【狗邪韓国は3世紀中頃に朝鮮半島南部にあった国】 「韓伝」、「魏志倭人伝」 中国正史の『三国志』や『後漢書』に見え、『三国志』では狗邪韓国は「其(=倭国)の北岸の狗邪韓国」とある。『後漢書』では「倭の西北端の国」とする。
つまり、韓は南方では陸続きに倭と接すると述べている。また、「韓」の西岸に馬韓が、東岸の北部に辰韓、東岸の南部に弁辰(辰韓)があり、馬韓と弁辰が各々その南方で「倭と接する」と述べている。すなわち当時は狗邪韓国は倭だった。
【朝鮮半島の王朝・衛氏朝鮮】
・前漢時代に衛氏朝鮮が王朝を築くが前漢・武帝に滅ぼされ、以降中国の支配下。
・三国志時代は北部に高句麗、南部には弁韓(新羅が統一)、馬韓(百済が統一)、辰韓(新羅が併合)新羅は唐と同盟
を結んで統一するが、高麗(13世紀モンゴルにやられる)にやられる。
やがて李氏朝鮮(李成桂1335-1408 都は漢城)が1392年に統一して1897年まで続く。
・李氏朝鮮は満州系(女真族)
・新羅、百済は漢人系
・新羅の発祥は日本?
・百済の王族は満州系 :日本と交流(任那、加羅)---日本の古墳が多くある
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初代は李成桂、形明の科挙、朱子学を導入。4代世宗はハングルを導入。
朱子学
・11世紀 王安石が中華思想を体系化
・12世紀 朱熹が中華思想を確立(宋の時代)
弱体王朝の時代に選民思想が発達----攘夷思想に繋がる
・朝鮮が小中華思想として受け入れる
・19世紀 大院君1820-1898に衛生斥邪を提唱
┗高宗1852-1919
┣
閔妃1851-1895
・大院君を追放
・両班無課税
・大土地権益復活
・儒林復活(中国の出先機関)
・開国推進(外務大臣に開国派を起用)
・日朝修好条約@1876
【李氏朝鮮側の依頼で日本は統治】
・1910年の日韓併合から1945年の第二次世界大戦敗戦までの36年間、日本の統治は続いた。
・大韓帝国の皇帝・純宗(李氏朝鮮の王族1874-1926)は、1905年に日韓併合をどのように望んできたのかについて記載する。
大韓帝国の開国派の政治団体「一進会」は、「韓日合邦を要求する声明書」を1909年に出した。
相手は、大韓帝国の李氏朝鮮皇帝、及び大日本帝国天皇陛下に対してである。
内容は、「朝鮮人も日本人と同じ一等国民の待遇を享受して、政府と社会を発展させたい」というもの。
また、「日本は日清戦争・日露戦争で莫大な費用と多数の人命を費やし、韓国を独立させてくれた」
とも述べており、当時の朝鮮では、無為無策の朝鮮王朝を見限って、日本に朝鮮の統治を託そうとした親日保守派が少なからずいた。
【大韓帝国皇帝勅諭】
・皇帝は日本の統治を信用している。
・天皇に任せておけば大韓民国国民は優れた文明に感化されて降伏になるだろう
【韓国併合条約】
・これに対し、韓国統監・伊藤博文は日韓併合には反対であった。朝鮮人の反発を買うと懸念したからである。
また、当時の朝鮮を併合したところで、日本には何の利益もなかったからである。
この状況の中で、伊藤博文は1909年満州・ハルビン駅で朝鮮の安重根に拳銃で撃たれた。
・伊藤の暗殺により、日本の世論は朝鮮併合へ傾き、朝鮮・李完用首相も併合を要請したというが、
日本の世論が朝鮮併合へ傾いたというのが理解できない。
朝鮮の民族主義者からすれば、首相は売国奴なのである。
かくして1910年に民族主義者からの反感を受けつつ、韓国併合条約が調印された。
このような経緯があるため、韓国に於ける民族主義者の反日教育は今も尚続いているのである。
李完用
・日韓併合の立役者 ⇔ 高宗(身分制度王朝に固執)
・日本びいき
・韓国の近代化
・韓国人は李を売国奴という:自国で独立できた・・・
