釣れづれNickey

時々行く釣りや身近な出来事などのレポートです。つれづれなるままに、心にうつりゆくよしなし事を・・・。

またまた地震雲

2005年04月24日 | Weblog
今日は4月24日です。

昼前に近くの中華料理屋さんで食事をしていると
グラリ
今のは震度1か2位やねえ!
とか思いながら食事後外に出てみると
飛行機雲かなあ?と思ったのですが、
3本平行に走っていてこれは、飛行機雲やないやろ
ということで地震雲と判定。

確かにちょうど飛行機が飛んでいて飛行機雲も頭の上にありました。
全部でこんな雲が5本あって
2本は飛行機雲やろうと勝手に判断しております。

昨日知人から魚がはねていて犬の様子もおかしいから
今晩か明日早朝地震があるかもとかいうもんで
一応備えてはおりました。

が、大きいのは来ませんでしたね。よかったよかった。

5月18日が危ないとかいう情報もひそかに届いていますが、
これはわからない。

しかし極秘に仕入れた情報によると
もう一度大きい地震が来る確率は高いようです。

大きい地震では、タンスとか倒れてきて
怪我をする人が多いということです。
つっかえ棒などして備えておいた方がいいかもしれませんね。

アーコワ


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地震雲

2005年04月21日 | Weblog
震度5強の地震が襲ってきました。
今度は朝早くのことでした。

4月20日お昼頃に出ていた地震雲です。多分地震雲だと思いますが
違っていたらごめんなさい。

3月20日に第一回目の地震が襲ってきてから、
ちょうど一ヶ月目のことでした。
すぐにおさまりましたが、震度3、4の余震とは
明らかに違う振動でした。

二、三分今回の地震が続いていたら、大変な被害がでていたことでしょう。
すぐにおさまってよかったよかった。

何せ私はシャワーを浴びてちょうど出ようとしていたところだったので
風呂場がつぶれて下敷きになっていたなら、恥ずかしい姿で発見される
所でしたよ。よかったよかった。

ということで、地震の震源地がだんだんと福岡市内に近づいて
来ています。近くには警固(けご)断層というのがあって、今回の地震に
影響されて、活動が活発になって、大地震が発生というのも
可能性も0%ではないようです。

地震、雷、火事、オヤジという言葉がありますが、今回身をもって
地震が一番恐ろしいと感じましたが、皆さんはいかがだったでしょうか?

無事でよかったよかった。

おわり。


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清正公の銅像前の白いサクラ

2005年04月18日 | Weblog
熊本城への登り口の加藤清正公の銅像前のサクラです。
真っ白で見事なサクラでした。

清正公は熊本城を築城した人物ですが、今熊本城は昔の姿を再現中
ということで、本丸を取り囲んだ建物の工事が行われていました。

スケールが大きいなあ!!
と思って帰って来ました。

熊本は、まだ市内にチンチン電車が通っていて先日乗ったのですが
ものすごくなつかしい匂いがしました。

熊本駅は熊本城からは離れたところにあり、
熊本城の周りは栄えた都会という感じですが
熊本駅の近くは閑散としています。

普通だと駅の周りが栄えているんですが?
面白い町ですね。

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第二西海橋

2005年04月17日 | Weblog
佐世保市と西海市をつなぐ新しい第二西海橋がつながりました。
といっても両岸から延びていた橋げたがついに合体したということで
実際通れるようになるのは来年の春のようです。

今ある西海橋はちょうど50年前に完成しています。
西日本新聞4月16日夕刊に記事と二つの西海橋が写った写真掲載されてます。
穏やかな海面です。ちょうど潮止まりだったんでしょうね。
(このブログの写真は前のを使ってます。今度行った時撮って来て入れかえます。)

そういえば西海橋といえば、自殺の名所。
先日行った時、橋の両側には自殺防止用の金網がついてました。

困るなあ、釣場で自殺とかされたら。
(釣り師にとっては観光名所ではないのです。釣場なのです。)

そういえば、福岡市の玄界島の港で昨年高校生が自殺したし、
その時、私が師と仰ぐH師匠がまさにその自殺者が沈んでいた
所で一晩釣っていたそうで、お昼刺身にしておいしいメバルを
食べたあと、ニュースで事件の報道があったそうです。
もちろん残りの魚は全部捨てたそうで、魚に罪はないのに悲しいことです。

もちろん私も師匠もそれ以来玄界島へは行っていません。
そんなとき、玄界島が地震の被害にあって悲しい事です。

橋と言えばこの西海橋の先に大島という島があって、その島へわたる
橋がものすごいです。
是非、行って見て下さい。
大島大橋といいます。橋の手前から見える大島の造船所もとてつもなく
大きいです。


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すずらん

2005年04月14日 | Weblog
こんな花を見るとほっとしますね。

やさしく、やさしく扱わないとすぐにでも壊れて
しまいそうな花です。

サボテン、アザミ、バラなど完全武装して
近づいたら刺すけんね!!

