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弟日姫子と蛇男

2007年09月01日 | 大和王朝期

 弟日姫子と蛇男

 昔、檜隈の廬入野宮で天下を治めた武少広国押楯こと宣化天皇の御世のこと、天皇は大伴狭手彦連を派遣して任那国を鎮め百済国を救わせた。 大伴狭手彦連は天皇の命令を受け、篠原村までやってきて、弟日姫子と結婚した。 弟日姫子は並外れて美しく、二人が別れる日に大伴狭手彦連は鏡を弟日姫子に与えた。 弟日姫子が悲しみ泣きながら栗川を渡ったときに、もらった鏡の緒が切れて鏡は川に沈んでしまった。 弟日姫子が大伴狭手彦連と別れて五日が経ったとき、ある男が夜毎にやってきて弟日姫子と一緒に寝て、明け方になると早く帰っていくようになった。 その男の容貌は大伴狭手彦連に似ていたという。 弟日姫子は男の素性を知るために一計を案じた。 やってきあ男の着物の裾に紐を結んでおくのである。 あとで紐を辿っていったところ、山の上の沼のほとりに寝ている蛇がいて、体は人間の姿で沼の底に沈み、頭は蛇の形で沼の岸に伏していた。 それが弟日姫子を見るとすぐに人間の姿に変わり、「篠原の弟日姫子をたった一日でも共寝をした時には家にかえしてやらねばいけないのか」という歌を詠んだ。  紐を辿っていった弟日姫子に同行していた侍女は、山から家に走りかえって家族に状況を告げた。 すると家族は多くの人を伴って山に登り、沼のあるところへきてみたが、弟日姫子も蛇男も姿は無かった。 沼の底に人の屍だけがあったので、家族はそれを弟日姫子の骨だと思い、山の南側に墓を作って納めたという。

 昔から鏡は神聖なものであり、その紐が切れるというのは不吉なことの象徴として語り継がれている。 鏡のまつわる伝説で有名なのはもちろん、天照大神三兄弟の誕生であろう。 伊邪那岐命(日本書紀では伊弉諾尊)が、「私は天下を治めるべき貴い子を生もうと思う」と言って、左手で白銅の鏡(真澄の鏡ともいう)を持ったときに誕生した神がいる。 天照大神(天照大日霎貴尊:おおひるめ)である。 右手に白銅の鏡を持ったときに生まれたのは月弓尊である。 そして鏡を斜めから見たときに生まれたのは素戔嗚尊であったという。 この三兄弟を三貴子といっている。 大日霎貴尊と月弓尊はともに性質の立派な子であった。 それで、天地を照らさせることにする。 一方素戔嗚尊は性質が残忍で他を害することを好む子であったので、下界に行かせ、根国を治めさせることにした。 つまり、伊邪那岐命は鏡に自分を映し、分身を誕生させたのである。

 大伴狭手彦連からもらった鏡を栗川に落としたあと、男が夜毎、弟日姫子のもとにやってくるのは、鏡に籠もった大伴狭手彦連の霊魂が留まり、大伴狭手彦連に似た男に身を変えてやってきたわけである。 このように鏡に自分の魂をこめて愛する人に手渡すことで再会を誓ったのは、源義経と静御前も同じであった。

 

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