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平安時代中心の歴史紹介とポートレイト

古代史から現代史に至る迄(日本史/世界史)の歴史散策紹介とポートレイト

【韓国-1】 日韓併合は韓国開国派の請願なのに何故こじれる?

2020年12月02日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

【狗邪韓国は3世紀中頃に朝鮮半島南部にあった国】  「韓伝」、「魏志倭人伝」 中国正史の『三国志』や『後漢書』に見え、『三国志』では狗邪韓国は「其(=倭国)の北岸の狗邪韓国」とある。『後漢書』では「倭の西北端の国」とする。

つまり、韓は南方では陸続きに倭と接すると述べている。また、「韓」の西岸に馬韓が、東岸の北部に辰韓、東岸の南部に弁辰(辰韓)があり、馬韓と弁辰が各々その南方で「倭と接する」と述べている。すなわち当時は狗邪韓国は倭だった。

 

 

【朝鮮半島の王朝・衛氏朝鮮】  
 ・前漢時代に衛氏朝鮮が王朝を築くが前漢・武帝に滅ぼされ、以降中国の支配下。
 ・三国志時代は北部に高句麗、南部には弁韓(新羅が統一)、馬韓(百済が統一)、辰韓(新羅が併合)新羅は唐と同盟
   を結んで統一するが、高麗(13世紀モンゴルにやられる)にやられる。
   やがて李氏朝鮮(李成桂1335-1408 都は漢城)が1392年に統一して1897年まで続く。  
       ・李氏朝鮮は満州系(女真族)  
       ・新羅、百済は漢人系  
       ・新羅の発祥は日本?  
       ・百済の王族は満州系 :日本と交流(任那、加羅)---日本の古墳が多くある 
       ・  
       ・ 
   初代は李成桂、形明の科挙、朱子学を導入。4代世宗はハングルを導入。 
  
  朱子学  
 ・11世紀 王安石が中華思想を体系化 
 ・12世紀 朱熹が中華思想を確立(宋の時代)  
      弱体王朝の時代に選民思想が発達----攘夷思想に繋がる  
 ・朝鮮が小中華思想として受け入れる
 ・19世紀 大院君1820-1898に衛生斥邪を提唱
         ┗高宗1852-1919
         ┣ 
        閔妃1851-1895 
         ・大院君を追放
         ・両班無課税
         ・大土地権益復活 
         ・儒林復活(中国の出先機関) 
         ・開国推進(外務大臣に開国派を起用)
         ・日朝修好条約@1876
  

【李氏朝鮮側の依頼で日本は統治】  
 ・1910年の日韓併合から1945年の第二次世界大戦敗戦までの36年間、日本の統治は続いた。
 ・大韓帝国の皇帝・純宗(李氏朝鮮の王族1874-1926)は、1905年に日韓併合をどのように望んできたのかについて記載する。
   大韓帝国の開国派の政治団体「一進会」は、「韓日合邦を要求する声明書」を1909年に出した。
   相手は、大韓帝国の李氏朝鮮皇帝、及び大日本帝国天皇陛下に対してである。
   内容は、「朝鮮人も日本人と同じ一等国民の待遇を享受して、政府と社会を発展させたい」というもの。
   また、「日本は日清戦争・日露戦争で莫大な費用と多数の人命を費やし、韓国を独立させてくれた」
   とも述べており、当時の朝鮮では、無為無策の朝鮮王朝を見限って、日本に朝鮮の統治を託そうとした親日保守派が少なからずいた。
   
大韓帝国皇帝勅諭
  ・皇帝は日本の統治を信用している。
  ・天皇に任せておけば大韓民国国民は優れた文明に感化されて降伏になるだろう     

【韓国併合条約】  
  ・これに対し、韓国統監・伊藤博文は日韓併合には反対であった。朝鮮人の反発を買うと懸念したからである。
   また、当時の朝鮮を併合したところで、日本には何の利益もなかったからである。
   この状況の中で、伊藤博文は1909年満州・ハルビン駅で朝鮮の安重根に拳銃で撃たれた。
  ・伊藤の暗殺により、日本の世論は朝鮮併合へ傾き、朝鮮・李完用首相も併合を要請したというが、
   日本の世論が朝鮮併合へ傾いたというのが理解できない。
   朝鮮の民族主義者からすれば、首相は売国奴なのである。
   かくして1910年に民族主義者からの反感を受けつつ、韓国併合条約が調印された。
   このような経緯があるため、韓国に於ける民族主義者の反日教育は今も尚続いているのである。

 李完用
  
・日韓併合の立役者 ⇔ 高宗(身分制度王朝に固執)
  ・日本びいき
  ・韓国の近代化
  ・韓国人は李を売国奴という:自国で独立できた・・・

 

【日本総督府による韓国の発展】  問題多き併合ではあったが、日本は韓国に対して鉄道建設(5000km以上)、学校建設(5100校)を筆頭に、病院、美術館、ダムなどを建設することで、インフラ整備、教育などに貢献している。これらは大航海時代に、スペイン、ポルトガルなどが行った統治(アメリカ大陸、東南アジアの原住民を虐殺し、植民地化することで、現地資源を獲得して莫大な利益を得た)とは全く違う。韓国に於ける民族主義者にとっては、中身はともあれ自分自身で復興できずに人の手を借りたことが許せない。

【アメリカ連合軍軍政下】  1945年、第二次世界大戦で日本が負けたことで、35年間の日本の努力、投資のすべては水の泡となった。大韓帝国は新しくアメリカ連合軍軍政下に置かれると、元の政権・日本を攻めるようになり、反日教育が行われてきた。しかし現在では韓国の中には、韓国国内での教育が誤りであったと主張する若者が現れているが、国家によって弾圧を受けている。

【反日運動】  かくして元慰安婦問題(韓国が言い出したのは1990年代)が日韓国交正常化1965年(1800億円もの経済協力金供与:当時の韓国国家予算の3倍にて日韓請求権協定妥結)も終わっているにもかかわらず、巻き起こる。日韓合意は違法であるという判決を現在に渡って下す韓国裁判所。ではあるが、個々の韓国国民は概して親日的(日本人が大好き)で、日本への観光客も極めて多いから不思議。そもそも反日運動は戦後すぐに韓国で行われた。民族主義者の多くは、李氏朝鮮時代の身分制度(両班ヤンバン/りょうはん、中人、常民、奴婢、白丁)に於いて、階級が上位の両班である。彼らは常民、奴婢などを奴隷同然に支配していた独裁者である。従って日韓併合によって韓国全体が豊かになることは不都合なことであった。

敗戦により日本が撤退した後、韓国の大統領になった李承晩は両班の人間であるから、日本の統治時代の実績は邪魔なのである。日本の統治のほうが良かったということでは李承晩政権の支持が危うくなる。かくして日本は韓国の近代化により国民を救ったにもかかわらず、「侵略して虐殺を繰り返した」という歴史にすり替えが行われ、反日教育が国策として行われたのである。尚、韓国の作家であり教育家のキム・ワンソプ氏は『親日派のための弁明』を発行し、日本の朝鮮統治について肯定的な見解を述べている。当初は韓国で販売されたが、やがて有害とされて逮捕された。

【次の問題は竹島の領土問題】  事の起こりは1952年の日本漁民が拿捕されたもの。国境を越えたというものだが、この国教は当時の李承晩初代大統領1875-1965が1952年1月に突如設定したものであり、国交回復の1965年までに327隻の漁船がを拿捕、3911人の漁師を拘束し、8人を死亡させている。では何故1952年なのか。この年朝鮮戦争は膠着状態、李は北朝鮮に徹底抗戦を主張するがアメリカは無視。かくして李はスパイ狩りと称して自国民を大量虐殺したことで政権の権威は地に落ちた。挽回をはかろうとした李承晩大統領は、アメリカ軍の占領下にあった竹島を韓国領土とする李ライン宣言をして、国内世論を有利に誘導しようとした。しかしサンフランシスコ講和条約で挑戦を放棄した中には竹島は含まれておらず、李はアメリカに抗議をするも受け入れられなかった経緯がある。しかし李承晩にとってそんな経緯はどうでもいいことなのである。

竹島を巡る歴史

第17代李明博大統領1941-は、竹島に上陸し(2012/8)実効支配する。現在では数万人が竹島の住民票を持っているというが、岩礁で成り立つ島であり、人が居住できるような島ではない。現在李明博は収賄の罪で12億の罰金、17年の実刑判決を受けた。おそらく生きて刑務所からはでられないであろう。韓国の歴代大統領が哀れな末路を辿るのは、李明博だけではない。尚2021/2/25現在、竹島には韓国観光客が数多く上陸している。自衛隊の動きによっては戦争も有り得る、との見解があるのが韓国である。

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【台湾-3-2】 現在の台湾 食事

2020年12月02日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

 

【福隆フーロン:ビーチ】

 

【花蓮ファーリエン:東大門夜市】

新しくリニューアル

【宜蘭ギーラン:羅東夜市など】

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【台湾-3-1】 現在の台湾 観光 

2020年12月02日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

【台湾の観光スポット15選】

   台北101     :509mのランドマークタワー

   国立故宮博物院:世界の3大博物館のひとつ

   中正記念堂  :蒋介石の記念堂 夜は幻想的

   龍山寺    :ロンシャンスー 歴史は300年 御本尊は観世音菩薩 入場無料

           孔子や関帝(関羽)などが祀られている。関羽(首塚が洛陽にある)は行天宮にも。

   士林夜市   :最大規模の夜市 B級グルメ

           【夜市(イエ・スー)の発祥】伝統的夜市にはお寺がある

           台湾人は信心深く何度もお寺に詣でる。ある人がお寺に出店を開くと、それが次第に広まった。

           また、日本総督府による統治時代に台北市大同区にある大稲埕が夜市の始まり。

           1970年頃から爆発的に広がった。

           この頃は治安が悪く、古いアパートなどは鉄格子が設置された(今でも名残あり)