とでも言っているかのような植物もあれば

こんな、けなげな少し風が吹けば落ちてしまいそうな
守ってあげなくてはという気にさせる植物もあります。

春は花が咲き乱れる季節。
サクラが散り、次はツツジでしょうか?
縮こまっていた生命が今爆発的に大きくふくらみ
冷たい黒っぽい空気を押しのけいっきに桜色の風を
送り込み頭上を覆います。

先日行った熊本城のサクラ吹雪はすごかった。

暑くもなく寒くもなく今一番いい季節。

世界に一つだけの花たちは、それぞれの花を一生懸命
咲かしている。

という私は、歓送迎会シーズンでネオンの花の中を
ふわふわと蝶のように
舞っている。



自然の花たちのひたむきさとはだいぶ違うなあ。

(反省)


花言葉は、

幸福が戻ってくる・意識しない優しさ・純粋・デリカシー等

 スズランの伝説。

 セントレオナードの森の守護神セントレオナードが武者修業に出かけましたが、森の中で道に迷い途方にくれていたところ、闇の中から大きな毒蛇が襲いかかってきました。剣を抜いて、火をはく毒蛇と三日三晩の格闘の末、やっと大毒蛇を倒しましたが、セントレオナード自身も全身に多くの傷を受けました。鮮血が滴り落ちて緑の草を紅に染めたあとに、いつのまにか白くて香りを漂わせたすずらんが咲いていました。森のニンフが、若く清らかでたくましいセントレオナードの痛ましい姿に心を痛めて、この花をさかせたのだと言い伝えられています。


 アイヌの伝説。

 昔、北海道の漁村の室蘭に1艘の難破船が漂着しました。難破船の中には一人の美しい娘が倒れていました。村人達が娘を村に連れ帰って世話をすると、娘は間もなく元気になりました。娘は遠くの村の酋長の娘で、不義を働いたために海に流されたということでしたが、娘の気品のある美しさに村中の若者達が夢中になりました。そのため若者達に振り向いてもらえなくなった村中の娘達は相談して夜に娘を襲って殺し、死体を川に投げ捨てました。その時に娘の流した涙が落ちた所から気品のある純白の美しいスズランの花が咲き広がりました。


 アイヌの赤いスズランの伝説(函館市銭亀沢)。

 昔、銭亀沢の近くに住んでいたアイヌの酋長の娘のカパラペは、村の勇敢な若者キロロアンと恋仲になりました。冬も間近のある日、一人で山に熊狩りに出かけ、巨大な熊に出会いました。キロロアンの射た毒矢は熊の足を傷つけ、手負い熊は怒ってキロロアンに襲いかかりました。キロロアンは腰のマキリ(小刀)で応戦し、熊を倒しましたが、自分も脇腹に深手を負い、そのまま死んでしまいました。
 翌日、知らせを聞いて村人達と一緒に現場にやってきたカパラペはキロロアンの遺体にすがって泣き崩れました。それから、カパラペはキロロアンのマキリで自分の喉を刺し、恋人の遺体の上に重なるように倒れて死んでしまいました。
 その時、カパラペの血潮が四方に飛び去り、その辺りに咲いていたスズランの花を赤く染めました。それ以来、銭亀沢周辺には薄赤く染まったスズランの花が咲くようになりました。

 古い連続TVドラマに「赤い鈴蘭」(木下恵介監督)があり、その主題歌「赤い鈴蘭」(木下忠司作曲・西田佐知子歌)には以下のような歌詞があったそうです。

     赤い鈴蘭は咲く 北国の春の野に
     遠い昔 アイヌの乙女が恋人に捧げた命
     恋する乙女は、今もなお胸の中に 赤い赤い鈴蘭を咲かせる
     遠く離れたあの人に 命をかけた恋が 
     今も今もこの胸にあると 伝えてよ赤い鈴蘭

 実際には、赤いスズランはマンガン廃坑付近に多く見られるため、土壌成分が関係するものと考えられています。


 フランスでは「5月のミューゲ」、「森のミューゲ」と呼ばれ、香りの高いことを示します。
 イギリスでは「谷間のユリ」Lily of the Valleyと呼ばれます。旧約聖書の「雅歌」の「わたしはシャロンのバラ、谷のユリです」という詩句の「谷のユリ」が、ヨーロッパの北国ですずらんだと考えられて出来た名前だそうですが、「雅歌」の「谷のユリ」は実際には赤いユリだと考えられています。
 ドイツでは「5月の花」「5月の小さい鐘」と呼ばれ、鈴のような花が階段のように咲くので「天国への階段」という名前もあります。
 イギリスやフランスでは5月1日は「すずらんの日」です。すずらんは春が戻ってきた事をあらわす花で、フランスでは、すずらんの日にすずらんの花束を贈ると、受け取った人に幸福が訪れると言われています。結婚式に花嫁に贈られるのは、この花が幸福のシンボルになっているからです。


