憂国の花束

右でも左でも無く、上でも下でも無く。

祖国日本よ! 誇り高くあれ。

御体調を整えた雅子さま、天皇と共に沖縄へ

2022-10-23 00:38:33 | 令和の天皇家
本日22日、今上と雅子さまは美ら海国民文化祭開会式御臨席のため沖縄へ向けて旅立たれました。

【速報】両陛下、即位後初の沖縄訪問へ出発 宿泊伴う地方公務は3年ぶり
10/22(土) 10:12 FNNプライムオンライン
天皇皇后両陛下は、陛下の即位後初めての沖縄訪問のため、さきほど、羽田空港を出発されました。 

午前9時半ごろ、両陛下は車の窓を開け、報道陣らに手を振り、皇居・乾門を出発されました。

 羽田空港で両陛下は特別機に乗り込み、午前10時ごろ、沖縄へと向かわれました。 

両陛下の沖縄訪問は陛下の即位後初めてで、皇后さまの訪問は1997年以来25年ぶりです。 

両陛下は午後沖縄入りし、玉城知事から県の現状などについて説明を受け、あす23日、宜野湾市で行われる「国民文化祭」の開会式に出席し、陛下がおことばを述べられます。 

沖縄は今年5月に本土復帰から50年の節目を迎え、両陛下はオンラインで出席した50年記念式典の関係者とも交流される予定です。 

両陛下の宿泊を伴う地方公務はおよそ3年ぶりで、あす帰京されます。


午前9時半ごろ乾門を通過される今上御夫妻。
「愛子天皇」派の知人が「窓から手を振ることが出来れば天皇は務まる。」と言っていたが…。😭 


午前10時頃羽田出発。
午後1時頃那覇空港着。


糸満市の国立沖縄戦没者墓苑で白い百合の花を供花される今上御夫妻。
皇后は前を押さえ、今上は尻を押さえて拝礼。





礼法には幾つかの流派があるが、たぶん尻を押さえての礼を教える流派は無い。
令和流か。


「平和の礎(いしじ)」をご覧になる今上御夫妻。






英国での弔問記帳が思い出される。此処でも何となく雅子さまが主導権を持っているように感じられるが僻目か。今上のウェーブしている髪は初めて見た。
美智子さまの髪の天然ウェーブは有名だが、今上の髪質が変わったのでしょうか。年を取ると髪質が変わるという話は聞いたことがある。

その後、県平和祈念資料館を視察。案内した館長によると、両陛下は沖縄戦で犠牲になった県民らの写真パネルを前に「本当に痛ましい写真だね」と話し合った。皇后さまは回廊から海を眺めて「こんな美しい所でこんな悲しいことが」と感想を述べたという。
(時事通信より抜粋)


ホテルのロビーでは、地元の女子高校生や大学生合わせて6人が横断幕を掲げ両陛下を歓迎しました。
  
6人は2016年の夏、沖縄県の小中学生から選ばれた「豆記者」で、当時、両陛下がお住まいだった東宮御所を表敬訪問し、夏休み中だった愛子さまも一緒に懇談されました。  

豆記者は毎年、沖縄の子どもたちが「記者」になって国会議事堂などを取材する取り組みです。  両陛下は、6年ぶりに再会した「豆記者」たちに「今はどんなことをしていますか」「成長されましたね」などと声掛けをされていました。
(テレ朝ニュースより抜粋)


ホテル到着後にお召し替えされたのでしょう。
知っているから天皇皇后とわかるが、知らなければ。。。以下自粛。

ホテルでは玉城デニー知事から経済や文化、米軍基地など県勢概要の説明も受けらました。

夜侍従を通じて伝えられた御言葉。
美ら島おきなわ文化祭2022に出席のため、(天皇陛下は)12年ぶりに、また2人そろってでは25年ぶりに沖縄県を訪れることができたことをうれしく思います。 

戦没者墓苑については、我が国で唯一の激しい地上戦が行われた沖縄の人々の苦難を思い、犠牲となられた方々のご冥福(めいふく)をお祈りしました。その後、ご遺族の方々のお話を直接伺い、それぞれの方の悲しみとご苦労を思いました。 

平和の礎については、地域や国籍を問わず、沖縄戦で亡くなられたすべての人々の名前を刻み、今も毎年新たな名前が刻まれていることに感慨を新たにしました。そして、静かに燃える平和の火の前にたち、青く広がる太平洋を望みながら沖縄戦の悲惨さや私たちが現在享受している平和のありがたさを思い、改めて平和の大切さを心に刻みました。 

平和祈念資料館については凄惨(せいさん)な沖縄戦の様子や、当時の人々の苦難がよくわかりました。こうした資料を収集し、後世に伝えようとしてきた方々の努力にも敬意を表したいと思います。 