   北投温泉   :1894年に発見Byドイツ人

   九分     :日本統治時代は鉱山1971年閉山 千と千尋の場所

   淡水     :17世紀には蘭、スペインの領事館がおかれた

   宝覚禅寺   :台中 1928年建立 黄金の弥勒大仏 日本人移住者の遺骨奉納

   忠信市場   :台中のお洒落なカフェ休憩スポット 1960年創設

   宮原眼科   :お土産屋 1927年開業

   高美湿地   :台中の湿地帯 台湾のユニエ湖 夕方干潮は月に10日

   台南チーカンロ:台南最古の建造物@1652年

   花園夜市   :台南最大 週に三日開催

   台南孔子廟  :最古の孔子廟 鄭氏王朝の1665年に陳永華によって 創建

   台南-烏山頭水庫風景区:八田與一氏1886-1942 八田與一記念館 八田与一故居

           1910 台湾総督府土木部技手に任命

           1922 烏山頭出張所長

           1930 台湾総督府技師に任命

           1942 東シナ海において、遭難殉職@大洋丸

           1945 妻・外代樹さん投身自殺

【絶品な台湾グルメ10選】

   夜市B級グルメ

   葱油餅    :もちもちクレープ:ソンヨーピン

   地瓜球    :さつまいももちもちボール ディーグアチョウ

   ルーローファン:豚のとろとろそぼろ御飯(台湾人のソウルフード)魯肉飯++ルーダン(煮卵)+ウージャオ(胡椒)+ラージャン

   豆花     :豆腐のスイーツ ドーファー +小豆/ホンドー+タロイモ/ウーユエン ヴィンダ冷/ラーダ熱

   桃源街牛肉麵 :台湾 台北市 中正区

   阜杭豆漿   :朝食の店 豆乳グルメ専門店 

   鼎泰豐    :ディンタイフォンの小籠包+針ショウガ

   鬚張     :豚肉のかけご飯=魯肉飯

   高雄・旗津  :海鮮

   パイナップルケーキ:サニーヒルズ

   マンゴーかき氷:アイスモンスター

【交通機関】

   オープントップバス:24時間1800円

   台北おもしろカード:入場+交通3日間  購入方法

 

 

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【台湾-2-5】 台北の歴史を歩く その7--台北駅周辺の歴史(片倉 佳史)

2020年12月02日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

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【台湾-2-4】 台湾人の列車の歴史 - 七つの古典的な鉄道駅の鑑賞

2020年12月02日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

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【台湾-2-3】 日本統治時代の公共図書館建築設計の変遷

2020年12月02日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

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【台湾-2-2】 國定古蹟臺南火車站之建築歷史研究

2020年12月02日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

 

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【台湾-1】 台湾の歴史 発見--日本統治---蔡英文

2020年12月02日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

【約5万年前-17世紀】  
 ・既に先住民が暮らす。多民族が相手を虐殺したり領地を奪ったりすることなく平和に暮らす。  
 ・呉史 : 台湾の存在が記されている  
 ・隋史 : 台湾のことを琉求と呼んでいる

【17--19世紀】  
 ・
高山族(マレーポリネシア系、数多くの部族を総称)は抗争が絶えず、相手の首を刈る風習があったという。

 1544年  大航海時代にポルトガル人が発見。  
 
1593年  日本は台湾に使者を送ったが、王様も政府もなかったために話し合いができなかった。  
 
1624年  ヨーロッパ・蘭勢力が入植してゼーランデェア城を築城 
     ・
日本との交易に利用する(大航海時代 蘭東インド会社)台湾原住民を奴隷化 
     ・
この頃から漢民族も本格的に移住。明は澎湖島を支配、蘭は台湾本土を支配 
     ・
この時台湾のシラヤ族を優遇(民族分断政策) 
     ・
シラヤ族の言葉・来訪者=タイオワン---台湾の語源

 1661年  明の遺臣・鄭成功1624-1662(清に抵抗してきた反清復明)母は日本人 が蘭勢力を追放して台湾を支配する 
     ・
今頃明が滅んで清が支配を始めたため、鄭成功は明の復活を目論んでの台湾進出であった。 
     ・
ところが清によって鄭成功は降伏し、1894年までの200年間は清の支配下となる。

 1683年  清第4代皇帝・康熙帝が台湾を中国領にした

 1874年  琉球漂流民殺害事件   1871年琉球の人達が台湾に漂着 
     ・
このとき琉球人54名が殺害された(首狩り族と言われる原住民によって襲われた) 
     ・
これを好機とみた日本は報復措置として台湾に出兵 
     ・
これに対して清朝は「台湾は化外の地」であるとして責任回避。 
     ・
交渉の末、日本は台湾から撤兵するかわりに賠償金をとった。 

 1895年  下関条約@日清戦争
     ・
台湾は日本の領土となる(清は主権放棄) 伊藤博文調印
     ・台湾総督府設置

       出先官庁 
初代総督は樺山資紀1837-1922
          ┗樺山愛輔1865-1953

            ┗正子1910-1998(随筆家 白洲次郎の妻)
                                                 ┃・西園寺公一1906-1993の友 
                                                 ┃
                                                 ┃
              ┗牧山桂子1940-(旧白洲邸・武相荘館長)
     ・統治直後は虐殺あったが・・・
     ・
鉄道----交通局鉄道部 基隆-高雄間404km開通@1908など 後藤新平1857-1929
          ushiki赳夫@1929(1916:民生部 1923:内務部 1932:公務部兼 1933:自動車課 1941:工業研究所)
          井出薫 @1911(師は辰野金吾1854-1919)  

     ・
水道----土木部 浜野弥四郎1869-1932   
          
八田與一1886-1942は烏山頭ダム建設  
     ・
教育----教育令  
     ・
大学----台北帝大@1928 台北高等学校@1927 など  
     ・
人財----新渡戸稲造:総督が投入 

【日清戦争勝利で台湾割譲】  
     ・
1894-1895年の日清戦争に勝利した日本は、1895年の下関条約で台湾を割譲される。
     ・
清にしてみれば何ら経済的な魅力のない台湾であったが、
       
日本にしてみれば帝国主義国家としてさらに列強な国として
       
台湾を成長させようとして台湾総督府を置いて日本の教育を徹底する。
     ・
台湾の現地人は日本の占領に反発して「台湾民主国」を1895年に建国するが、
       
148日で鎮圧されて日本による植民地化が始まり、反発勢力約1万人が弾圧されて処刑されるという歴史もあった。

【台湾総督府】
     ・
初代総督は樺山資紀  1895-1896、:孫正子が白洲次郎の妻
     ・
2代は桂太郎    1896-1896、
     ・
3代は乃木希典   1896-1898、
     ・
4代は児玉源太郎  1898-1906である
     ・
民政長官の後藤新平のときにインフラ整備(鉄道、道路、伝染病対策などの公衆衛生)が進む。
     ・
1930年には台湾高山民族・アタイヤル族の反日蜂起もあった(霧社事件)
     ・
このとき130名の日本人が殺害されている。そして当時の総督・石塚英蔵は辞任。
     ・
一方で台湾が発展して性格の向上にもつながったという面もある。
     ・
それらを教科書としてまとめたものが認識台湾として記された。
     

【台湾での整備内容】    
     ・日清戦争終結後、台湾は1895-1945までの50年間、日本の統治下にあった。
     ・台湾総督府を置き、民政長官に就いた後藤新平1857-1929は、電気水道・交通施設の整備、
       アヘン中毒患者の撲滅、学校教育の普及、など台湾の近代化を推進した。
     ・この費用は日本国予算の1/4と言われ、東北地方の整備事業予算があてられたという。 

【後藤新平という医者】       
     ・
後藤新平1857-1929は元々福島の医者であった。    
     ・
1884年に衛生局に入局した。    
     ・
衛生局というのは、長与専斎(1838-1902 緒方洪庵の敵塾生であり、福沢諭吉の後に塾頭になった人物)が    
       
明治初期に流行ったコレラと戦う中で発案したシステムである。    
     ・
長与専斎の口利きで入局した後藤新平は、やがて日清戦争1894-1895からの帰還兵の検疫計画を担った。    
       
23万人の帰還兵がコレラに感染している可能性が大きいためである。    
       
まず検疫所を彦島、似島、桜島に建設、わずかひと月で401棟の検疫所は、混乱があったにもかかわらず、    
       
未消毒、消毒済区域に分離され、大いに成果を上げた。    
       
隔離されたのは僅かに1000人(帰還兵の0.5%)、コレラ患者は369人(0.16%)だったという。    
     ・
1899年には海港検疫法が公布され、外国人の検疫という水際対策が可能になった。    
     ・
後藤新平は1898年に、台湾総督府の民政局長となり、台湾の下水道インフラ事業を行うことによる民の強靭化を図った。

     ・迅速な決断・判断・実行がなされた背後には児玉源太郎陸軍次官が全体の統括リーダーとしての威厳があったという。    
     ・
児玉源太郎は日清・日露戦争の勝利に絶大な役割を果たし圧倒的な威信があった。    
     ・
つまり児玉の独断で後藤新平に仕事をやらせることができたとも言える。

【後藤新平の師は長与専斎】         
     ・
長与専斎1838-1902は肥前・大村藩の出身で16歳のときに緒方洪庵の適塾に入塾した。       
     ・
福沢諭吉を継ぎ塾頭になると、1871年には岩倉使節団の一員として欧米へ行き、       
       
国民の健康は行政が行うべきであるということを学ぶ。       
     ・
そして衛生という概念をもった衛生局をつくった。       
     ・
明治初期西南戦争の頃、官軍の中からコレラ患者がでた。これが長崎から神戸に持ち込まれて8000人の死者を出したという。       
     ・
明治12年には12万人の死者を出すほどに流行し、患者の隔離を行うが、民衆は反発しコレラを隠蔽したことからどんどん拡大。       
     ・
コレラの感染源が飲料水の汚染であるとし、自治衛生に取り組み、上下水道を整備することで解決していく。       
     ・この
考え方を後藤新平は長与専斎から受け継ぎ、日清戦争の帰還兵検疫や台湾総督府としての事業に応用していったのである。