 すずらんの学名には「谷間のユリ」と「臆病な人」という意味があり、あまり広い地域に広がらないからだと言われています。

 和名は鈴蘭で、君影草ともいいますが、ドイツすずらんのような強い芳香はありません。

 そういえば、ミューゲというオーデコロン(カネボウ?)は、結構気に入ってました。香水はディオリシモが好きです。ネットでは香りを流せないので残念です。


 アイヌでは、鈴蘭の朱色の実は「狐の苺」と呼ばれていました。鈴蘭の実は粒が意外に大きくて美味しそうなのに食糧にならなかったからです。







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港が小さくなっていく

2005年04月03日 | Weblog
ずっーと向こうに、なんとなく見えるのが崎戸の町です。
もちろん進行方向は後ろです。この船はフェリーなので
船尾のところが今は上がっていますが、港に着くと下がって
車が出入りできるわけです。

車だけなら8台くらい載るのではないでしょうか。

崎戸から江島(えのしま)まで片道850円
約一時間の旅です。

ただし、気軽には行けないのです。
一日一便しかないのです。崎戸をたつのが14時40分頃の一便のみ
帰りは江島発が8時30分頃のが一便だけなのです。

ちょっと江島見物でもするかあというときには
テントがいりますね。

実は江島の港には伊勢エビがいるのです。
秋ぐらいに、岸壁についてるのをすくっていたひとがいました。

いまだと、でかいアラカブが釣れるはず。
テント持参で行ってみませんか?




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心の交流

2005年04月03日 | Weblog
船は崎戸(さきと)の桟橋からだんだんと離れていった。
少し寒い船上であったが、いつまでも港の方をながめていた。
港はすっかり見えなくなって、目の前には海が大きく広がり
江島(えのしま)へ向かって船は海の上をすべって行った。

途中船の乗組員が船体に絡まった紙テープを
面倒くさそうにほどいていた。
心と心を結んでいた暖かい紙テープも船の乗組員にとっては
ただのゴミであった。

そうこうしているうちに船は大立(おおだて)、小立(こだて)
の間を抜け江島に到着した。
着いたぞー。
1時間ほどして大きな船体は桟橋に横付けになった。

釣り道具を必死で船から降ろし、フーとため息をつき
ふと船と反対側に目をやると、“歓迎!ようこそ”と書いた
大きな紙を持って、江島の人たちが新しい先生を迎えていた。

気づくのが遅れ近くで写真を撮ることができなかった。
あれ?○○先生は次の平島(ひらしま)で降りるのではなかったか?
島の人達に迎えられた先生はダイエットをするほど
太った先生でもなかった。

この日は新しい学校に赴任する日で江島と平島に赴任する
先生が乗船されていたのである。
それにしても、なんという暖かい心と心の交流であろうか。

フェリーが港を出て行くと、同じ場所に小さな瀬渡し船が入ってきた。
初老の有田船長はにこやかに我々を迎え、船長おすすめの磯に渡してくれた。

有田船長の言葉はまるで外国語であり半分も聞き取れなかった。
磯に着くまで、操船する船長の横で話がわかっているかのようにうなずき続けていた。
Oh,my god!!

おわり。

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蛍の光

2005年04月02日 | Weblog
○○先生、平島でもがんばれ!
ダイエットもがんばってね。

横断幕にはそう書いてありました。
送る人たちと送られる人が紙テープでしっかりと
つながれ暖かい心の交流が行われていました。

ここは、崎戸町のフェリー発着所です。
先日江島(えのしま)へ釣りに行ったときに、
たまたま見かけた別れの場面です。

崎戸の小学校か中学校の先生が平島(ひらしま)という
江島のもう一つ先の島に転勤になるので
送別会が行われていたのです。

なんというほのぼのとした光景でしょう。
小さい町だからこういうコミュニケーションが
できるのでしょうね。

長崎では必ず離島の学校に何年か行かなければならない
きまりがあるのです。
私ならいつまでも離島にいたいです。

船の中では蛍の光が流れ別れのステージを盛りあげます。
いつまでも先生が手を振って別れを惜しんで
いる姿が印象的でした。

その横では、釣りの格好をした二人のおっさんが
船上外にある椅子の上でコーヒーを飲みながら
心温まる光景に都会の喧騒を忘れるのでありました。

おわり。

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真鯛63㎝釣ったよ!!

2005年04月01日 | Weblog
五島のそばの、江島(えのしま)から黒島に
瀬渡ししてもらって磯釣りに行って来ました。

今回はすごいですよ。
見て下さい。
真鯛63㎝です。
夜中2時頃粘った甲斐あってゲットできました。

その他クロ40㎝オーバー5枚
40㎝以下2枚
へ鯛40弱1枚
トウガ(?)穴子のおばけみたいなやつ1匹
でした。

外道として釣れたのは
バリ、イスズミ40オーバーそれぞれ1枚ずつです。
もちろん、リリースしましたよ。

釣り時間は定期船の関係で夕方4時から朝の7時半までです。
この辺りこれからは、イサキが釣れだします。
年度の締めくくりとして最高の釣りができました。

次の釣行は、ひと月くらい先になるかもしれません。
釣りの話題はしばらく休みかも・・・。

では、みなさんごきげんよう^^V。
コメント (2)
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