【日本総督府による韓国の発展】 問題多き併合ではあったが、日本は韓国に対して鉄道建設(5000km以上)、学校建設(5100校)を筆頭に、病院、美術館、ダムなどを建設することで、インフラ整備、教育などに貢献している。これらは大航海時代に、スペイン、ポルトガルなどが行った統治(アメリカ大陸、東南アジアの原住民を虐殺し、植民地化することで、現地資源を獲得して莫大な利益を得た)とは全く違う。韓国に於ける民族主義者にとっては、中身はともあれ自分自身で復興できずに人の手を借りたことが許せない。
【アメリカ連合軍軍政下】 1945年、第二次世界大戦で日本が負けたことで、35年間の日本の努力、投資のすべては水の泡となった。大韓帝国は新しくアメリカ連合軍軍政下に置かれると、元の政権・日本を攻めるようになり、反日教育が行われてきた。しかし現在では韓国の中には、韓国国内での教育が誤りであったと主張する若者が現れているが、国家によって弾圧を受けている。
【反日運動】 かくして元慰安婦問題(韓国が言い出したのは1990年代)が日韓国交正常化1965年(1800億円もの経済協力金供与:当時の韓国国家予算の3倍にて日韓請求権協定妥結)も終わっているにもかかわらず、巻き起こる。日韓合意は違法であるという判決を現在に渡って下す韓国裁判所。ではあるが、個々の韓国国民は概して親日的(日本人が大好き)で、日本への観光客も極めて多いから不思議。そもそも反日運動は戦後すぐに韓国で行われた。民族主義者の多くは、李氏朝鮮時代の身分制度(両班ヤンバン/りょうはん、中人、常民、奴婢、白丁)に於いて、階級が上位の両班である。彼らは常民、奴婢などを奴隷同然に支配していた独裁者である。従って日韓併合によって韓国全体が豊かになることは不都合なことであった。
敗戦により日本が撤退した後、韓国の大統領になった李承晩は両班の人間であるから、日本の統治時代の実績は邪魔なのである。日本の統治のほうが良かったということでは李承晩政権の支持が危うくなる。かくして日本は韓国の近代化により国民を救ったにもかかわらず、「侵略して虐殺を繰り返した」という歴史にすり替えが行われ、反日教育が国策として行われたのである。尚、韓国の作家であり教育家のキム・ワンソプ氏は『親日派のための弁明』を発行し、日本の朝鮮統治について肯定的な見解を述べている。当初は韓国で販売されたが、やがて有害とされて逮捕された。
【次の問題は竹島の領土問題】 事の起こりは1952年の日本漁民が拿捕されたもの。国境を越えたというものだが、この国教は当時の李承晩初代大統領1875-1965が1952年1月に突如設定したものであり、国交回復の1965年までに327隻の漁船がを拿捕、3911人の漁師を拘束し、8人を死亡させている。では何故1952年なのか。この年朝鮮戦争は膠着状態、李は北朝鮮に徹底抗戦を主張するがアメリカは無視。かくして李はスパイ狩りと称して自国民を大量虐殺したことで政権の権威は地に落ちた。挽回をはかろうとした李承晩大統領は、アメリカ軍の占領下にあった竹島を韓国領土とする李ライン宣言をして、国内世論を有利に誘導しようとした。しかしサンフランシスコ講和条約で挑戦を放棄した中には竹島は含まれておらず、李はアメリカに抗議をするも受け入れられなかった経緯がある。しかし李承晩にとってそんな経緯はどうでもいいことなのである。
竹島を巡る歴史
第17代李明博大統領1941-は、竹島に上陸し(2012/8)実効支配する。現在では数万人が竹島の住民票を持っているというが、岩礁で成り立つ島であり、人が居住できるような島ではない。現在李明博は収賄の罪で12億の罰金、17年の実刑判決を受けた。おそらく生きて刑務所からはでられないであろう。韓国の歴代大統領が哀れな末路を辿るのは、李明博だけではない。尚2021/2/25現在、竹島には韓国観光客が数多く上陸している。自衛隊の動きによっては戦争も有り得る、との見解があるのが韓国である。