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幕末197 庄内藩を経済支援した本間氏

2018年01月03日 | 幕末

 酒田本間氏は佐渡本間氏の分家で、山形県酒田市を中心に日本最大の地主と称された豪商である。1689年、現在の酒田市本町に「新潟屋」の暖簾を掲げ商売を始めた酒田三十六人衆の一人で武士であったといわれる本間久右衛門の息子・原光を初代とする。3代当主である光丘は、士分の取り立てを受け庄内藩の財政再建に取り組んだ。さらに宝暦の大飢饉を教訓に、「八ヵ年計画による米備蓄計画」を藩に起案した。このほか金融業にも進出、大名貸では東北の多くの大名家から借入の申し込みを受けその要請に応えた。そしてそこから得た利益を元手に土地を購入。田地を拡大していった。さらには北前船交易の隆盛もあり三井家・住友家に劣らぬ大商家となった。

 戊辰戦争の際には佐幕派の庄内藩のため巨費を献じたほか、明治維新後には政府から多額の賠償金の支払いを求められた。その後も引き続き日本最大級の大地主ではあったものの、起業・興業にはあまり執心せず財閥化することなく、一地方企業家にとどまった。しかしながら、防風林および灌漑事業整備に大いに貢献し酒田の近代化に尽力した。さらには根室の柳田藤吉を支えた。1990年、本間家の商事部門等であった本間物産は倒産。その後カウボーイ傘下で再建された後、秋田県仙北市に本社を置く伏見屋の買収によって同社傘下とされた。なお不動産関連は本立信成として今日も現存する。本間ゴルフ創業者は、酒田本間氏庶流にあたる。

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