毎度のことながら、日本の代表的テレビ局が渦中であるため大手メディアは報じないが、今、ネット上では中東の独裁国家に吹き荒れた革命の嵐にも似た状況が日本のフジテレビを襲っている。
(発端)
高岡蒼甫なる若手人気俳優が「『8』はもう見ない」とフジテレビの韓流ドラマ偏重放送をツイートしたことに始まる。
この高岡なる俳優の発言は、いわば業界のタブーを破った行動(芸能人がテレビ局にモノ申す)であったため、騒ぎは当人の身の振り方に止まらず、女優である妻や所属事務所あげての大騒動となった。
騒ぎはそれだけに止まらず、人気タレントのナインティナイン岡村隆史や大物芸能人ビートたけしをも巻き込み、ついには8月21日、お台場のフジテレビへ5,000人規模の韓流抗議デモへと広がった。
高岡某は、日本のテレビ局であるフジテレビはなぜ、日本のドラマより韓国のドラマを優先させて放送するのかと批判したわけだ。この発言の真意は、単に日本人俳優として自らの出番が損なわれるという危機感から発したものかもしれない。
しかし問題の本質は、この発言を否定する形で飛び出した岡村の「TVはタダで見てるんだから、見たくないなら見なければいい」の言い分にある。
これにネット住人は大いに反発、3日間で約9000件の書き込みが殺到。そこに大御所ビートたけしまでが「(高岡)は、フジテレビの株を持ってるわけでもないでしょ。嫌なら見なけりゃいい」と岡村発言をフォローするような見解を披瀝。反発の炎は一挙に燃え盛り12時間ほどで1万件以上の書き込みが殺到した。
(民放テレビの視聴料はタダの怪)
ところで、この岡村の「民放テレビの視聴はタダ・・・」は本当か。
民放テレビは、「放送法」で視聴者からの受信料で経営するとされるNHKと違い、営利企業であり収益をあげる義務(株主などへ)を負っている。だからテレビ局は、商品である番組の引き合いが多い(高い視聴率が保証される)番組作りに精を出す。
そのためテレビ局は、商品の番組が日本の制作モノであろうが韓国モノであろうが、安い原価でより高い視聴率が期待できるモノのであればどこで制作しようが一向に構わない。
また番組がテレビ局の商品として売り物になるのは、制作映像を電波に乗せて視聴者のテレビ画面に届いた時点なので番組制作費用ばかりか電波使用料もコストになる。
そこでテレビ局は、この費用を回収すべくスポンサー(広告を出したい会社など)を見つけ出し(多くは広告代理店が仲介)、制作原価に人件費や諸費用を加え、儲け(利益)をからめてスポンサーに売る。
番組を購入したスポンサー企業は、番組で広告した自社の商品価格にテレビ局に支払った費用を上乗せして視聴者である消費者に販売する。
くどい説明になったが、民放のテレビ視聴料は、周り回って視聴者という消費者が支払っていて有料なのである。
(民間放送局は電波独占)
このように民間企業であるテレビ局は、当然のこと営利を優先した商品づくりを行う。
ところが、民間放送局が他の事業会社と異なるのは、電波という国家・国民の財産を独占的に利用する権利を与えられた国の免許事業(所管―総務省)であるという点だ。
番組は、自由に制作できるし他者も同様に作ることが出来る。しかし視聴者に届けるための電波利用は、他者には許されておらず、このため他企業の参入は不可能となっている(電波独占)。これは、今、問題の電力会社の地域独占に似た構造(電気=制作番組、電線=放送回線)である。
したがって一般視聴者は、見たい番組を見るためには番組を制作したテレビ局のチャンネルを選ばざるを得ないのである。
このように現在の日本の電波行政では、放送局は電波を独占していて新規参入が出来ない構造になっているので「番組内容に不満があるなら見なければ良い」と言うことにはならない。
(テレビ業界の先行き)
フジテレビの偏重放送騒動もさることながら、近年、多くのテレビ局で“やらせ問題”や“低劣お笑い番組”に非難が集まっている。
今のテレビ業界は、民間企業という側面ばかりが顔を出しているようだ。テレビ企業は、24時間という限界産業のため時間規模では収益を追えない。
といって制作コストを抑えるために安手の番組素材集めたり売れっ子タレントを抱えるプロダクションに過度に依存したりすることは、ジャーナリズム機関としての役割を持つテレビ局だけに、折角の既得権まで失いかねない危険性をはらむ。
そうでなくても、国際的に見て日本のテレビ界は2つの大きな問題を抱えている。
ひとつは、クロスオーナーシップ(新聞社とテレビキー局、地方局の系列化)の規制、ひとつは、電波オークション制度(テレビ局が格安で利用している電波を競売にかけ、新規事業者にも電波を開放する)の導入である。
このようにテレビ業界は電波行政に守られた独占的営利企業という放送局のあり方が根本から問われ出した。