長与専斎1838-1902
    ┣長与稱吉1866-1910医師(長与胃腸病院院長)
 ┃ ┣美代子 
 ┃ ┣仲子(犬養毅三男の妻)
 ┃延子(後藤象二郎の娘)
 ┣長與程三(1875年 - ?)
 ┃ ┣-
 ┃沢子(二代目茂木保平の娘)         スペイン風邪ワクチン開発競争(当時は細菌と思っていた)
 ┗長与又郎1878-1941(病理学者で東京帝国大学総長)   ⇔  北里柴三郎
   ┣長与太郎(妻が志賀直哉の次女・留子)
  玉(森村豊:財閥の娘)
 

【認識台湾という教科書】  
     ・
台湾の中学生を対象とした教科書があった。
     ・1997年から台湾全土で使われるようになったのには、理由があり、
       
それまでの中学生は台湾の歴史ではなく中国大陸の歴史を学んでいた。
     ・
蒋介石から政権が代わって台湾出身の李登輝が政権を引き継ぐと、
       
正副総統直接選挙を実施、その背景から教科書「認識台湾」は生まれた。
     ・
内容の1/3は日本統治時代の史実に基づいた事例・写真を紹介して教育しようとしたもの。
     ・
義務教育、インフラ整備、ダム建設、農作、帝国大学、製糖産業など、
       
台湾の発展のために行われた整備が、数多く掲載されていたのだろう。
     ・
しかし陳水扁(第5代中華民国総統2000-2008) 政権下で消滅した。
     

【20世紀】

【白団が台湾を救った】    
     ・
第二次世界大戦で日本が敗退すると、 
       
台湾には中国本土から蒋介石率いる国民党(中国共産党との争いに敗れて台湾に逃れてきた)が統治 
       
この時中国共産党も台湾になだれ込んできた。 
       
そこで蒋介石は台湾に居た日本軍残党に支援を依頼、 
       
そこで立ち上がったのが「白団」といわれる旧日本軍将校による軍事顧問団である。 
     ・
なんと1949-1969までの20年間に及び富田尚亮(1899-1979 陸軍少将)を団長として83名の団員が活動した。 
     ・
そして台湾は中国共産党の支配から逃れることができたのである。残念ながらこのようなことを台湾人は知らない。

 1945年  第二次世界大戦終焉 : 台湾は戦勝国となる+国連メンバー
     ・
10/25 安藤台湾総督は降伏署名 --- 中華民国の台湾実行支配(行政権)
     ・
双十協定破綻 : 中国国民党蒋介石と共産党毛沢東の協定   

 1946年  第三次国共内戦@6月
     ・
国民党(米側だが支援打ち切り)✖ VS 〇共産党(ソ側+北朝鮮:金日成
     ・
国連は国民党を支持し当初は有利 

 1947年  2・28事件
     ・闇賭博取締に対する台湾人の暴動発生----憲兵隊が発砲、蒋介石の戒厳令@1947-2-28

     ・
蒋介石国民党・外省人14% VS 本省人80%
       外省人:国民党 独立反対 独立したら少数派 
       本省人:民進党 独立賛成

     ・国民党
政府は台湾国民約2万人を虐殺(10万人との説もある)
     ・1992年中華民国行政院発表の犠牲者は18000~28000人

     ・
国民党隠蔽により詳細不明

 1949年  中華民国の実効支配範囲は縮小
     ・
蒋介石辞任
     ・
中国共産党との和平協定に合意せず
     ・05/19 厳戒令発布----1987年迄恐怖政治は継続
                民主化実現まで(1992李登輝総統の時)国民党による独裁

     ・
10/1 中国共産党は中華人民共和国を樹立
     ・
12/7 総統に復帰した蒋介石の中華民国政府は、臨時首都を南京から台北に移転---亡命政権

 1952年  4/28 サンフランシスコ平和条約発効 : 日本の主権回復
     ・
日本は46%の土地を失う  
       
北方四島 台湾 朝鮮半島
     ・
8/5 日華平和条約発効@台北:日中戦争終結条約 By 日本&中華民国 共産党は認めないが・・・ 

 1954年  米華相互防衛条約@ワシントン
     ・
軍事同盟 By 米 &中華民国

 1955年  ベトナム戦争の泥沼化(1975)
     ・
米経済は落ち込む

 1969年  中ソ対立の激化 :国境問題 フルシチョフ 毛沢東
     ・
中国本土 VS ソ連+インド+米

 1971年  中米会見 : 周恩来+キッシンジャー    ---敵の敵は味方
     ・
米は中国を承認
     ・
10/25 国連代表権は台湾から中国本土に変更

 1972年  日中国交回復(日中共同声明:佐藤栄作 9/29)---日本も米に倣う
     ・ニクソン北京訪問

     ・
蒋介石は病気の為に引退
     ・
9/29 日華平和条約失効 ---- 台湾との国交断絶(現在も継続)
     ・台湾は国連脱退 孤立

 1975年  蒋介石の死
     ・
台湾に中華民国としての威厳が無くなる
     ・蒋介石の子・蔣経国は民主化路線に変更して李登輝(本省人 京都大学出身の農業博士)を起用
     ・以降の総統は本省人(民進党)、外省人(国民党 利権握っている企業、マスコミ)が選挙で選ばれる:ほぼ交互

 1976年  毛沢東死亡

 1977年  文化大革命終焉
     ・
鄧小平による現代化
     ・
社会主義+市場経済
     ・
米に傾く              

 1979年  米中国交正常化
     ・
IOC名古屋決議 --- チャイニーズタイペイ --- ロス五輪に出場@1984

 1980年  台湾は米から見放される(孤立) : 第二次冷戦最中
     ・
米華相互防衛条約解消 : 軍事同盟 By 米&中華民国 

 1988年  李登輝が総統に就任
     ・
国民党なのに本省人80%(大陸から移住した人 ⇔ 外省人14%:移住後に台湾人として定住)

 1989年  第二次天安門事件
     ・
学生がより市場経済を求めると鎮圧された
 1992年  李登輝氏が憲法改正----民主化実現 言論の自由化

 1996年  国制選挙 : 国民党勝利 李登輝 ---- 初の国政選挙で総統に就任

 2000年  国制選挙 : 民進党勝利 陳水扁 ---- 本省人:元々台湾の人----独立志向 : 途中で挫折

 2008年  国制選挙 : 国民党勝利 馬英九 ---- 本土に有利な政策

 2012年  国制選挙 : 国民党勝利 馬英九 ---- 中国大陸での貿易自由化協定@対中国 

 2014年  ひまわり運動 : 3/18学生がデモ ---- 香港雨傘運動9/26へ発展(貿易自由化協定@対中国に反対)

 2016年  国制選挙 : 民進党勝利 蔡英文 ---- 雨傘運動のように中国圧激しく、人気出ていった

 2020年  国制選挙 : 民進党勝利 蔡英文 ---- 台湾経済界は中国に進出希望なのがネック

 2020年  李登輝総統の葬儀には特使が誰も派遣されないという結果となった。

 2021年  中国軍の戦闘機、爆撃機が台湾の防空識別圏内に149機飛来@10/4-10/7(10/10は建国記念日-双十節)

       習近平演説:台湾の独立は認めない、中国が必ず統一する

       蔡英文発言:台湾は米兵教官に指導を仰いでいます

 2020年  李登輝総統の葬儀には特使が誰も派遣されないという結果となった。

 2020年  李登輝総統の葬儀には特使が誰も派遣されないという結果となった。

 2024年  国制選挙 : 民進党勝利 頼清徳 ---- 

広島県・似島(広島港からフェリーで10分程度)に建設された遺構

帰還兵、軍用武器類が荷揚げされた桟橋の跡

 検疫所・収容所跡  検疫所で亡くなった人達はここで焼却されたという

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【中国-9】中国の国力増強経緯

2020年12月02日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

日本の政治家のほとんどは親日である。今思えば嘘でしょ?!となるが過去60年の歴史を振り返ると当然の成り行きであったことがよくわかる。1972年には田中角栄が日中国交正常化を行い、松下幸之助は松下政経塾で中国への進出を説いた。英国の産業革命でもわかるように「産業発展すればその市場確保が重要」。つまり田中角栄、松下幸之助は市場を中国に求めたのである。現在の日本には、当時の親中派政治家を親類に持つ政治家が多い。ところが日本の技術を吸収して巨大化(GDPは170倍)した中国は、モンゴル、チベット、ウイグル、香港だけではなく台湾にも牙を剝いてきた。だうなる中国、どうする日本。

 

1962 GDP16兆円 東京五輪に向けて首都高速整備(世界初の都市高速):1963年開通

         公共投資を行う活気ある時代の到来

1963 GDP25兆円 日本の商用原発第一号機

1964 GDP29兆円 東京五輪 新幹線開業(東京-新大阪)

1968 GDP52兆円 交通渋滞頻発(高度成長の証)

1970 GDP73兆円 大阪万博 

1972 GDP92兆円 新幹線開業(新大阪-岡山) 岡山-博多は1975年

         日中国交正常化(カンカン-ランランが来日、大人気)

1979 GDP220兆円 松下政経塾が発足し、経済発展を目指して中国への企業進出

          2004-2007:工場生産@中国の黎明期

1986 GDP336兆円 日米半導体協定締結(世界に誇る日本製半導体が陰りはじめる)          

1989 GDP405兆円 消費税導入

1991 GDP464兆円 日本のエレクトロニクス企業はリストラ多発

          →韓国へ技術流出(土日ソウル通いで東芝社員の現金収入は4倍)

          1993:インテル 1995:マイクロソフト

1993 GDP480兆円 バブル崩壊

1997 GDP515兆円 消費税5%にアップ 

          新自由主義強化策(2007:郵政民営化、ハゲタカファンド、緊縮財政政策)          

        公共投資を行わないグローバル時代到来(日本の経済成長は停止)          

2008 GDP527兆円 日本の原発技術供与により中国三門原発着工

          現在稼働中の三門原発は2200MW(美浜原発の14倍

          4400MWが現在計画中

          英米日の産業革命は、発電による「生産能力向上」が主要因

          中国のGDPは1960年以降2010年までに約60倍(8→500兆円)に成長し日本を追い抜いた

        中国の脅威到来:中国市場を利用したつもりが・・・・・

2012 GDP510兆円 FIT導入(電力の固定価格買取制度)

          再生可能エネルギー発電賦課金という一般国民負担→親中派政治利権

          太陽熱パネル&アクセサリーのほとんどが中国製(親中派政治利権)