また、このあたり一帯が平和を祈念する公園として、美しく整備されてきていることにも感銘を受けました。玉城知事からの県勢の概要については、沖縄県の現在取り組んでいる諸施策について、理解を深めることができました。 

ホテルにおけるご懇談ついては、沖縄復帰50周年の記念式典に出席された方々とお会いし、それぞれの方の思いや経験を直接伺うことができ、うれしく思いました。
 また以前、平成28年、東宮御所に来てくれた豆記者の皆さんと再会でき、皆さんが立派に成長されていることをとてもうれしく思いました。

本年は沖縄の本土復帰から50周年ということもあり、沖縄復帰50周年記念式典、東京国立博物館や国立公文書館での特別展など沖縄の歴史や文化に接する機会がありました。 

今回、沖縄県を実際に訪れることで理解をより深めることができればと思っています。明日の美ら島おきなわ文化祭2022の開会式・オープニングフェスティバルを楽しみにしています。新型コロナウイルスの感染症防止対策に気を配りながら準備してこられた多くの関係者、私たちを温かく迎えていただいた多くの県民の皆さんに心から感謝いたします。」

無事な一日、お喜び申し上げます。

それにしても、つくづくと昭和天皇に沖縄へ行って頂きたかった。
屈託なく沖縄の地に立つ令和の天皇を見奉るにつけても、沖縄行きを切望されていた昭和天皇が偲ばれてならない。昭和62年、沖縄国体を目前に病に倒れられた昭和天皇はどんなにご無念だったかと。


最新の画像もっと見る

8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
恐いですねぇ! (あかり)
2022-10-23 01:25:15
 あかりも、密かに内廷の方たちは「窓から手を振ることが出来れば天皇は務まる」と思っているのではないか?と疑ってきました。「何よりの証拠が浩宮です」だなんて、まさかねえ、ですが・・・💦 もし本当なら、とことん国民をバカにした、恐い、恐いお話しですよね😠
返信する
Unknown (千種)
2022-10-23 09:46:19
如意さんの「尻を押さえて拝礼」に爆笑してしまいましたw
確かに。
夫人はいつもあだ名マタ子の通り「マタ」を押さえてますね。
作法や礼法を訓練したのではないみたい。
アンチは皇嗣殿下の礼を「うなだ礼」なんて馬鹿にしてますが、神道の画像を見るとOKじゃないかと思います。
以前、戦前の皇紀2600年祭の映像を見た際も全員アンチの言う「うなだ礼」でした。
ふふん。

体調を整えるって、何をするんでしょうかね?
英国へは整える余裕もなく行けたじゃありませんかw
25年前の映像も各局流してましたけれど、夫人はそれなりに意識があります。
今は半分バイデン状態?適応障害じゃなくてw若年性なんとかで、子どもに還ってませんか?
無邪気さと狂気を感じます。
それなのに主導権握ってますね。文字に関しては私がと?
知性も教養も洗練さも何も感じません。

かりゆし、地味ですが、よくお似合いです。
お二人の素(す)は、こんなフツーの田舎の夫婦なのに天皇と皇后という地位が、ちぐはぐで滑稽さを生んでしまうんですね。

昭和天皇の這ってでも行くという精神。
最後のご公務でしたか、ヘリに乗る気迫が忘れられません。
返信する
Unknown (みどりのかぜ)
2022-10-23 17:20:36
姑根性丸出しの投稿ばかりで、すみません。
あのう、お尻に手をあてる礼は、上皇譲りかと。
海外の慰霊碑に頭下げてる
画像と、瓜二つです。
托卵子疑惑が晴れる好画像と言えるでしょう!
返信する
Unknown (牡丹)
2022-10-23 21:11:05
上皇も尻に手を当ててのお辞儀だった画像を見た気がします。体幹の筋肉が衰えたのかな?と思いましたが今上もですか。残念です。
かりゆし、涼し気で良いですが皇后には八重山上布の着物をお召しいただきたいもの。着道楽な上皇后ならきっと袖を通したでしょう。
昭和天皇のご無念は察するにあまりあります。最期まで気迫の御方でした。
返信する
Unknown (牡丹)
2022-10-23 23:36:35
八重山上布は麻ですから、沖縄でも多分季節が合いませんね、紅型の着物がいいのかな?失礼しました
返信する
Unknown (如意)
2022-10-23 23:52:33
あかりさん
こんばんは。
天皇皇后の地方公務には地元名士との懇談会がセットになっていますよね。コロナ前に当地へお出でになった折りの懇談会に出席した知人は「どう見ても私らより頭は悪そうだったが、オーラというか、何というか、、とにかく凄くて、さすがに二千年続いた天皇は違う!」と言っておりました。
知人は名士の端くれとして出席は叶いましたが直接に会話できる栄誉は与えられなかったそうです。直接言葉を交わしていない知人が一度で頭が悪いと見抜くくらいですから、これまでに面会した海外の王族、要人全員から頭の悪さは見抜かれているのではないでしょうか。”天皇のオーラ”のほうはどうでしょうね。感じていただいていると良いけれど…。
愛子さまを露出させないのは、実態を覆い隠してより権威を高めるためでしょう。新興宗教が教祖の権威を高めるためにとる手段と同じようなものじゃないのかな?伊勢神宮に成年ご報告の参拝はさせないつもりかも?参拝したら、否が応でも宮家の内親王と同じ立場であることを示すことになってしまいます。
実態を隠し、宮家の内親王との差を強調する、一石二鳥の策?
いったい何を考えているのか、油断できないご一統です。