今回のフジテレビ騒動は、問題の一端を覗かせたに過ぎない。 (了)
(発端)
高岡蒼甫なる若手人気俳優が「『8』はもう見ない」とフジテレビの韓流ドラマ偏重放送をツイートしたことに始まる。
この高岡なる俳優の発言は、いわば業界のタブーを破った行動(芸能人がテレビ局にモノ申す)であったため、騒ぎは当人の身の振り方に止まらず、女優である妻や所属事務所あげての大騒動となった。
騒ぎはそれだけに止まらず、人気タレントのナインティナイン岡村隆史や大物芸能人ビートたけしをも巻き込み、ついには8月21日、お台場のフジテレビへ5,000人規模の韓流抗議デモへと広がった。
高岡某は、日本のテレビ局であるフジテレビはなぜ、日本のドラマより韓国のドラマを優先させて放送するのかと批判したわけだ。この発言の真意は、単に日本人俳優として自らの出番が損なわれるという危機感から発したものかもしれない。
しかし問題の本質は、この発言を否定する形で飛び出した岡村の「TVはタダで見てるんだから、見たくないなら見なければいい」の言い分にある。
これにネット住人は大いに反発、3日間で約9000件の書き込みが殺到。そこに大御所ビートたけしまでが「(高岡)は、フジテレビの株を持ってるわけでもないでしょ。嫌なら見なけりゃいい」と岡村発言をフォローするような見解を披瀝。反発の炎は一挙に燃え盛り12時間ほどで1万件以上の書き込みが殺到した。
(民放テレビの視聴料はタダの怪)
ところで、この岡村の「民放テレビの視聴はタダ・・・」は本当か。
民放テレビは、「放送法」で視聴者からの受信料で経営するとされるNHKと違い、営利企業であり収益をあげる義務(株主などへ)を負っている。だからテレビ局は、商品である番組の引き合いが多い(高い視聴率が保証される)番組作りに精を出す。
そのためテレビ局は、商品の番組が日本の制作モノであろうが韓国モノであろうが、安い原価でより高い視聴率が期待できるモノのであればどこで制作しようが一向に構わない。
また番組がテレビ局の商品として売り物になるのは、制作映像を電波に乗せて視聴者のテレビ画面に届いた時点なので番組制作費用ばかりか電波使用料もコストになる。
そこでテレビ局は、この費用を回収すべくスポンサー(広告を出したい会社など)を見つけ出し(多くは広告代理店が仲介)、制作原価に人件費や諸費用を加え、儲け(利益)をからめてスポンサーに売る。
番組を購入したスポンサー企業は、番組で広告した自社の商品価格にテレビ局に支払った費用を上乗せして視聴者である消費者に販売する。
くどい説明になったが、民放のテレビ視聴料は、周り回って視聴者という消費者が支払っていて有料なのである。
(民間放送局は電波独占)
このように民間企業であるテレビ局は、当然のこと営利を優先した商品づくりを行う。
ところが、民間放送局が他の事業会社と異なるのは、電波という国家・国民の財産を独占的に利用する権利を与えられた国の免許事業(所管―総務省)であるという点だ。
番組は、自由に制作できるし他者も同様に作ることが出来る。しかし視聴者に届けるための電波利用は、他者には許されておらず、このため他企業の参入は不可能となっている(電波独占)。これは、今、問題の電力会社の地域独占に似た構造(電気=制作番組、電線=放送回線)である。
したがって一般視聴者は、見たい番組を見るためには番組を制作したテレビ局のチャンネルを選ばざるを得ないのである。
このように現在の日本の電波行政では、放送局は電波を独占していて新規参入が出来ない構造になっているので「番組内容に不満があるなら見なければ良い」と言うことにはならない。
(テレビ業界の先行き)
フジテレビの偏重放送騒動もさることながら、近年、多くのテレビ局で“やらせ問題”や“低劣お笑い番組”に非難が集まっている。
今のテレビ業界は、民間企業という側面ばかりが顔を出しているようだ。テレビ企業は、24時間という限界産業のため時間規模では収益を追えない。
といって制作コストを抑えるために安手の番組素材集めたり売れっ子タレントを抱えるプロダクションに過度に依存したりすることは、ジャーナリズム機関としての役割を持つテレビ局だけに、折角の既得権まで失いかねない危険性をはらむ。
そうでなくても、国際的に見て日本のテレビ界は2つの大きな問題を抱えている。
ひとつは、クロスオーナーシップ(新聞社とテレビキー局、地方局の系列化)の規制、ひとつは、電波オークション制度(テレビ局が格安で利用している電波を競売にかけ、新規事業者にも電波を開放する)の導入である。
このようにテレビ業界は電波行政に守られた独占的営利企業という放送局のあり方が根本から問われ出した。
今回のフジテレビ騒動は、問題の一端を覗かせたに過ぎない。 (了)
高田昌史(シンクタンク、ニュース・アナリスト)