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あしたはどこへ・・・

後期高齢者だが 元気に豊かな気持ちで歩き続けたい・・

戦後開拓のお母さん・・

2023-09-30 09:45:21 | 日記
 2回に亘って満州や樺太からの引揚者の北海道開拓入植を投稿したが
 不毛の地を開拓する事は非常に苦労が多く厳しい寒さとの戦いでもあった。
 特にお母さんたちの苦労は 農作業は元より炊事・洗濯・子育てなどなどで
言葉には言い表せない苦労が多かったようだ。

 開発開拓の故恩田モトさん「我が道」と云う「詩」を紹介するが
「人生の並木道」の曲にあわせて唄いながら ご近所のお母さんと一緒に頑張った
そうだ。
 1)泣くな母さん 泣かない私 泣けば幼い我が子を連れて
   荒野に来た 甲斐が無い・・
 2)生きて行こうよ ひとすじに 努力真実行く道に
   いつかは花咲く 春が来る・・
 
 現在の我がマチの農村には戦後開拓の苦労を知るのは それぞれの地域にある
「開拓記念碑」だけだ。

 稲刈りも終わり 来年の秋まき小麦の播種作業が始まる。その後大豆の収穫が
済めば今年の大きな農作業がほぼ終わるのです。

       

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4 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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 (I)
2023-09-30 17:49:31
戦後は、物不足で麦飯を食べた記憶があります。政策は、産めよ増やせよ的な政策でしたから当然子供たちも多く、その分お母さんたちの苦労は大変だったと思います。引き揚げの私どもも、子供は4人でしたが炭鉱の坑内員とことなり丘の仕事だったので給料も安く母は縫物仕事で早朝3時まで縫物をしていた姿を思い出します。親孝行も満足にできない中で、孫を見ることもなく癌で亡くなりました。
返信する
人生の並木道 (大連三世)
2023-09-30 19:09:57
生まれる前のうたですが子供のころよく聞いたのでしょね。
今も時折カラオケで歌ってます。
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苦労 (spa)
2023-09-30 19:21:21
開発開拓は、本当に大変だったでしょうね。それに
単に開拓するのではなく、寒さとの戦いやら、その他
さまざまな不利な条件があったようで、テレビやら
映画やら、人の話やらで、いろいろと見聞きして
きました。
我が家は開拓では無かったのですが、親たちは今の
この土地を開墾し、家を建て父が勤めに行く傍ら
母が働きすぎて目を悪くしたりして、電気も引かれて
いずに大変だったことを覚えています。私が小学
一年生の冬の時が始まりでした。
返信する
知らないことです。 (西やん)
2023-10-01 00:05:43
私の育った周辺では、開拓という話はなかったです。
引き揚げてきた人たちの話は聞いたし、見ました。
町営の6畳の6軒長屋に住んでいる人が多かったです。
今の繁栄、もっと考えたいです。
返信する

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