千種さん
こんばんは。
尻に手を当てての御辞儀はどう見ても品が無い。”天皇”はなさらないほうが良いと思います。
秋篠宮殿下はうなだれているのではありません。神前では神を直接に見ないように面伏せでいなければなりません。
旧時代では高貴なかたの御前でも同じ作法でした。
秋篠宮殿下妃殿下は祭祀の作法をよく勉強されていらっしゃいますから、大丈夫です~♪

>英国へは整える余裕もなく行けた

好きなことは苦も無く出来るのも症状なのでしょう。

>最後のご公務でしたか、ヘリに乗る気迫が忘れられません。

昭和63年8月15日、那須で療養中であった昭和天皇が全国戦没者追悼式に出席されるためにヘリに乗られた御姿ですね。
そして式典会場で段を上がられる御姿に国民は「これが最後、来年はお出でになれない。」と覚悟しました。事実、追悼式の後、病床から起き上がられることなく…。
あの8月15日に御生涯の全てが結晶していたと思います。名君でいらっしゃいましたね。
雅子さまの「這ってでも英国へ行く」とは全く次元が違う、別世界の話です。


みどりのかぜさん
こんばんは。
そうですかー。上皇も尻に手を当てておいででしたか。上皇がしていたからといって、尻に手を当てての礼の品の無さが帳消しにはなりませんわね。
托卵疑惑?私は、皇室の方々に托卵疑惑を抱いたことは無いのですよ。


牡丹さん
こんばんは。
上皇がしても、尻に手を当てた礼に品が無いことに変わりはありませんわね。
残念なことです。
沖縄だから「かりゆし」という発想がいかにもで安直ですよね。紅型、八重山上布、芭蕉布、沖縄には誇るべき染、織が伝えられているのですから、皇后が着物でお召しになっても良かったですね。
返信する
Unknown (一つ葉田子)
2022-10-24 08:23:17
平成の終盤の頃の戦没者追悼式でそのお辞儀が顕著になり、海外の慰霊で
画像も残っていますが、意識されてか、無意識か見当は付きませんが
今上の今回の画像はそれを真似たものの様で、平成踏襲を実行かと。
皇嗣殿下のお辞儀は以前から堅苦しさの無い両手がご自分の脚の前に自然と
動かされるお辞儀でご指導を受けられたのか、そうでないかは判りませんが
身に付けられていらっしゃる事でお見受けする印象の差があります。
美智子さんは「芭蕉布」、紀子妃は「紅型」と画像があります。
https://www.news-postseven.com/kaigo/wp-content/uploads/2019/04/koushitsu_12.jpg
2014年6月 沖縄ご訪問 (何度か訪問で他にもあると思います)
http://kusagusa.cocolog-nifty.com/dairy/images/collagebingata2.jpg
https://i.pinimg.com/originals/34/b5/84/34b584d9be4f33c2641c0ceeffd8ef91.jpg
2008年 インドネシア(初見?で、最近ではハワイ訪問時でもお召しです)

報道では雅子さんの再スタート?と囃し立てているところもありますが、
例年の如くお誕生日用の為なのかとも思わないでもなく、四大行幸啓には
地位を示す最上の場面ですから「弔問記帳」如くの振る舞いも見せ場?
配信される画像のお召し物を見る限り、用意されてるようですし、
体調が~は変則的に使うのではと思えます。
また、11月に今上の検査がある事からもそれ次第の〝体調が~〟かもと。(笑)
返信する
Unknown (如意)
2022-10-28 09:26:48
一つ葉田子さん
こんにちは。
>皇嗣殿下のお辞儀は以前から堅苦しさの無い両手がご自分の脚の前に自然と動かされるお辞儀

これが正しい御辞儀です。
私は小笠原礼法をほんの少し学びましたが、そのように教えられました。
皇嗣殿下は高松宮妃殿下に書道を学ばれるときに妃殿下から教えられたのかもしれませんね。「他のことはともかく、礼法作法は美智子さまに任せておけない。」というお気持ちもあったのでは?

美智子さまの芭蕉布、紀子さまの紅型目の保養をさせていただきました。
紀子さまの紅型はまだまだお召しになれそうですが、佳子さまに着ていただきたいですね。それとももう眞子さんの元にあるのかな?
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。