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「戦後民主主義を重んじる皇室の意識」とは

2020-12-07 11:15:00 | 皇室
文春オンライン12月6日
片山杜秀氏は
「戦後民主主義を重んじる皇室の意識」と「保守化する国民意識」の乖離 
という視点で眞子内親王と小室圭氏の結婚について語っている。

学者らしく難しい言葉を使っているが、平易に言えば皇族が考えている皇室の在り方と、国民が皇室に望んでいることの間にずれがある。
ということですね。

皇室に少しでも関心があり、ネットの皇室系に出入りしている者なら誰でも「ずれ」は感じているでしょう。
皇室ブログあたりではその「ずれ感」を「高貴なお育ちだから庶民感覚が解らない。」という言葉で埋めようとする者が多いようです。

片山氏は「ずれ感」に「民主主義を重んじる皇室の意識と保守化する国民の意識との乖離」という言葉を与えたわけですが、では、そのずれはどのように意識改革したら埋められるのでしょうか?
民主主義を重んじる皇室の意識と保守化する国民の意識との乖離
などと言われると、民主主義を重んじる皇室の意識に国民が意識を変えて歩み寄らなくてはいけない。と言われているような気がして来ますね。

片山氏が言う「民主主義を重んじる皇室の意識」とはどのようなものでしょうか。

その変化の1つが、自由恋愛です。
<中略>そして夫婦と子供たちによる「戦後核家族的なファミリー像」を打ち出しています。 
秋篠宮さまも「特別な存在ではなく1人の人間として生きることが、国民に寄り添うことになる」という意識をお持ちです。 

国民は皇族に「自由恋愛するな」とも「戦後核家族的はファミリーをつくるな。」とも言ってはいない。
天皇らしい、皇族らしい自由恋愛結婚をして、天皇らしい皇族らしい核家族の姿を見ることを願っているだけです。私は、ですが。

しかし個人的には、この問題がもし10年前、20年前に起きていたら、「皇室だって自由恋愛で自分の思いを貫いていいじゃないか」という声がもう少し強かったのではないかと思います。 

それでは私も、個人的に言わせていただきましょう。
10年前20年前に起きていたら、もっと反対の声は大きかったでしょう。
戦中、戦後を体験した世代は今よりずっと数は多くて元気でした。皇室でも三笠宮寛仁殿下当たりが猛反対されたのでは?
反対の理由となったであろうことは、小室母子の出自と母子の道徳観でしょうが、とりわけ出自については、今よりはるかに多数の者が反対を唱えたはずです。

10年20年前と言えば、当時皇太子妃であった雅子皇后のらしかならぬ振る舞いへの批判が多かったころです。加えて小室母子では、国民は今以上にゲンナリしていたのではないかと思います。
10年20年前なら、国民が眞子内親王と小室圭氏の結婚を歓迎しただろうとは何処を見たら言えるのでしょうか。

戦後の皇室はながらく、畏れ敬われるというよりはフラットで親しみを持たれる存在であることを大切にし、それが受け入れられてきました。

平成時代以降の皇室、特に上皇上皇后がそう思っていらっしゃることは見ていて解りました。
しかし、それが国民が皇室に望む姿であったかどうかは解りません。
「受け入れる」というのと、「我慢する。」「諦める。」というのはまた違うものでしょう。

戦前の現人神や国家神道とまではいかなくても、ある種の「特別な存在」でいて欲しいという保守的な空気が強まっているのではないでしょうか。「国民とフラットな関係の皇室」という流れが、終わりを迎えつつあるとも言えます。

だから、誰が天皇に国民とフラットな関係を望んだのですか。
国民とフラットになりたいと願ったのは上皇上皇后でしょう。
お二人で「天皇、皇室のあるべき姿」を模索して導き出した答えが「国民に自分のほうから近づいて寄り添う」だったはずです。
国民はいつでも天皇皇族には「特別な存在」を感じていました。
特別な存在だと思うからこそ皇族方の「総裁職」というお仕事も成り立つのでしょう。

続く







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