2019 GDP558兆円 Huawei(1987年成立のIT企業)スパイ事件

          多くの日本人がハーウエイのスマホを購入流行

2021 GDP541兆円 中国のウイグル弾圧(香港、モンゴル、チベットに続く)

2022 GDP556兆円 中国の台湾戦略騒動(台湾侵攻により沖縄米軍基地の危険)

          中国のGDPは60年前と比べると170倍の1500兆円(日本の3倍)

          中国人の爆買いで景気回復・・・などと喜んでる場合ではない(中国目線:安くて落ちぶれた日本)

          中国の軍事費:26兆円 日本は5兆円   

 

図 日中関係と中国の成長

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【中国-8】中国浙江財閥の残党が台湾で暗躍し、日本の半導体技術が流出

2020年12月02日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

【中国浙江財閥 & 英サッスーン財閥によるアヘン利権】

中国浙江財閥(金融資本家集団)のトップはチャーリー宗(宋嘉澍)1863-1918
 ・孫文の支援者・宋嘉澍の子には
   ・宋靄齢1889-1973(腐敗政権の象徴・孔祥熙の妻)
   ・宋慶齢1893-1981(孫文の妻)
   ・宋美齢1898-2003(蒋介石の妻)がいる。
 ・浙江財閥の裏の顔は「青幇」という巨大秘密組織
   ・そのボス杜月笙1888-1951はアヘン密売利権で財を成した
 ・当時、清-英-仏で行われていたのが三角貿易。
 ・この時英国・ユダヤ富豪のサッスーン財閥がインドのポンペイに本拠地を移してアヘン利権を牛耳ることとなる。
 ・その利権に手を貸したのが浙江財閥で、中国・清の国民をアヘン中毒にして財を成したのである。

 清    → お茶 → イギリス 
 イギリス → 織物 → インド  三角貿易 
 インド  → アヘン→ 清     ユダヤ系サッスーン財閥と浙江財閥(青幇:チンパン)は蜜月 ⇒ 中国人のアヘン中毒

日中戦争1937-1945で日本とアメリカの関係が悪化していた頃の浙江財閥の動き
 ・1937年、日本軍と対立すべく第二次国共合作が成立する
 ・浙江財閥はアメリカに対して情報・兵器の支援を受けている
 ・このときに活躍したのが蒋介石の妻・宋美齢で、中華民国空軍の近代化に大きく貢献している。
 ・ところが、浙江財閥はアメリカから受けた兵器などの物資を中国軍だけではなく、日本軍にも支給
 ・莫大な富(7兆円とも)を得たといわれている。

       武器支援         武器支援
アメリカ政府    浙江財閥(宋美齢)    中国(国共合作)
                武器支援
           浙江財閥(杜月笙)  →  日本軍
                      ←   資金(アヘン利権で得た金)                 
ところで、その青幇の残党(杜月笙の配下たち)が台湾に残って「親日」を装って暗躍
 ・暗躍どころか台湾TSMCという半導体工場を設立して莫大な富を得ている。

【背のり中国人事件】

背のりとは、他人の身分を乗っ取って、その人に成りすます行為を言う。
 ・戦後中国に残った日本人が死亡後、子孫として家督を乗っ取る中国人がいる
 ・また背のりを擁護する文化人、政治家がいる。
 ・背のり中国人が日本の技術を中国共産党に流す。
 ・かくして東芝・日立の半導体事業は衰退
 ・韓国や台湾での半導体技術、生産力は1990年から2020年までの30年間で飛躍的に発展
 ・これにともなって中国共産党の勢力も発展
 ・台湾には偽物の中国人が暗躍し、その仲介を行っているとも言われる。
 
 ・中国人だけではなく、イエズス会、ロシア正教会、北朝鮮の工作機関による場合も多々ある
 ・辛光洙事件:北朝鮮工作員の辛光洙が、宮崎県で拉致した原敕晁名義の旅券で工作活動を展開@1980
 ・宇出津事件:拉致犯は久米裕の戸籍謄本をだまし取った@1977
 ・大韓航空機爆破事件@1987の実行犯、金勝一は「蜂谷眞一」名義の日本国旅券を所有。当時、蜂谷眞一は日本国内で健在だった

 

【日本の半導体技術衰退年表】

1980年代 日本の半導体技術は世界を席巻 
      ・世界シェア50%超 DRAM
1986年  日米半導体協定  
      ・日本政府は日本国内のユーザーに対して外国製半導体の活用を奨励する等アメリカに有利な内容
1987年  米は日本に関税100%  
      ・プラザ合意 
      ・アメリカ製半導体が日本で伸びていない 
      ・浙江財閥の思惑が漂う 日本経済産業省が承諾  
1987年  TSMC設立@台湾 
      ・モリス・チャン社長はみせかけの親日台湾人 
      ・1991年までにTSMCは日本に対して半導体製造工場建設@台湾 を示唆 日本承諾理由:関税逃れ 
      ・孫正義もこれらの仕掛け人
1991年  第二次日米半導体協定 
      ・アメリカ半導体シェア@日本 20%を強要
1993年  米インテルがペンティアムを発表
1995年  米マイクロソフトがウインドウズ95を発表
1997年  日本の半導体競争力は完全になくなった 
      ・DRAM不況 日本の半導体部門はリストラ 
      ・日本の半導体技術者は韓国サムスンに移籍 
       (技術窃盗が横行@東芝、日立 一泊の渡航で月収分の報酬がサムスンからあった)
        李秉喆    1910-1987    :サムスン創業者早稲田出身
         李健熙  1942-2020    :早稲田出身@1929~
           李在鎔1968-サムスン会長:慶応出身 
       
      ・同じようなことが対台湾TMSCに於いてもあったという 
       (筑波大学名誉教授・遠藤誉著)→金帰月来
2000年  李登輝総統退任 
      ・2000年以降、金帰月来により出世した日本半導体企業の社員が、コア技術の移転に奔走する 
      ・しかも経産省もグルで行っていた  
      ・これに反発する企業は国からの補助金給付などは停止

     

     
2016年  蔡英文総統
2019年  Panasonicの半導体技術 
      ・PSCS(子会社)から台湾Nuvoton Technology Corporationに譲渡 
      ・これらの日本の半導体技術移転は台湾の親日利用 
      ・アメリカへの半導体輸出が目的 
      ・ところが、日本の技術で製造した半導体は、ファーウエイ(1987年設立)および中国に流出しているという 
      ・現在、低価格高性能なファーウエイ製スマホが急に世界を席巻  
      ・骨董品だった中国の軍備が急に高性能
2021-10-7  TSMCはソニーと共同で半導体工場を熊本に建設予定 
      ・2022着工-2024稼働 投資8000億 雇用1500人 
      ・熊本知事は「熊本から国の経済安全保障の一翼を担いたい」と言っているが・・・・ 
      ・1997年以降の歴史を振り返れば、生産された半導体が中国に流れる可能性は大きい

台湾総統・李登輝の時代(1988-2000)が終わると 
      ・急速にTSMCは成長 
      ・2016年に蔡英文総統の時代になっても勢いは止まらない 
      ・2015年の売り上げ3.6兆円は、三菱重工㈱の売り上げ3.7兆円@2020年とほぼ同じ 
      ・これらの技術が本当に中国に流出しているなら恐ろしい。

          TSMCの業績推移       

      

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【中国-7-4】 中国によりる買収が進む北海道

2020年12月02日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

2024-12-22追記
 ・中国による日本の土地買収
 ・買収された土地は中国(共産党)国家の所有となる
 ・山林は水源の涵養機能:洪水緩和等々 これらを支配可能
 ・

 

今や中国系企業は京都・観光地、東京・事務所ビル、北海道・漁村だけではなく、公安、自衛隊周辺の土地700ヵ所を買い取っている状況(2021-5-12発表)これは明らかな情報戦争であり、対日工作は終わっているのかも知れない。これに対して新自由主義的な日本企業は、金によって中国になびく結果になっている。要すれば企業や自治体にすれば緊縮財政によって政府はあてにならない、中国資本はありがたい、と言う状況が拡大されている。北海道の苫小牧では、カジノ誘致で1万人規模の中国人居住施設ができている。夕張でもリゾート地を中国系資本が購入。これらの事象は日本に限ったことではなく、オーストリア・ウイーンのオペラハウス経営に中国資本が介入、イタリア・ミラノの服飾業界にも中国資本は参入。この中国による全体主義的な動きは、2019年のコロナウイルスによって加速された。この考え方はヨーロッパでも広まっている。位置的に近い日本は、本当に対抗しなければならない。

中国資本によって買収された北海道の土地(東京ドーム515個分)

 

【中国・北京の様子】   変わりゆく街、変わらない街~ 中国 北京から生配信(2021年5月22日)

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【中国-7-3】 21世紀・近代中国史 中華人民共和国建国~習近平@1945~

2020年12月02日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

【1946年 国共内戦激化】    
      ・
日本と言う共通の敵がいなくなり内戦が激化
      ・共産党は農民支持----地主批判
      ・
国民党は台湾へ逃げる
      ・土地改革を李鋭1917-2019が推進
             →後に毛沢東1893-1976を批判して幽閉 1976に中央復帰
             →「中国共産党の真実」を綴った日記が米に寄贈 By本人の意向
               →独裁者に変貌する様子がかかれている
               →毛沢東が粛清した人数は数千万人に及ぶ
               →中国共産党はカルト
               →文化大革命は邪教の10年だった
               →多くの党員は共産党に閉じ込められて目覚める機会もなかった

【1949年 中華人民共和国建国】    
      ・
10/1 国慶節
      ・共産党は北京入場----社会主義のプロパガンダ映像が捏造される Byソ連スタッフ

