最近、目にとまった2本の新聞記事がある。いずれもZAMACと同世代の人が登場する記事だ。
一人は、写真家で民俗学者の「内藤正敏」氏、もう一人は同じ職場だった「菊池昭夫」氏だ。まずその新聞記事とはつぎのようなものだ。
東北芸術工科大学大学院の内藤正敏教授退官の記事 (河北新報)
今回 、入間田宣夫教授と共に退官することになった。内藤先生の退官はすでに耳にしていたものの、私にとっては「来る時がついに来た」という感じだ。… と書くと、先生と関係があったように聞こえるが、お会いして直接お話をしたのは3度ほど。あとは講座で質問した程度だ。
ではZAMACはなぜ淋しいのかというと、一言でいえば「フアン」ということだろう。東北芸工大によく3年余りもの間、月一回(欠席もあったが)のペースで通ったものだと思う。先生の話を聞きたいばかりに、猛暑も吹雪の日にも行ったわけだが、それなのに先生の講座はごく少なかった。
反対に予期せぬ「赤坂憲夫」教授の民俗学を多く聞くことができた。赤坂先生は河北新報の公募写真展審査員だったこともあって、こちらの興味と収穫も大きかった。
さて、その内藤先生の御年は74才でほぼZAMACと同じ世代。『写真名鑑』にも載っている大物写真家。東京時代の社会派作品から、月山修験道をはじめとする東北の民俗学に、足跡を残すほどの大変身には舌を巻く。特に後年の作品を宮城県立美術館の企画展で観ることができたが、大型シルバープリントの迫力は「異界」そのものだった。
先生は豊齢パワー全開で退官を迎えた。
ZAMACが内藤先生に夢中だったころ作成した、著書から抜粋した読後控えだ。
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「土井晩翠」の案内をしている仲間の記事 (日本経済新聞)
だれもが知っている『荒城の月』だが、この作詞者「土井晩翠」が亡くなるまで過ごした家がある。その名を「晩翠草堂」といい仙台の青葉通り - 晩翠通りの交差点近くある。この草堂の説明案内をしている一人が、記事に登場している「菊池昭夫」氏だ。
ZAMACと彼は同じ職場だったし、もちろんよく知っている。土井晩翠について語ると熱を帯びて手ぶりも大きくなってくる。あるとき、晩翠先生の台所に続く居間だという部屋で、彼と1対1で明治時代の仙台の古地図を開き、当時の説明をしてもらったことがある。その熱心さに聴き惚れて、いくら時間があっても足りないくらいだった。
08.11.10 ZAMAC撮影 ハーモニカコンサートのつぎの日、わたしたちは草堂を訪れ、晩翠先生のベット脇で「荒城の月」を献奏したことがある。
その彼は会社でもこの情熱で営業をやってきた。正直、その彼が晩翠先生の解説? 説明?……? と、こちらがイメージチェンジに戸惑ったものだ。
第二の人生を全エネルギー放出で楽しそうに仕事をしている。「熟年」「シルバー」… と呼び方はいろいろあるが、わたしたちの世代の呼び方に何かヒット感がない。しかし新聞記事に登場したお2人などは『豊齢パワー』といったらピッタリのような気がする。
他人(ひと)のことを書いたが、これらの情熱と比べたらZAMACには「? 」が付く。いや比べなくてもいいんだよな~。
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