたと言える。しかし狂帝に仕えるという事実は、超子の心にどれだけ強い負担を課したことであろうか。それらの負担は緩やかに超子の体を侵食し、終には彼女の命さえも奪ってしまったのである。

 妹の詮子は一条天皇の母后として政界に重きをなし、ついには日本史上初の女院号を受けるに至る。同母の姉妹でありながら、なまじ一女として生まれたばかりに狂帝に入内させられた身の上を、果たして超子は不運と思ったであろうか。それとも、兼家の大姫として、甘んじてその運命を受け入れたのであろうか・・・・。

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