      ・
主席:毛沢東 首相:周恩来1898-1976  
      ・毛沢東の連合政府構想@10月・中国人民政治協商会議----毛沢東が国家主席に選任

【1950年 朝鮮戦争】 
      ・
中ソ友好同盟相互援助条約 チベット征服
      ・
第一次五か年計画(ソ連の模倣)
      ・
人民公社:社会主義にするための組織(ノルマ達成しないと配給減)
      ・
社会主義:必要以上の生産はしない---飢饉で経済破綻

【1953年 スターリン1878-1953死去 中国の後ろ盾死亡】

【1954年 フルシチョフ1894-1971のスターリン批判】   
      ・毛沢東批判続出   
      ・独裁政治批判 ----批判者弾圧・粛清 約55万人   
      ・共産党に追随する人民続出

【1958年 大躍進運動】
      ・
第二次五か年計画
      ・
社会主義国家建設  
      ・鉄鋼で15年以内に英を追い越す  
      ・農業集団化----人民公社により私有財産の所有禁止  
      ・農業生産成果は実態とは程遠い水増し報告

【1959年 中ソ対立】    
      ・
フルシチョフ訪米 
      ・
中ソ対立激化 
      ・
中印国境紛争 
      ・
百花斉放 : 自由に意見を言ってといいつつ取り締まる 
      ・
中ソ技術協定破棄:  
      ・廬山会議(進展報告会議)----毛沢東の独裁政治が顕著  
      ・空虚な実態明確化を唱えた彭徳懐1898-1974は国防省トップを解任 李鋭1917-2019も党除名

      ・45
00万人以上が餓死 
      ・
国家主席が劉少奇になり資本主義路線

【1962年 毛沢東失脚】  
      ・
劉少奇1898-1969 鄧小平1904-1997による調整政策(貯蓄、販売)

【1965年 ベトナム戦争】 
      ・
林彪1907-1971が毛沢東を担ぎ上げる
      ・
毛沢東が劉少奇を批判--学生を煽る

【1966年 文化大革命】
      ・1976迄
      ・資本主義打倒 劉少奇、鄧小平打倒
      ・
社会主義の復活 
      ・100万人の若者が集結@北京

      ・
国防大臣・林彪を使って制圧
      ・
紅衛兵による市民虐殺する ----劉少奇幽閉@2年後に死亡
      ・著名人粛清、天安門で引き回し
      ・李鋭は監獄行

      ・
劉少奇・鄧小平が政権に追われて、江青(毛沢東の妻)ら4人組が周恩来や鄧小平と対立
      ・
バリバリ社会主義の江青と対立した周恩来は米に近づく
      

      ・仏独にも文化大革命の波が及ぶ
      ・日本では70年安保闘争(共産党に傾倒
      ・坂本龍一やアンディーウオーホールも影響される
      ・毛沢東は文化大革命の勝利宣言を行う@1969-4
     ところが文化大革命の実態(鉄鋼、農業成果低い 餓死者4500万人)は知らされていなかった 
      

【1969年 ダマンスキー事件】
      ・中露武力衝突:ダマンスキー島の領有巡る争い
      ・林彪は副主席就任
      
【1971年 中国が国連加盟】
      ・台湾が脱会
      ・林彪による毛沢東暗殺計画発覚----林彪飛行機事故死(林彪事件

【1972年 ニクソン訪中】
      ・米中和解
      ・日中国交正常化
      ・日本-台湾国交断絶

【1976年 第一次天安門事件】
      ・1
月 周恩来病死 → 江青独裁 → 周恩来派学生蜂起反発
      ・9
月 毛沢東病死 → 華国鋒主席 → 江青を訴える → 江青軟禁

【1977年 文化大革命終焉】 
      ・
改革開放政策By華国鋒1921-2008  
      ・
鄧小平は華国鋒を失脚させる(学生殺害の罪)

【1978年 鄧小平の近代化】
      ・
(工業・農業・国防・科学技術)経済的自由 民主化はされていない
      ・
資本主義の国家技術を真似てGDP成長
      ・
2010年には日本を追い抜き、2020年には日本の3倍
      ・
学生は民主化を望む ✖⇔〇李鵬1928-2019(保守派独裁的) 
      ・
民主的胡耀邦病死

【1984年 香港返還協議】 
      ・
鄧小平/サッチャー

【1989年 第二次天安門事件】
      ・
胡耀邦総書記の死を悼む学生を弾圧(鄧小平は抑止せず)
      ・
学生の中にはチベット、ウイグルも居たためか? 
      ・
TV中継で李鵬の学生殺害が知られ、鄧小平は李鵬を下した

【1993年 江沢民が主席】
      ・
元々上海の行政長官
      ・
21世紀の中国を作った人物 --胡錦涛--習近平

【1997年 鄧小平死亡1904-1997】

【2012年 習近平が国家主席】

 1945 主席毛沢東 5000万人の餓死者 
 1982 初代胡耀邦 主席鄧小平--改革開放発展(共産党であるが、資本主義を導入)
 1987 2代趙紫陽 
 1989 3代江沢民 上海閥 米ブッシュ親元CIA長官と親交、ソロス登場、グローバリズム
      

 2003 4代胡錦涛 共青団 温家宝常任委員----反日開始、尖閣衝突、G2発展宣言、ウイグル攻撃
           
 2010-09     ・違法操業の中国漁船が海保巡視艇に衝突@尖閣諸島沖
           政府は隠蔽していたが、巡視艇乗組員が動画公開
           中国各地で反日デモ →仙谷官房長官怯む
           中国側船長は逮捕されたが、すぐに釈放By那覇地検
           当時の石原東京都知事が政府を批判
           菅直人総理は政府は介入していないと・・・責任逃れ・・・取材に応じず
           前原外務大臣は「菅総理から船長を釈放しろ」と命令されたと・・・
           宮本中国大使は「準備不足・・・」だと
           ジャーナリスト後藤謙次は「釈放は仕方なかった」「日本の汚点」→なんなん?これ
           
           この事件以降、中国は日本に牙を剥くようになった By前原外務大臣
           この頃中国はGDPで日本を追い抜いている
                  
 2013 5代習近平 首相:李克強 発展に貢献してきた日米(建設、鉄鋼、発電、半導体)を裏切る 
          ・Step-1 当初はChina-7の中に上海閥、共青団を入れる
          ・Step-2 腐敗上海閥を排斥
          ・Step-3 腐敗共青団を排斥
          ・Step-4 China-7から上海閥、共青団を排斥
 2018-02      ・Step-5 習近平自身が永久総書記長となる
 2020       中国のGDP
            ・
30年前の220倍に成長 日本の3倍
            ・BATHの活躍
              バイドゥ  :検索エンジン 650億ドル
              アリババ  :ECサイト   8000億ドル
              テンセント :SNS     7000億ドル
              ファーウエイ:デヴァイス  1600億ドル

            ・
5年後はアメリカをも追い抜く勢いであると言われていたが・・・
 2022-10      ・Step-6 李克強が中央政治局委員から外れる@2022-10
               胡錦涛は知らされていなかった模様で強制退場(TV中継 謀略?)
 2022-11           江沢民死去     
 2023-10      ・Step-7 李克強死亡@2023-10-27:68才
          ・Step-8 習近平が腐敗とグローバル勢力を排除完成
          ・Step-9 習近平による経済封鎖@コロナウイルス
               ・学校・企業内で陽性者出たら全体封鎖    ⇔ 李克強は封鎖反対
               ・某地区火災でマンション出られずに多数焼死
               ・各地でロックダウン抗議集会、デモ(白紙革命)
                 →北京の清華大(共産党排出大学)でも1000人がデモ
                 →共産党はロックダウン解除実施
       
       


          ・結果  習近平は発展してきた中国経済を破壊したことになる

 2024-06     ・中国は自国に侵入した外人は60日拘束する規定を施行
           
 2024-07     ・中国不動産バブル崩壊            
 2024-10     ・中国から資本流出
               2022年以降急速に成長停止

      ・一帯一路構想(百年国恥を乗り越えて2049年には世界の覇者になる)を掲げた
      ・
香港に於ける契約違反
      ・
ウイグルに於ける人権侵害(ずっと以前から)
      ・
今までにないとんでもないことを中国共産党は行っている
      ・
かつての毛沢東政権を見てもわかるが、今までも中国共産党は虐殺を行ってきた
      ・
かくして1億円の資産を持つ国民が1億人、年収15万円の国民が6億人という格差を持つのが中国である
      

      ・
ベトナム(共産党独裁国家)は中国を2000年間敵視していたが、
        
現在では中国が強大化しすぎて脅威に思っているが不服従。
      ・
南沙諸島などでは強く抗議しているが、基本的には中国が内部から崩れるのを待つ。
      ・
ベトナムが中国の支配下になったのは2200年前の漢の武帝の頃というから司馬遷の頃である。
      ・
紀元後50年頃にベトナムは中国に対して反旗を翻した。
      ・
これらは鎮圧されるが、やがて1000年頃に独立する。
      ・
1280年頃、元寇が攻めてきてそれに勝利したという歴史に対してベトナムは誇りを持っている。
      ・
次に攻めてきたのは明の永楽帝1400年の頃、再び植民地になるが再度独立。
      ・
清が攻めてきたときにはグエンフエン将軍が撃退をしている。
      ・

      ・沖縄独立を煽る情報工作アカウントがばれた

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      ・ロシアとの共同開発没 Byウクライナ戦争
      ・

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【中国-7-2】 20世紀・近代中国史 中華民国 By蒋介石@1925~1945

2020年12月02日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

【1925年 孫文死亡】
      ・後継者は汪兆銘

【1926年 日中戦争始まる】 
      ・孫文の遺言 
北伐開始By蒋介石
      

【1927年 上海クーデター】
      ・
国民革命軍の指導者・蒋介石は反共クーデターを起こした@上海
      ・
市内では労働者や共産党員が多数殺害
      ・
アメリカ(指揮はバトラー将軍)等の列強諸国が軍隊を送りこんだ
      ・
これによって国民党と共産党(頂点は毛沢東)は決裂した。
      

【1927年 蒋介石は新国民政府設立】
      ・国民政府は分裂
        汪兆銘の武漢国民政府
        蒋介石に南京国民政府
      ・国共内戦が始まる

【1928年 蒋介石は北京に入城】
      ・北伐継続
      ・北京政府(軍閥)を打倒

【1928年 張作霖爆殺事件】
      ・
関東軍は満蒙領有の障害となった張作霖を革命軍の仕業に見せかけて殺害した

【1929年 中原大戦】
      ・不満の軍閥は反蒋介石連合結成
      ・反蔣介石連合と蒋介石が戦い、蒋介石勝利

      ・蒋介石は工業化を推進
      

【1929年 世界
恐慌】
      ・
アメリカ株価暴落-アメリカ不況-他国も不況
      ・
アメリカに大量の生糸を輸出していた日本も不況
      ・蒋介石の工業化も頓挫

【1931年 中村大尉事件 6月】 
      ・抗日運動激化
      ・関東軍や在満州邦人への反発激化
      ・関東軍は満州への侵攻を決め、軍結集させていた

      ・陸軍参謀中村大尉は軍用地調査中に銃殺・遺体放棄

        犯行は張学良1901-2001の屯墾軍
      
【1931年 朝鮮排華事件 7月】
      ・この頃朝鮮人による華僑の数が7万人まで増加
 
      ・中国人と朝鮮人のいざこがが激化

      ・朝鮮人による中華街襲撃事件
      ・それに係る中国人殺傷事件
       
【1931年 柳条湖事件 9月】
      ・満洲事変の発端となる鉄道爆破事件  
      ・首謀者は、関東軍高級参謀板垣征四郎大佐1885-1948と関東軍作戦主任参謀石原莞爾中佐1889-1949

【1932-18:第一次上海事変】
      
【1932年 満州建国】
      ・
満州建国(@3月 中国から独立した形式) By 日本人官僚 
      ・皇帝は愛新覚羅1906-1967溥儀

      ・
資源は日本へ輸出:満州大豆(品種改良By三井)   ┓
      ・軍需資源供給地                 ┃

      ・対ソ戦に備える(防波堤):ソ連との熾烈な情報戦 ┣満州大繁栄 人口4000万人@1940 
      ・鉄道整備                    ┃鉄道事故、犯罪多発
      ・重工業建設                   ┛  
      
      ・リットン報告書10月
      
      ・南満州鉄道@1905年創設(ロシアから移譲@日露戦争)
        ソ連保有の中東鉄道を買収@1935して大陸進出を目論む
        ソ連の鉄道社員は黒龍江省ハルビン(シベリア横断鉄道の支線建設で繁栄した都市)を去る
        しかしロシア系住民は7万人居る
        買収した中東鉄道の社員として雇ったソ連人にはスパイが居た
          →輸送物資に識別をつけることで日本軍の数、物資種類を把握して報告する任務
           関東軍の特務機関もハルビンのソ連総領事館にスパイを送る(元陸軍参謀本部ロシア班長談)@1938

【1933年 日本は国連脱退】
      ・国連総会で日本軍の中国撤退が示された
      ・国連脱退By松岡洋右

【1934年 長征開始】1936迄
      ・国民党軍に敗れた共産党軍が中華ソ連軍の本拠地を捨てて大移動
      ・12000km移動で8万人のうち7万人が死亡
      ・延安着@1936
      ・毛沢東は軍事指導者----この様子をジャーナリスト・スノー氏が世界に発表

【1935年 遵義会議】
      ・紅軍による中国共産党中央政治局拡大会議
      ・毛沢東が常務委員
      ・
八・一宣言
        
抗日救国の為に全同胞に告げる書
        日本に対する敵対宣言

      
 

【1936年 西安事件@長安】
      ・
張学良は周恩来と同盟 宋美齢をけん制
      ・
張学良(日本に爆破された張作琳の子)と楊虎城が蒋介石を軟禁
      ・
これにより日中戦争に突入
      ・
蒋介石を開放し→第二次国共合作

 

【1937年】 以下が支那事変(事変:宣戦布告なしで行われた武力行為)の数々

     

【1937-07-29:通州虐殺事件】
      ・
中国保安隊が日本の通州守備隊、日本人居留民を猟奇的虐殺 
      ・この虐殺事件の写真が南京大虐殺に使用された 
      ・中国国民党の背後には米の応援あり 
      ・  

【1937-08-09:大山中尉惨殺事件】

【1937-8-13:第二次上海事変】
      ・上海の日本人3.6万人の海軍陸戦隊4000 VS 国民党軍50000
 

【1939年 5月ノモンハン事件】
      ・モンゴル軍警備隊に対して不法越境しているとして満州国軍警備隊が攻撃

      ・関東軍VSソ連軍
      ・ハルビン領事館に潜入させていたスパイから「ソ連軍は補給困難に陥っている」との誤情報
      ・関東軍総攻撃で壊滅的損害(情報は二重スパイによるものだった)

【1940年 英米ソから中国へ支援 日本への経済制裁】
      ・
満州国の返還
      ・
日本軍撤退
      ・
満州との貿易自由化 
      ・日本は
満州への莫大な投資(人、物、金)をあきらめきれずに太平洋戦争に突入

【1941年 大東亜戦争】
      ・1941-06 ドイツがソ連に侵攻
             満州の関東軍は絶好のチャンスと捉えて北進か?
             ソ連は兵力保持を偽装?:列車による兵力西欧輸送を関東軍は見抜けず?→嘘
             日本は南進を選択   :スパイ・ゾルゲによってスターリンに送られた→ソ連精鋭が独を叩いた

      ・1941-12 真珠湾攻撃
      ・1942-06 ミッドウェー海戦
      ・1942-08 ガダルカナル戦
      ・1945-8-8 ソ連が宣戦布告:日ソ不可侵条約無視 兵力150万
             満州国開拓民は置き去り:24万人が死亡 

【1945年 日本敗戦】 
      ・
1945年日本敗戦により中国は戦勝国となる
      ・日本軍降伏式典@北京
 

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【中国-7-1】 20世紀・近代中国史 中華民国 By孫文@~1926

2020年12月02日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

【1905年 中国同盟会By孫文1866-1925】
      ・貧富の差がない漢民族の国をつくろうとして革命を起こすが失敗。
      ・「民族・民権・民生」失敗
      

【1905年 ポーツマス条約】
      ・日露戦争で日本が勝利、ポーツマス条約で朝鮮半島に於ける権益がロシアから日本へ移る
      ・樺太の南半分が日本に割譲
      ・東清鉄道・南満州支線(後の中東鉄道、シベリア鉄道や南満州鉄道と連結される)の租借権を獲得
      ・韓国総監督府設置:初代総監は伊藤博文1841-1909 
      ・朝鮮統治は李氏朝鮮
      ・伊藤博文暗殺@1909       
      
【1906年 南満州鉄道㈱設立公布】
      ・目的:満州植民地化 営利追及
      ・営業開始@1907-4
      ・初代社長:後藤新平1857-1929(台湾総督府民生長官でもあった)
      ・農作物支配
      ・炭鉱、製鉄、港湾、ホテル事業も実施
      ・満鉄王国にまで発展
      

【1910年 韓国併合】
      ・朝鮮総督府設置
      ・伊藤博文暗殺を受けて朝鮮監視を強化
      
【1911年 辛亥革命】
      ・清が鉄道を国有化することで鉄道所有者の軍閥による四川暴動(@四川省各地)が起きる
      ・孫文も武昌蜂起(1911-10-10)を行ったことで辛亥革命という独立の波が起きる
      
【1912年 中華民国成立】 
      ・1月孫文を総統とする臨時政府成立
      ・2月清皇帝は退位----一応・・・清滅亡し、中華民国誕生@南京
 
      ・清は、中華民国を抑えるために、袁世凱1859-1916(清の最強軍隊・軍閥の軍人)を総理として対立させる@北京
        
  南京:臨時大総統・孫文 VS 北京:内閣総理大臣・袁世凱 
      ・
孫文は臨時大総統の立場を袁世凱に譲る(清側から臨時政府側へ)

【1913年 孫文の国民党】 
      ・孫文が理事長の国民党が国会議員選挙で勝利
  
      ・宋教仁が国民党の総理となる

      ・
袁世凱は独裁を試み、宋教仁を暗殺。国民党弾圧開始
      ・
これを受けて孫文は第二革命を起こすが失敗し、日本へ逃げ帰って中華革命党を組織@1914する(~1916)
      ・孫文のスポンサーは梅屋庄吉

     

【1914年  第一次世界大戦】
     
  
【1915年 袁世凱の帝制運動】 
      ・
軍閥の反対(第三革命)により失敗  
      ・
日本は中華民国に対して対華21か条要求を突き付けた(対北京政府)
        
これは、満蒙における日本の権益問題や在華日本人の条約上の法益保護問題をめぐる21か条の要求
        
袁世凱は一部(日本人の政治・財政・警察顧問の招聘、日本の兵器受給などの要求)を暴露
        
国際社会の反発を煽って不成立にしようと画策
        
 日本側は13ヶ条に減らしたというもの
        
中国人からすると屈辱的な内容で、文学革命による儒教批判やマルクス主義による中国共産党機運が高まる。

【1916年 袁世凱は死亡】  
      ・段祺瑞が後継者  
      ・各地で地方軍人が政権を樹立:軍閥割拠  
      ・この頃孫文は宗慶齢1893-1981(浙江財閥:妹の宋美齢は蒋介石の妻)と結婚

【1917年 ロシア革命】1923迄 

【1918年 第一次世界大戦終結】

【1919年 五四運動 中国国民党設立】   
      ・反日運動が盛り上がる:モデルはポリシェビキ(レーニンが率いた左派)
 
      ・パリ講和条約で山東省権益がドイツから日本へ譲渡
      ・
パリ講和条約で対華21か条要求が取り消されない  
        
これをきっかけにといって日貨ボイコット、反軍閥が広まる。  
      ・中国青年の間で共産主義思想が拡大
   
      ・陳独秀や毛沢東もマルクス主義に接近
 
      ・
孫文の中華革命党は中国国民党に改名。  
        
【1921年 中国共産党設】----資金はモスクワ共産党
      ・これは非合法組織:マルクス主義
      ・
この頃列強諸国は上海に集まり租界という治外法権の地をつくっていた
      ・
上海は東洋のパリと呼ばれたほど  
        
【1922年 コミンテルン開催】
      ・
孫文・ヨッフェ共同声明@上海
      ・中国統一運動をソ連が援助するという声明

      ・中国国民党と共産党の連携布告

【1924年 第一次国共合作】
      ・軍閥に対抗するため黄埔軍官学校設立@校長が36歳の蒋介石 政治部主任には26歳の周恩来 
 
      ・国民革命軍(赤軍)を組織
        この革命軍の中にホーチミンが送りこんだベトナム人が居る

      ・中国革命家育成機関・モスクワ中山大学設立
      ・孫文は東洋の王道・平和を説き、日中友好を訴えた
      

【1925年 孫文死亡】
      ・後継者は汪兆銘

【1926年 日中戦争始まる】 
      ・孫文の遺言 
北伐開始By蒋介石

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【中国-6】 中国共産党から自由を奪われようとしている香港・台湾・ウイグル・チベット

2020年12月02日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

【第二次世界大戦後の中国・毛沢東が行った大量虐殺】    清政府(満州族)の末期、第二次世界大戦後、中国共産党と中国国民党が争った結果、腐敗していた国民党は共産党に敗れて台湾(日本は敗戦後、台湾から撤退していた)へ逃亡する。そこで作ったのが中華民国・台湾、 勝利した共産党が作ったのが中華人民共和国・中国である。中国の初代主席は毛沢東1893-1976。ソ連を真似て農業改革をしたが大失敗し(ソ連のスターリンも大失敗)、大躍進政策を打ち出した。これはイギリスをモデルとした製鉄事業であるが、農地に製鉄所をつくったところで充分な稼働はするはずもなく大失敗。これによって農業さえも出来なくなり、貧困化で5000万人が餓死したという。その後国民の反感をかって一時権力を譲った。かくして新政権の人気があがると、毛沢東は政権の腐敗(誰がやっても腐敗するのが中国政権で、本人は自覚している)を指摘して文化大革命(腐敗と称して博識者を次々と粛清、惨殺していった)を起こした。これを立て直したのは鄧小平1904-。改革開放と称して資本主義経済を推しながら一党独裁を行った。経済力はアップするが、貧富の差は拡大して不満も拡大した。かくして起こったのが天安門事件(学生、労働者の民主化運動を弾圧)である。その後、明の時代を取り戻そうと立ち上がったのが、一帯一路政策の習近平。

 

【第二次世界大戦後の中国・蒋介石の腐敗@台湾】    一方台湾では、日本に変わって蒋介石が統治し、中華民国の一部となった。今まで日本を追い出すために中国共産党と国民党は協力して(国共合作)していたが、日本が居なくなると両者の戦争は再び始まった。1948年に内戦に負けた蒋介石・国民党軍は台湾に逃げてきた。当時の国民党は腐敗し(統制がとれていた共産党に対して)負けたと言われていたが、実はそれがすべてではなさそうだ。中国共産党軍は合作時に、日本軍との戦いでは前線にでずに国民党軍に戦わせて体力を温存するということをしていた(毛沢東の指示でもあったようだ)ことも、国民党軍敗退の原因である。

 

【蒋介石率いる国民党による虐殺事件・228事件 1947年2月】    また、満州に残して引き揚げた日本軍の武器がそのまま中国共産党に渡り、国民党との内戦を有利に進めることができたという側面もある。こうしてかなりの打撃を受けていた国民党軍が台湾に侵入したとき、台湾人は驚いたという。その統率はまったくとれていなかったからである。その後国民党は台湾国民の財産を略奪したため、台湾国民の不満は一気に高まり暴動が起きた(228事件:闇たばこ売りの女性が国民党から暴行を受けて翌日死亡したことが発端)。この後、反抗する人たち、特に文化人、経済人など今後の台湾を発展させていくであろう人々約28000人~35000人が粛清(耳削ぎ、鼻削ぎ等々)されたという。日本総督府が置かれた時代には台湾人の教育が行き届き、識字率もアップしていたが、大陸からやってきた蒋介石率いる国民党軍はろくに字も読めないありさまであったという。この228事件は以降タブー視され、台湾政府がこの事件を公式に認めたのは1995年である。

 

【中華人民共和国成立 1949/10/1】    中国本土・天安門広場では毛沢東が中華人民共和国の成立を宣言(国慶節)し、ソ連は承認、アメリカは保留した。これによって家族も含めて中国国民党のすべてが台湾に逃げ込んだのは1949/12月、その数は200万人に及んだ(国民党による一党独裁)。朝鮮戦争1950-1953(この時蒋介石は米に見捨てられたが・・)以降の1954年には米華相互防衛条約を結び、米は極東の共産化防衛を図るべく蒋介石を利用し、国連の代表権を中国から台湾に替えた。台北にある故宮博物院には、この時に大陸から運んだ70万点の美術品が持ち込まれて、世界4大博物館(ルーブル、メトロポリタン、エルミタージュ)のひとつとなっている。

蒋介石はアメリカ支援の下に兵を立て直して大陸に戻る予定であった(反抗大陸解救大陸同胞がスローガン)が、蒋介石の夢はかなわず、1975年に台湾で死亡した。それはベトナム戦争終結1970年に於いて、中国との関係改善を図ることでベトナム撤退を行った。かくして中国は再び国連の常任理事国となった(要するに台湾追放)。1980年には米中国交改善がなされて米華相互防衛条約は失効する。蒋介石の後を継いだのが息子の蒋経国。しかし1988年に突然死したことでNo.2だった李登輝が国民党の総裁となる。この人は本省人であり民主化が推進されていくことになる。

 

 

【李登輝による台湾民主化】    1971年に国連は中華人民共和国を承認、台湾を追放することとなる。当時の日本は1972年に中国と国交回復して台湾を見捨てることとなる。やがて、台湾内での国民党・蒋介石の子・蔣経国に変わって登場したのが台湾出身の李登輝総統1988年(京大農学部出身)。民進党との二大政党制を敷いて民主化を推進した。1996年以降中華民国の総統は住民直接選挙でえらばれる形となる。2000年には民進党の陳水扁が勝利して8年間務めた。その後 国民党・馬英九総統(三通政策:中国との親密化でパンダが贈られた)、そして民進党から出てきたのが次の蔡英文1956-である。今では大いに民主化を進めていることで大変な人気であるが、実は蔡英文、中国共産党に有利な政策を行っているともささやかれている。

 

【中国共産党による台湾圧迫@現在】    尖閣諸島での中国による国際法違反行動に対して、実効的な対策を官房長官ははかるべきで、自民党外交部会は台湾政策を検討するプロジェクトチーム(PT)を立ち上げた。中国による台湾への圧力が強まる中、重点政策を集中的に議論して4月末までに中間提言を目指す。佐藤正久座長は「党が一つの方向性で一段高みの外交をやっていく時期にきた」と主張した。山下貴司事務局長は安定的なインド太平洋地域のためにも台湾問題は避けて通れないというのが各国共通の思いであると発言。尚、中国は「海警法」を改正、尖閣周辺での武器使用を可能とした。これは全人代常務委員会で可決され、2021/2/1から施行される。

 

【中国共産党による新疆ウイグル地区への虐殺】    次に中国共産党に反旗を翻しているのが、新疆ウイグル地区である。彼らはトルコ系イスラム。6-8世紀頃遊牧騎馬民族・突厥が住んでいた地区から独立してウイグルを形成し、西へ移動してトルコを作った民族でもあった。つまり中国とは何ら共通性のない彼らが、中国共産党から監視され、行動制限を受けている。1933年、今の新疆ウイグル地区の西部に第一次東トルキスタン共和国が独立し、1944年には北部に第二次東トルキスタン共和国が独立した。しかしソ連・スターリン、中国によって1949年に占拠され滅ぼされた。そして1955年に現在の新疆ウイグル自治区となった。こうした経緯があるので、新疆ウイグル地区は何度も反乱を起こしている。そして中国・習近平はイスラムの反乱分子(イスラム教徒ということだけの可能性もある)を強制収容所に入れているのである。これは世界国際社会から批判を受けており、アメリカのポンペオ国務長官は国際法上の犯罪となるジェノサイド認定(ウイグル族虐殺)をしている。

ところが日本はというと、ジェノサイド認定はせず、さほどニュースにもならないし認知度が極めて低い。国会議員709名への「ウイグル問題はジェノサイドと思うか?」という水島総氏によるアンケートの結果は、①思うと回答78名(11%) ②わからないと回答70名(10%) ③無回答561名(79%)だったという(2021-5-12アンケート結果)。国会議員でさえこの意識の低さですから、日本の将来は危うい。日本の政界は中国に対してはっきりとものが言えない、つまり中国に支配されていると言ってよい。

加藤官房長官による記者会見では「承知している。懸念を以って注視する・・・2021/2/5」と具体的には論評しない・・・であるからなんと自国としての意見の無いこと!!今や経済大国となった中国の横暴に反論もできない国に落ちぶれたようだ。実は日本にウイグル人が数千人居る。そして彼らの家族が中国から迫害を受けているのである。また日本に留学に来ているウイグル人は中国大使館からの圧力でパスポートの更新をしてもらえず、帰らなければならない(帰れば収容所行き、帰らずに難民申請をしても生活保障ができない)という状況になっているらしい。今やっと自民ウイグル議連に立憲民主党や公明党が党を越えて参画しようとしているので応援したい。実は、この問題について英BBC放送が報じたのに対して中国は国内報道禁止、2021/2にYAHOOニュースが取り上げたものの再びこれを削除した。ここで問題なのは何故中国はYAHOOニュースの削除に対して権限を持っているのかです。要すればYAHOO→ソフトバンク→アリババと言う風に株主を辿ることができるという蜜月ぶり。

新疆ウイグル地区の新疆綿は品質が良いことはしられているが、中国共産党は約60万人のウイグル人に強制労働させている。そこでつくられた綿製品はナイキ、アディダス、ユニクロ、無印良品などが輸入していることから、これらブランドに対する世界からの圧力は高まっている。

 

【日中の経済貿易状態】    現在の日本は中国に対して世界第二位の対貿易国となっている。2018年度の日中貿易総額は3600億ドル。日本から中国への輸出は1800億ドル。つまり中国は日本にとって最大の貿易相手国なのである。また実質GDPがこの20年間で15%減の日本に対して、中国の実質DGPは20年間で15倍にも成長している。つまり日本は中国に対して強い態度では出ることができないのである。

例えば新疆綿、これは新疆ウイグル地区で生産される綿花のことで中国に於ける生産量の90-95%を占めている。(新疆ウイグル地区で強制労働が行われている)従ってアパレルメーカーは新疆綿を使わずに経営することは極めて難しいというが、一部スウエーデンやパタゴニアのアパレルメーカなどは新疆綿の取り扱いは停止すると発表。日本の某アパレルメーカーはノーコメント。このような理由で国会でも取り上げられることがほとんどないジェノサイド問題であるが、果たしてそれでいいのか?今問われている。

 

【世界ジェノサイド・ランキング】    習近平はポルポトを抜いているという。其のランキングを紹介すると、1位:中国・毛沢東-6000万人、2位:ベルギー・レオポルト2世-2000万人、3位:ソ連・スターリン-2000万人、4位:ドイツ・ヒトラー-1100万人、5位:中国・習近平-300万人、6位:カンボジア・ポルポト-300万人。

 

【中国共産党によるチベット地区弾圧】     
  ・チベット地区の総人口は330万人、チベット族93%、漢民族6%、中国には受け入れられない宗教性がある。それがチベット仏教である。
  ・1949年の中華人民共和国建国の翌年、
    中国共産党・江沢民(国際逮捕状が出た:普遍的管轄権)は、チベットに軍事侵攻しさまざまな人権蹂躙を行ってきた。
    このように70年に及んでチベットは迫害を受けている。
  ・漢民族との結婚強要、チベット男性の避妊強要を通じて漢民族の子孫を残そうとする政策がある。
  ・チベット語の教育は許されず、仕事にもつくことができず、今まで120万人以上ものチベット人が殺害されているという。かくしてヒマラヤ山脈を越えてまで亡命しようとするするチベット人が後をたたない。
  ・インドのダラムサラにはチベット亡命政府が設置され6000人のチベット亡命者が暮らしている。

  
  ・因みにチベット仏教では
    ダライラマは輪廻転生、死んでもどこかに生まれ変わると信じられている。
    その生まれ変わり(次のダライラマ)を決めるのはパンチェンラマで、
    逆にパンチェンラマの生まれ変わりを決めるのはダライラマなのである。
  ・現在パンチェンラマ11世は中国共産党に捕まり、中国共産党はパンチェンラマ11世を共産党内からチベットに送りこんでいる。
    つまりパンチェンラマ11世が二人居る。
    もしもダライラマ14世(現在85才)が亡くなった後、15世を選ぶのは中国共産党のパンチェンラマであるから、
    これはチベットが完全に中国共産党に支配されることを意味する。
    従って両者に争いが絶えない状況となっている。チベットの要求は「高度な自治を認める事」


  ・2008年5月6日、第4代中国胡錦涛国家主席1942-が非公式に訪日した時の首相は福田康夫1936-。
    夕食会を催したのは日比谷の松本楼という孫文ゆかりの店であったが、
    当日チベット虐殺反対デモがあって護衛体制は大変であったという。
    しかし終始胡錦涛主席の表情は温和で、現在の習近平主席(第5代2012-)とは大違いである。
  ・2001年頃小泉純一郎首相のときには靖国参拝問題
    (毎年繰り返して中国を刺激 : 当時の官房長官が福田康夫氏)で中国と対立したが、
    安倍晋三内閣になると中国訪問を行い関係は改善されたあとを引き継いだことによる。
    一方、経済的にも中国は大躍進(GDPの異常な伸び)の最中であり、友好を深めていく必要が大いにあった。
    当時、中国にはチベット問題だけではなく、毒入ギョーザ殺人事件、などがあるものの、
    結果を出すためには日本側から中国を信用することが大事だという(福田康夫談@NHK)。

    チベット文明圏

     

【中国共産党による香港弾圧】    

1840  アヘン戦争(英-清-印)の結果、香港島は割譲されて英の領土となった

1898  香港租借99年間     
     ┣英の統治下となる : 資本主義で繁栄     
     ┃  ┣香港島     
     ┃  ┣ランタオ島 : ポルトガル到来@16世紀---明朝に反撃されて西へ逃避:マカオ      
     ┃              ┣海賊退治--居住権   
     ┃              ┣1887 ポルトガルに割譲     
     ┃              ┣カジノ--植民地時代に繁栄   
     ┃              ┣    売上世界一だったが近年不況---習近平による汚職取締           
     ┃              ┣WW2 後独立戦争   
     ┃              ┣1974 カーネーション革命        
     ┃              ┣1987 中-ポ協定   
     ┃              ┣1999 ポルトガルから中国にマカオ返還           
     ┃  ┗九龍半島一帯 九龍城塞 200x130m   
     ┃           ┣国共内戦下で難民が    
     ┃           ┣文化大革命で難民が    
     ┃           ┣大躍進政策で難民が     
     ┃           ┣無法地帯 迷宮  
     ┃           ┣上下水道未整備--悪臭         
     ┃           ┣増築工事   
     ┃           ┣最大5万人      
     ┃           ┣1993取り壊し---   
     ┃           ┣現在は九龍斉城公園         
     ┃           ┣   
     ┃           ┣       
     ┣人口750万 --- 超人口過密     
     ┣コウリュウ、シンセン     
     ┣BATHのうちTHの本社がある      
     ┣香木が行きかう港    
     ┣1980 会談:予定通り返還     
     ┃       一国二制度 --- 50年間は資本主義     
     ┃       天安門事件@1989      
     ┃       香港は中国に不信感     
     ┃       香港人は海外へ移住(ブーム)    
     ┣1990 香港基本法     
     ┣1997 返還     
     ┃    ┣ねじれ構造      
     ┃    ┣社会経済体制 ---英     
     ┃    ┣法体系    ---英 
     ┃    ┣通貨     ---独自 
     ┃    ┣パスポート  ---独自      
     ┃    ┣対外的参加  ---独自     
     ┃    ┣外交権    ---中国    
     ┃    ┣軍事権    ---中国     
     ┃    ┗行政選挙   ---欠陥民主主義      
     ┃      ┣市民には選挙権無し     
     ┃      ┣選挙委員が投票---中国共産党が過半数      
     ┃      ┗2017 市民による直接選挙    
     ┗民主化運動      立候補者は全員中国共産党     
       ┣2014 雨傘運動---催涙ガス対策の傘:ひまわり運動@台湾が引き金     
       ┃         香港政府は鎮圧     
       ┣2015 書店員拉致監禁事件     
       ┣2019 逃亡犯条例改正案撤回デモ     
       ┗2020 香港国家安全維持法可決@中国

 

1997  香港返還となる。

    イギリス統治の間に発展した香港 
     ・国民総所得GNIは170万円@2019年 香港は650万円 
     ・香港は中国への返還を望まず、一国二制度となった。 
     ・経済、言論の自由は50年間 認めるというもの 
     ・にもかかわらず600万人の内 富裕層60万人がアメリカ、カナダへ亡命 
     ・自由選挙は行われず、制限選挙  
     ・中国共産党の選挙管理人800人が香港長官を選ぶ 
     ・立候補は選挙管理人800人が選ぶ

2010  年頃から香港の自由が保障されなくなってきた。

2014  雨傘運動デモ 
     ・全員に投票権があるといいながら立候補は共産党員という問題 
     ・このデモは選挙委員会から求められず 
     ・2015年、共産党の批判書物を置いていた書店の人が失踪、言論の自由は無くなっていった 
     ・かくして香港人は今なお自由を得るために戦っているのである。 
     ・そして今台湾でも同様に自由を阻まれることが懸念されている。

    香港の若者が中国人が嫌いな理由 
     ・所かまわず子供にトイレをさせるなどマナーが悪い 
     ・嘘の愛国教育

 

【中国共産党によるモンゴル虐殺】     
  ・新疆ウイグル、チベットに続いてモンゴルに対する虐殺が行われているという 
  ・元々モンゴルはロシアからも弾圧された騎馬民族で、モンゴル人民共和国と言っていた 
  ・ソ連崩壊(1991/12)後の1992年以降は南北に分断されて北側はモンゴル国、南側は内モンゴル自治区 
    (モンゴル人は南モンゴルと言っている)と称して中国の支配下にある。 
  ・かくして新疆ウイグル自治区と同じように内モンゴル自治区も、中国共産党から虐殺を受けているという。 
  ・これには中国漢民族の昔からの恨みがあるようだ。 
   
  ・2200年以上も前の紀元前250年頃、当時中国を支配していたのは秦の始皇帝である。 
  ・そして万里の長城を延々6250kmに及んで建造したという。 
  ・これは秦を脅かす匈奴という騎馬民族からの脅威を防ぐためのものであった。 
  ・匈奴は頑丈な馬を自由に操り大ナタのような刀を振り下ろして襲い掛かってくる最強の民族であった。 
  ・やがて秦の時代が終わり、司馬遷が生きた武帝(漢王朝の第7代皇帝)になっても匈奴には脅かされ 
    、やっとのことで匈奴を追い払うことができた・・・と司馬遷の史記にはでてくるが、 
    鉄の技術、騎馬の技術を持つ匈奴を完全に制圧できたわけではない。 
  ・このように漢人にとって匈奴はどうしても許すことができない存在なのである。 
  ・そしてモンゴル民族という騎馬民族は匈奴の末裔、 
    したがって現在習近平は内モンゴルの騎馬民族を虐殺して根絶やしすることを考えている。 
  ・2000年前の昔はともかく現在では民族の虐殺は許すことができないし、見て見ぬふりをすることも国際法違反である。 
  ・しっかりしろよ日本。相撲でお馴染みのように、モンゴルは親日関係にあるから物資相互提供協定(ACSA)を結ぶなど考えてほしい。

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